絞首台の朝

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「煙草をくれ」  それが、この陰鬱な夜明けに初めて交わされた会話だった。発したのは死刑囚で、麻袋からくぐもった声を発している。  色黒の兵士は神経質な目を麻袋に向けて走らせただけだったが、赤ら顔の兵士はポケットに手を伸ばすと、煙草を取り出して、麻袋を死刑囚の口の上まで引っ張り上げると、煙草を咥えさせ、火をつけてやる。 「あんた、いい人間だな。死んだら天国に行けるぜ、きっと」  煙草を咥えたまま、もごもごした発声で死刑囚はそう言う。赤ら顔の兵士は眠そうな瞬きで返すだけだった。 「死刑囚と口は利くな、どんな言葉も交わすなとの命令だ。処刑直前に煙草は支給される」  色黒の兵士は神経質に口を開く。 「口は利いちゃいないさ」  それが赤ら顔の兵士の答えだった。 「戦友への裏切り行為だぞ、こいつがやったのは。無用に情けをかければ綱紀が乱れ、戦線の維持すら覚束なくなる」  そんな色黒の兵士の抗弁に答えたのは、顎から口までを外気に晒した死刑囚の方だ。無精髭が点々とした顎に、切れた唇に黒い血の跡が走っている。 「あんた、この戦争に勝てると思っているのかね」 「お前は黙ってろ」  色黒の兵士は死刑囚の言葉を撥ね付ける。こんな返事ですら、どんな言葉も交わすなとされた命令からすれば違反ではあった。  死刑囚はむしろ満足そうに言葉を続けるのだ。 「いいことを教えてやろうか。この戦争は終わるぜ。もう条約の調印準備が始まっている。まだ戦闘が続いているのは、条約で譲歩しないためだ。国境線の一ミリ、銃弾一個、パン屑一欠けをもぎ取るために俺たちは死地に送り込まれてる。不公平だとは思わんか?」 「うるさい」  色黒の兵士は再び死刑囚の言葉を撥ね付けるが、それだけでは不十分な気がしたのか、自分から言葉を付け加える。 「お前は何も知らない。何も知らされちゃいない。お前の言葉は全部はったりだ。条約の調印準備なんて、お前がどうして知ることができる?」 「まあ、いろいろな方法があるからね」  死刑囚はそんな言葉で曖昧にはぐらかす。これが戦意を挫くための敵方の工作の結果だとしたらと、色黒の兵士は少し考える。
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