Introduction

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「楽しい時間はあっという間ですね。アンコールは私のデビューアルバムからタイトル曲、"Entrance(エントランス)"をお贈りしたいと思います。今日は本当にありがとうございました!」  大きな拍手が鳴り響く中、山内はマイクを置いてピアノへと向かう。  彼女はピアノの前に座ると両手を膝の上に置き、顔を下に向けたまま動きを止める。 ––––会場が一気に静まり返る。  山内のファンであればこの姿勢が演奏前に必ず行うルーティーンであることを理解している。  観客の視線全てが山内に注がれる。ほんの数秒前まで(ざわ)ついていた空間が嘘のように緊張感に包まれ、彼女が動き始めるのをひたすら待ち続けた。 ––––スゥーッ  山内は深く息を吸い、顔を上げると目を閉じて上を見上げたまま両手が静かにピアノの高音部分に着地する。  そこから紡がれ始めた音はまるで印象派の画家が描いた湖面のように静かに美しく、そして繊細に響き渡る。  右手から僅かな16分音符の塊が奏でられ、それに左手がアルペジオで呼応する。  少しでも音の選択を間違えれば一気に瓦解する。そんな不安を余所に山内は一音一音に感情を込めて、しかし丁寧に音を繋ぐ。 ––––その時、一石が湖面に投じられる。
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