Alpha

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 女はバスタブに無造作に置かれた血塗れの爪、計12個のそれを瞥見した。執拗に行われた拷問の形跡は瑣末なこと、ここでの通常(・・)だと思いつつ、サイコパスであるギルの嗜好も兼ね備えているのだと理解していた。だから、この後行われる悲惨な嗜みを、彼の欲求を満たす行為が行われるのだということも十二分に理解していた。  女は愛銃を太腿に巻き付けてあるホルスターに仕舞う。射撃の衝撃で男の身体は椅子ごと、バスルームの床に倒れていた。バスルームはクラゲのように赤い血が撒き散らされ、硝煙の香りと脳髄の芳醇な匂いが混ざっていた。  女は証拠は一切残さないことで有名だった。そう教え込まれたのだ。一部の暗殺者は自らの仕事の証、サインを残すために薬莢などを残していったりする悪癖があるが、女はそういった趣味はない。そういった悪癖がないのもクライアントから一目置かれる理由であった。聡明な子供が美貌を貰ったのであり、美しさでのし上がったのではない。確かな腕が女にはあった。それを面白く思わない人間もいる。 「終わった?」 「えぇ……、私もお腹が減ったわ。さっきのパーティー、出るもの全て味が濃くて食べられたものじゃなかったの」 「なら、なんでこんな店なんかに行ったんだよ。こっちだってそんな変わりねぇだろ」 「女の趣味に口出す男は嫌われるわよ」  薬莢を床から拾い、男の脳天突き破った弾丸を壁から抜き取る。それを熟れた果実のように実る豊饒な胸元に滑り込ませた。女の胸元は男たちに見せつけ、情報を訊き出す為だけの武器ではない。ここに小型のナイフや銃くらいなら隠すことができる。女であることを最大限利用している奴だと、ギルは常々思っていた。内心で拍手を送るくらいには女のことを敬畏している。  男と女は場所を入れ替える。女は愛銃を安モーテルに安っぽく存在するベッドの上にそっと愛おしい者を抱き下ろすかのように置いた。撃った後の愛銃はいつ機嫌を悪くするか分からない不安定さがある。遥か昔、まだ女が少女だった時のことだ。仕事が終わったと銃をテーブルに投げた時、運悪く暴発し、仕事仲間を撃ち殺したことがある。女はその男が嫌いであったから、不幸中の幸いだと笑った。だが、今後弾を無駄にしないようにと気を付けるようになった。 「ねぇ」 「……んだよ」  女は卓逸した美貌を貰っている。先程の殺しでもブロンドの美しい髪を一切汚さなかった。だが、今はほおいっぱいにハンバーガーを食らい付く。そういう数少ない二面性を見せるのは、組んで長いギルだけだった。だからと言って慣れ合おうという気持ちは女にはないのだから、ギルは女を可愛くない奴だと烙印を押していた。 「解体ってどのくらいかかるの?」 「おまえがそんな質問しなけりゃもっと早く済むぜ」  女と男は所謂、掃除をしなくて済む人間であった。死体を片付けるなどということは、下の者がする。それが序列だ。だが、男はそれを嗜好としていた。 「食べ終わったら帰っていいかしら?」 「俺とのディナーはお気に召さないか?」 「えぇ、だってあなた私より()に愛を捧げるんだもの」  女はハンバーガーの包み紙の中に12個の爪を入れ、持っていたライターで火をつけた。灰皿の中で燃えるそれを見つめ、ギルが男の身体に刃物を入れる音に耳を傾けた。  ぎこ、ぎこ、どこの骨を削いでいるのか、想像するのは安易だった。  
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