アイドルと洗濯機と僕。

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アイドルと洗濯機と僕。

大学入学を機に、 ひとり暮らしを始めることになった。 いろいろ家電を揃える必要が出てきて、 ちょうどそれまでひとり暮らししていて 結婚が決まった従兄弟の昌美兄さんから、 大きなドラム式の洗濯機を譲り受けた。 「しかし、兄さん。何でこんなに大きいのが 必要だったんだろう‥‥」 僕が住むことになった単身マンション、 狭い通路の入口ギリギリで入った洗濯機は、 最低限の家電で始めるミニマム生活とは 掛け離れたバブリーなものに見えた。 とはいえ、生活を始めてみたら、 大は小を兼ねるという言葉通り、 使い勝手が良く重宝した。 何と言っても容量が大きいから、 色物ではないパーカーやTシャツが数着、 スラックスが数本いっぺんに洗える。 洗濯物を溜めたくない潔癖な僕ではあったが 水道代の節約のために、 多くても週に3回の洗濯にしようと 思っていたので、助かった。 それに乾燥機能までついているから、 これで洗濯物を干す手間が省けると思った。 電気代がかかるからあまり使わないとしても 梅雨や台風の時期は大活躍するに違いない。 いい家電との出逢いに満足した。 あとはバイトをしながら、 大学生活を満喫するだけだと思っていた。 そんなある夜。 ベッドに横になって スマホゲームをしていたら、 不意に、不穏な音が耳に入ってきた。 がたん、がたん。 「あれ、洗濯機か?」 とはいえ、 夕方シャワーを浴びた後に洗濯したから、 今夜は洗濯機の稼働はない。 まさか、壊れた?! 慌てて起き上がり、 洗濯機の置かれた洗面所に向かった。 次の瞬間。 「いたっ!どこ、ここ?!」 という声が洗面所から聞こえ。 「えっ」 声が響いてきたその場所を覗き込んだ僕は、 若いキレイな顔立ちの男の子と目が合った。 「ぎゃっ」 そこにいるはずのない存在に驚き、 僕が短く悲鳴を上げると、 「えっ、誰?!」 と相手は眉を顰め、小さく呟いた。 「いや、それはこちらのセリフです」 「というか、ここはどこ」 「え、東京の、」 地名を言いかけた途端、 また洗濯機ががたんがたんと揺れ始めた。 「痛っ!」 そして目の前にいる人とは別の声がして、 洗濯機から男の子が這いずり出てきた。 「‥‥嘘、でしょ」 手狭な洗面所に、 年齢差のない男子3人が立ち尽くしたー。 日頃あまりテレビを観ていなくても、 彼らの正体は知っていた。 最近、デビューしたばかりの5人組の アイドルグループ「kaleidoscope」は、 女子中高生に爆発的な人気。 特に今、僕の目の前にいるこの2人は、 人気を集めていた。 「それにしても、ホテルの風呂の入口と ドラム式洗濯機が繋がっていたとは」 メンバーカラーはブルー、 バラエティに出ても常に冷静、 顔立ちもクールな美形の川瀬由貴が言うと、 隣にいたメンバーカラーはオレンジ、 丸く大きな瞳、アイドルになるために 生まれてきたようなキュートな顔立ち、 バラエティでは愛嬌を振り撒いている 佐橋雄大が口を挟んだ。 「こんなこと信じられないよ。というか、 何でこんな目に」 佐橋は川瀬を小突きながら、 それに僕のお気に入りのお風呂道具、 どこ行っちゃったんだよと 論点のズレたことを言った。 「あの」 「はい」 「つまり、大阪にツアーでいたあなた方が、 大浴場の入口のドアを開けたら、 東京の僕の家に飛ばされてきたと。 ‥‥ドラム式洗濯機を介して」 僕が話をまとめると、川瀬が頷いた。 「佐橋の言う通り、信じられないけどね」 「マネージャーには連絡するよ‥‥、 明日朝いちばんで、大阪に戻りますって」 佐橋がスマホを取り出した。 「こんなこと話して、信じてもらえるかな」 「信じてもらうしかないでしょ。 だってお風呂に行ってわずか20分で、 大阪から東京に移動できる訳ないんだから」 「うん‥‥」 スマホの時計を見ると、時刻は23時。 新幹線の運転は、終わっていた。 「ちょっと、電話するね」 佐橋が立ち上がり、部屋の隅に移動した。 「朝まで、いさせてください」 頭を下げた川瀬に、 僕はもちろんですよと言った。 「ツアーでお疲れでしょうし、 シャワー浴びて横になってください。 シングルの布団で良ければ、1組あります。 佐橋さんとベッドか布団かの どちらかを選んでいただいて。 