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スマホのアラームよりもだいぶ早くに目が覚めた。時計を見ると、六時半を少し回ったところだった。寝ぼけながらカーテンを開けると、まだ太陽も昇りきっておらず、遠くの空が薄ぼんやりとしている。幻想的と言うか、感傷的と言うか、うまく表現できないけれど、見慣れないその風景に思わず見入っていた。
少しづつ明るさを増していく空を、空っぽの頭で眺めていたのも束の間、今日の予定を思って頭がはっきりと目覚めた。
藤沢さんと三度目のデートは、彼の部屋で、いわゆるおうちデート。前回は私のうちだったけれど、藤沢さんのうちとなると事情が違う、と言うか緊張の度合いが比ではない。そもそも男性の一人暮らしの部屋へ行ったことがないものだから、作法と言うか、マナーと言うか、そう言った一切が分からない。だからと言って本人に聞くのは違うだろうし、友達に聞いたところでだろう。
あと数時間後に藤沢さんの部屋にいる自分を想像して、ニヤニヤしたり、緊張したり、ニヤニヤしたり、緊張したり……
いつの間にか空には太陽が昇っていた。青空とまではいかないにしろ、雨ではないことに少なからずほっとした。冬の低い空に向かって、大きく伸びをした。
藤沢さんの部屋の最寄り駅の改札を、ドキドキしながら通り抜けると、藤沢さんがこちらに向かって歩いてくるところだった。私に気が付くと、黒のダウンジャケットのポケットに入れていた右手を頭上に上げ、こちらに向かってふっている。
「おはようございます」
両手をふりながら、会釈程度に頭を下げた。
「おはよう。タイミング良すぎじゃない」
そう言った藤沢さんはにこにこと微笑んでいる。
「ほんと、すぐに会えて良かったです」
「寒いし早く行こっか」
言うより先に、両手をダウンジャケットのポケットにしまっている。
確かに今日はとても寒い。平年並みと言えばそうなのかもしれないけれど、冷たい風に体感温度がぐっと下がる。
駅から藤沢さんのマンションへ向かう道中、数日前に会った時とはなんだか少し雰囲気が違うと思った。彼が、ではなく、このあたりがデートで来るよう場所ではないからなのかもしれない。
五分ほど歩き、大きな通りから細い通りに入ってすぐのマンションを彼が指さした。
「ここだよ」
マンションへ入り、エレベーターで三階まで上がる。彼が部屋の鍵を開け、どうぞと中へ通される頃には、味わったことのない緊張感でどうかしそうだった。
「おじゃまします……」
自分でも突っ込みたくなるほど声が出なかった。背後でくすっと笑うのが分かったけれど、それに何か言える余裕はない。
短い廊下を抜けて部屋の中に入ると、柑橘系の香りがふわっと鼻から抜けた。
「コート、かけとくよ」
そう言って差し出された手に、「お願いします」と言いながらコートを脱いで手渡した。それをハンガーにかけてから、自分の着ていたダウンジャケットは椅子の背中にひっかけている。
「部屋、寒かったら言ってね」
「はい、ありがとうございます」
「温かい飲み物でも淹れるから、座って待ってて」
台所に立った藤沢さんは、電気ケトルに水を入れてスイッチを押すと、不揃いのマグカップを取り出している。
「コーヒーとカフェラテ、どっちがいい?」
「カフェラテで、お願いします」
彼の手元を見ていると、不意に彼と目が合った。
「──そのクッション、実は昨日買ったんだ」
床に置いてあるやや大きめのクッションを顎でしゃくった。
「俺さ、インテリアとか疎くて、だからこんな殺風景な部屋なんだけど、せめてクッションくらいあった方がいいかなぁと思って……」
「可愛いです」
「──その、かれんが来るから」
言うなり目をそらすけれど、うつむいていてもはにかんでいるのが分かる。その表情は、一瞬で私までドキドキさせた。
マグカップをローテーブルに並べると、私の隣に腰を下ろした。
「今日は来てくれてありがとう。今まで俺のやりたいことばっかだったけど、無理してない?」
「そんな全然! 藤沢さんといると楽しいので、誘ってもらえて嬉しいです」
「そっか、そう言ってもらえて良かった」
「藤沢さんは、どうですか? その、私といて楽しいですか?」
「あたりまえだろ。じゃなきゃこんなに誘わないし、一緒にいたいなんて言わないよ」
これは、チャンスなのかもしれない。今の彼の言葉は、どう読み解いても自分の都合のいいようにしか捉えられない。
自分で自分の背中を両手でぐいぐいと押し、ついでにクリスマスの力も大いに借りながら、喉の奥の方にある言葉を必死で引っ張り出す。
「……あ、あの……」
藤沢さんは、手にしたマグカップをテーブルの上に戻し、顔だけで続きを聞いている。
「あのですね。今日は、藤沢さんに伝えたいことがあります。前にその、藤沢さんが私のことを、ですね……」
そこまで話すと、彼の眉がぴくりと動いた。
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