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女は赤のレーザーサイトが脳髄を抉るまで帰らないつもりだった。くだらない話だ。この夜に愛と正義を語るには場違いで反吐が出る。だが、女にとってそれが商売だった。
女はワインレッドのドレスを靡かせ、安モーテルに入っていく。ヒールを鳴らす度にドレスのスリット部分から肌が見え、通り過ぎる人間の性別を問わず、目線を誘った。ここがルート66のモーテル(あそこは寂れすぎて静かだ)であれば少しは気が収まるのだろうが、残念なことにここは繁華街から少し外れただけの場所。女はひとつ溜め息を吐いた。無駄な溜め息を。
「おかえり」
にへら、と不気味な笑みを貼り付けた男は女が部屋の扉を開ける前に顔を出した。女の鳴らすヒール音に気付いたのだろう。こいつの耳は人一倍いい方だ。動物の本能が宿っている。だからこそ、この商売に向いていて生き残っているのだろう、そう女は内心で笑う。
女は男に、酒場で無理を言ってマスターから貰ってきた極上のワインとチーズ、それから街中にあるマクドナルドで買ってきたハンバーガーを渡す。
「なに? おまえ、その格好でチープな店に行ったわけ?」
「貴方も大概よ。髪の毛とほおに血がついてるわ。殺人鬼もびっくりね」
「おまえのこと言ってんの?」
クツクツ、と喉奥で笑う男──ギルは女から袋を渡され、手に持っていたペンチを床に落とした。ごとん、血塗れのペンチは用済みと言われるかのごとく、足で蹴飛ばされ、部屋の隅に転がっていく。
「何本?」
「計12本」
「……足の爪まで剥いたの?」
「俺の拷問が生ぬるいって言いてぇのか? 訊き出す能力がねぇって」
「まさかぁ。派手で好きよ。拷問は痛めつけて痛めつけて、死ぬ寸前まで追い込むのが醍醐味じゃない」
「おまえの趣味も大概だな」
「退屈するのが嫌いなのよ。貴方もでしょ?」
女はギルのほおに飛ぶ血を指先で拭き取る。そしてその血を舐め取った。ギルはその凄艶に似合わない動作で袋を開け、いつもと変わらず大きなハンバーガーを口に放り込んだ。
安モーテルの部屋の奥に、バスルームが存在する。カタカタと安っぽい音がする換気扇が男の情けない泣き声を掻き消していた。
「それで? 吐いたのかしら」
「退屈とは無縁だったぜ」
女はギルが注いだワインを一口飲む。あの酒場のマスターは気が効く人間だ。グラスまで用意してくれた。ショットグラスなのが気に食わないがまぁ、及第点だ。白髪のダンディなマスター。ここに滞在する期間が長いのであればあの酒場にまた顔を出そうか。ワインボトルを見ながら女は思う。
女はグラスを捨て、バスルームを開けた。そこには椅子に縛り付けられ、血を垂れ流したひとりの男が泣きながら宙を見ている。女に懇願しているのか、それとも神の存在を見出したのか。死に際の人間はそれはそれは面白い。穴という穴から体液を垂れ流した男は指が折られたことにより、変形し、爪が無い。足の爪はなんとか8本無事だ。
「……こ、こ、ろせ」
「あら。言われなくても貴方はもう用済みよ。それに私は彼ほどイカれてないの。貴方の望みを叶えてあげるわ」
女は愛銃のベレッタPx4を太腿に巻き付けていたホルスターから抜く虫の息の男の眉間に突きつけた。
「かみ、…のご、意思……神よ」
「退屈ね」
愛銃が喉を鳴らした。女は神がこの世にいないことを随分と前から知っている。
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