僕は明日、大学もバイトも休みですから、 寝なくても大丈夫です」 「ありがとうございます‥‥あなたの、 お名前は」 「岸野葵と申します」 「川瀬由貴です。よろしくお願いします。 岸野さん。もし宜しければ今夜、不眠症の 僕の話し相手になってくれませんか」 「不眠症なんですか。はい、大丈夫ですよ」 もう夜中だというのに、 さっきから電話で捲し立てている 佐橋とは違い、 終始冷静でとても穏やかに話す川瀬に、 僕はシンパシーを感じていた。 テレビでは冷たいイメージの川瀬の方が 関わりやすいとは思わなかった。 電話が終わり、佐橋が振り返る。 「マネージャーを説得した。この件は、 一般の人も巻き込むことになるから、 絶対に他言無用だってね。あと」 そこで言葉を切った佐橋は僕を見て、 「すみませんが、シャワーを浴びたいので 部屋着と化粧水を貸してくれません?」 と言った。 テレビ通りの美容男子らしい発言に、 思わず笑ってしまった。 佐橋はシャワーを浴び、 肌ケアをしたと思ったらすぐに、 美容に悪いからと言って、 僕のベッドを借りて寝てしまった。 意外とパンチのある奴だなと驚きながら、 川瀬に話しかけた。 「川瀬さんもシャワーを浴びて、 部屋着に着替えてください」 「ありがとうございます。 何から何まですみません」 立ち上がり、 風呂に移動する川瀬の後ろ姿を見て、 今夜はとんでもないことが起きていると、 今更ながら思った。 「シャンプーとかボディソープ、 好みに合いました?」 風呂から出てきた川瀬に声をかけると、 川瀬は微笑み、大丈夫ですと言った。 「岸野さんは、大学生なんですね」 佐橋の安眠を邪魔しないように 部屋の隅に川瀬と並んで座り、 冷たいウーロン茶を飲みながら話し始めた。 「はい。この近くのT大です」 「優秀な方なんですね。僕でも知ってます。 最難関の大学だって」 「ありがとうございます。勉強ばかりで、 まともに人と付き合って来てないんで、 すべてはこれからって思ってます」 「岸野さんなら、何でもうまく行きますよ」 「川瀬さんは」 「はい」 「テレビで観るイメージと違う方でした」 「どんなイメージでした?」 「バラエティでも冷静で、グループの兄的 存在のまとめ役。でも少し冷たい感じが しました」 「小心者で、神経質なんです。グループで 何があったらってヒヤヒヤしてます。 まだ20歳そこそこのやんちゃ盛りですから」 「川瀬さんも、確か21歳」 「9月末でなります。大学に入ったばかりの 岸野さんより2歳年上です」 「川瀬さん、落ち着いてて好感が持てます」 「ありがとうございます。実は、グループの 牽引役を佐橋にお願いしたいんです。 今夜はなかなかのマイペースぶりでしたが、 彼はライブグッズのデザインや ライブの進行役を率先してやる奴なので」 「そうなんですね。佐橋さん嫌いじゃない ですよ。自分を貫いてて、素敵な同世代 だって思ってます」 「良かった。佐橋に言っておきます」 クールビューティーが微笑むと絵になるな。 「ところで、岸野さん。今、好きな人って います?」 「好きな人、ですか?」 「はい。僕、こんな職業なので、なかなか 恋をオープンにはできないですが。 他人の恋バナが好きで、聞いてるんです」 「残念ながら、いないですね‥‥」 「そうですか。あ。もし良ければ、今後、 できた時に話していただきたいので、 連絡先を交換してもらえませんか」 「えっ、いいんですか」 「はい。岸野さんなら大丈夫です」 ポケットからスマホを取り出した川瀬と LINEのIDと携帯番号を教え合った。 「ツアーは、来月2日までです。その後は 数日オフなので、ごはんでも行きましょう」 「は、はい」 今をときめくアイドルと、 こんな風に縁が繋がるとは思わなかった。 絶対にスマホは紛失できないと覚悟した。 「お財布も一緒に飛ばされていて、 良かったですよね」 朝5時。 タクシーで東京駅に向かう彼らを、 自宅前で見送ることにした。 まだ眠そうな佐橋も、 最後は僕にお礼を言ってくれた。 「では。また会いましょう」 そう微笑む川瀬とアイコンタクトをし、 遠ざかるタクシーに向かって手を振った。 さて、ひと眠りするか。 結局川瀬と話したまま、夜を明かした。 アイドルらしくない、 フツーの同世代の男子と話した感覚が残り、 楽しかった。 