企て

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『はーい、その書類は没収』 誰もいない廊下を歩いてると、ふとかつて言われた言葉が蘇ってきた。 あれは、初等部への入学を目前に控えたときのことだった。にっこり笑って、ボクが手に持ってた書類をあの人が取り上げたのは。 当時のボクはその言動の意図がわからなかった。 困惑してるボクを見たその人は、にーっこりと笑みを深めてからその書類に目を落として。 そして、こう言った。 『オレだって、堂々とお前はオレの子だって言いたいけど、お前の過去を探られるのは困るからねえ。 あの学園に通う以上、あの家にお前が見つかる可能性もあるけど、そうなったとしても特に問題はない。もうお前はあの家の戸籍から外れてるから手出しなんてできないしね。それに何かあったとしてもオレがお前を守るから大丈夫。 問題は、オレが未婚故にお前が確実に養子だとバレることだよ。そうなったらお前はどこの生まれなんだとかやたらと突っ込まれることになる。 そこからお前があの家の人間だとバレでもしたら、きっと質問攻めに合うだろうしお前が面倒でしょ? 神崎財閥は名家だからねえ、お前を見る目もきっと変わる。取り入ろうとする人間が今よりもずっと増えて、お前の負担が増えるのが目に見えてる。 それなら、最初から一般家庭だと偽っておいた方がいろいろと都合がいいかなって』 書類を偽装したのはあの人だった。 ボクが最初に提出する予定だった書類を、あの人が書き換えた。当時の苗字であった吉城はそのままに、住所や家族構成をすべてデタラメなものにされて。 それが悪いことだとわかってても、それがボクを守るためのあの人なりの工作だとわかってたからこそ、ボクは何も口出しできなかった。 『……………』 『お前が躊躇う気持ちもわかるよ。偽造なんていけないことだもんね。 でもオレは、家のことでもうお前に苦労してほしくないんだよ。一度しかないせっかくの学園生活を、お前に目一杯楽しんでほしい』 『……………』 『オレからのお願い。ね、聞いてよ』 『…………わかったよ』 『オレじゃなかったらどんな事情があっても断固として自分の意思を曲げないのに、相手がオレだったら(もちろん時と場合によってはだけど)渋々ながらも曲げちゃうのかわいー!』 『オッケー、もう一緒に寝なくていいってことだね』 『えっ、うそ、嘘嘘嘘!ごめん謝るからそれだけは許してえええ!!』 ボクのためだとわかってたからこそ、何も口出しできなかった。いや、正直にいえばその気持ちを嬉しいとさえ思った。ボクのことを思い、その身を案じてくれてることが、嬉しいと。 それは、数ある不幸な記憶の中で眩い光を放つほどの幸せな記憶だ。正真正銘の優しい記憶。 ──それなのに。 当時はぽかぽかとするように感じたその言葉は、今となっては思い出すだけで胸が張り裂けそうなものへと変わってしまった。 (──あなたは、もう、どこにもいないというのに) 今でもあなたを思い出しては苦しみ続けるボクは、 なんて愚かな人間なんだろうか。
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