川瀬もそう思ってくれたから、 連絡先を交換したいと言ってくれたはず。 さっきまで一緒にいたのに、 もう再会を心待ちにする自分がいた。 それからツアーが終わるまで、 彼らのアルバムを聴いたり、 積極的にテレビを観た。 アイドルに興味のなかった僕が 川瀬由貴に関わったことがきっかけで、 リアルな好意を持つのに時間はかからなかった。 まさかこんな気持ちを抱くなんてと 最初は戸惑うこともあったが、 常識では考えられない出来事で繋がった 縁の深さを信じていたかった。 ネットニュースで、 ツアーが無事に終わったのを知り、 バイト帰りの電車の中で、 思い切って川瀬にLINEしてみた。 『ツアーお疲れ様。体調は大丈夫ですか』 タイミングが良かったのか、 すぐに既読マークがつき、返信が来た。 『ありがとう。疲れてたけど、岸野くんの 連絡で吹き飛んだよ』 会った時とは違う川瀬のフランクな返信に、 親近感が湧いた。 『明日の夜、空いてる?』 『はい。ちょうど、バイト休みです』 『じゃあ18時半に中目黒駅に来てくれる?』 『大丈夫です。着いたら連絡します』 1ヶ月ぶりに、川瀬と会える。 天にも昇るような気持ちで、夜を過ごした。 翌日。 電車を乗り継ぎ、30分。 時間通りに中目黒駅に着いた僕は、 川瀬からのLINEを待っていた。 『お待たせ。迎えに行くよ』 多くの人が行き交う時間、 突然アイドルが現れて大丈夫かなと思ったが その不安は杞憂に終わった。 マスクこそしていたが、 黒いキャップを被り、 黒いジャケットを着た川瀬は、 オーラを隠し、一般人に紛れていた。 「来てくれてありがとう。行こうか」 「はい」 目的地は、ここから徒歩3分の個室焼肉店。 店に入り最奥の個室に通されると、 川瀬はやっとマスクを外し、僕に微笑んだ。 「ツアーお疲れ様でした」 「ありがとう」 川瀬は生ビール、僕はウーロン茶で乾杯し、 カルビを焼いた。 「昨日打ち上げしたけど、疲れ過ぎてて 全然飲めなかったんだ。 岸野くんに連絡したいって思ってたけど、 こんなに早く会えるとは思わなかったよ」 「タイミング合いましたね」 「嬉しいよ。今夜はゆっくり話せる?」 「大丈夫です。明日は午後から授業ですし」 「良かった。岸野くんに話したくてさ」 「ホントですか?」 「うん」 ストレートに川瀬に言われ、嬉しくなった。 「こんな仕事だと、どうしても心許せる人 って限られてしまうけど、岸野くんには 何でも話せるような気がする」 「僕で良ければ、話してください」 「ありがとう」 川瀬は満足げに顔をほころばせた。 それから、約2時間。 あるゲームのヘビーユーザーという共通点で めちゃめちゃ話が盛り上がった。 ビールを3杯お代わりし、 すっかり上機嫌になった川瀬は、言った。 「良かったら、この後うちに来ない?」 「ゲームですか。いいですね」 普段なら気の合う人になったとはいえ、 超有名人の家に行くなんてと躊躇したはず だったが、川瀬に続けとウーロン茶を 煽っていた僕は、 少しウーロン茶酔いをしていて、 迷わず行くと答えていた。 店にタクシーを呼んでもらい、 川瀬と裏口から出た。 「あ。雨」 タクシーに乗り込む時に ポツポツ降り出した雨を見上げた僕は、 「岸野くん、傘ないの。朝まで雨だよ」 と川瀬に言われた。 「うちのビニ傘で良ければ、あげる」 「ありがとうございます」 タクシーに揺られ2分。 大きな通りに出ると、 窓を叩く雨粒の音が強くなってきた。 「僕、雨好きなんだよね」 「そうなんですか」 「デビューイベントは、大雨でね」 「へえ」 「大切な日には、必ず雨が降る」 「大切な日、ですか」 「岸野くんと、こうやって会えた今夜も」 「あ、はい」 「‥‥運転手さん。そこの角を曲がったら、 降ろしてください」 タクシーを降り、 川瀬に傘に入れてもらい、歩いて1分。 高層マンションの前で川瀬が立ち止まった。 「うち、ここ」 カードキーでエントランスを抜け、 エレベーターの8階で降りた、いちばん奥。 そこが川瀬の家だった。 「コーヒーでも淹れるよ。手洗って」 長い廊下沿いに数個のドアがあり、 そこを抜けると、広すぎるリビング。 バッグを床に置き、洗面所で手を洗うと、 横にビルドインの洗濯乾燥機があった。 「川瀬さん、部屋キレイですね」 そう言いながらリビングに戻って来ると、 川瀬はキッチンでコーヒーカップにお湯を 注いでいた。 「引っ越してきたばかりだから。 それに実家にはたくさん友達が来てたけど、 この部屋に呼んだのは岸野くんが初めて」 「佐橋くんとかメンバーは来ないんですか」 「彼らとはビジネスパートナーだからね」 「そんなものなんですね」 少し寂しそうに微笑む川瀬を見つめた。 「コーヒー、どうぞ」 カップを手渡され、 リビングのソファに川瀬と足を運んだ。 ジャケットを脱ぎ、 白いシャツ姿になった川瀬の隣で、 僕は緊張していた。 ただゲームをしに来たのだが、 誰の声ももう聞こえない2人だけの空間を 初めて意識した。 だから川瀬に「どうしたの」と訊かれて、 ぎこちなく微笑むだけになってしまった。 「岸野くん、大丈夫?」 「いえ。大丈夫です」 途切れた会話。 気まずい沈黙の中、川瀬が助け船を出した。 「これからはここだけの話、してもいい?」 「はい、もちろん。聞きますよ」 「担当してくれてるヘアメイクさんがね。 誰にも内緒で舞台監督と付き合ってるんだ。 岸野くんはたぶん知らない人なんだけど、 芸能人は同業の人同士で付き合うことが とても多いんだよね。ヘアメイクさんの 恋バナを聞いてると、ああ僕も付き合いたい って思うんだ」 「川瀬さんは、どんなタイプが好みですか」 「実はもう、出逢ってて」 「えっ」 「でも、僕の片想い。こんな立場じゃ、 付き合うのもままならないし」 「アイドルですもんね‥‥ 誰にも言わないので。業界の人ですか」 「いや、一般の人。年下のかわいい人だよ」 「川瀬さんに好かれてその人は幸せですね」 「そうかな」 「はい」 「ねえ。大学でいいなって子は、できた?」 「いえ。でも好きな人はできました」 「どんな人?」 「手の届かない人です。高嶺の花というか」 「岸野くん、自信持って。 キミは思っている以上にスペック高いから。 僕が保証する」 「そうですか?頑張ってみようかな」 「もし岸野くんの好きな人が、 岸野くんに好かれてるって知ったら、 きっと嬉しく思うよ」 「ありがとうございます。 川瀬さんに言われたら、自信出てきました」 無邪気に笑いながら、 川瀬は好きな人がいるんだと寂しくなった。 コーヒーを一口飲み、川瀬を見つめた。 「ゲームしようか」 コーヒーを飲み終わり、 川瀬の隣でコントローラーを手にしたが。 「川瀬さん」 やっぱり気になって、話を振ってしまった。 「何?」 「さっきの話。スキャンダルはご法度 ですけど、もし年下のかわいい人が 川瀬さんちに来るようなことがあれば、 その時は僕もお邪魔してもいいですか」 「どういうこと?笑」 「いや。イチャイチャは邪魔しないですけど 2人きりで自宅にはいなかったという事実を 作ってあげたくて」 「岸野くん」 川瀬が表情を硬くしているのを見て、 ぎこちなく笑った。 「変でしたか。すみません」 「ううん。変じゃない。変じゃないけど、 たぶん岸野くんはその役を果たせない」 「えっ?!どういうことですか」 「‥‥言ったら、引くよ。きっと」 「引かないですよ、言ってください。 何でも話せるって言ってたじゃないですか」 「うん。じゃあ言うけど。岸野くんが、 その年下でかわいい人だからさ」 「‥‥えっ?」 「やっぱり、言わなきゃ良かった?」 「あのっ、違います。そうではなくて」 嬉し過ぎて、言葉が出ない。 「川瀬さん‥‥僕の言った、高嶺の花は あなたです」 「ホント‥‥?!」 「はい。僕は、あなたが好きです」 まっすぐ川瀬を見つめると、 川瀬は僕のおでこに自分のおでこを付け、 囁いた。 「初めて、両思いになれた」 「そうなんですか?初めて?!」 こんなに美形なのに、とは言わなかった。 「うん、岸野くん。キミを大切にするよ」 「僕も、川瀬さんを大切にします」 微笑んだ川瀬が僕の顎に触れながら そっと顔を近づけてきたのを見て、 僕は震えながら目を閉じた。 誰にも秘密の恋は、こうして始まった。 後日、従兄弟の昌美兄さんが、 「あの洗濯機。信じられないかも知れない けど、今の奥さんが這い出て来たのが きっかけで、結婚することになったから。 お前にもとんでもない出逢いがあるかもよ」 と言ってきて、驚いた。 確かに洗濯機から人が、 それも僕の初めての恋人になる、 トップアイドルが這い出て来るとは 思いもしなかったよ、兄さん。
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