Alpha

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 シャロンはシガレットケースから煙草を1本取り出した。かちん、かしゅ、拷問にも一役買うシルバーの上等なライターで煙草に火をつけた。シャロンにとってハンドバッグに入る物は化粧品以外ならすべて武器になる。ハンドバッグに化粧品を入れるということは、余裕の表れと同義だった。ヒールの高い靴、いわゆるピンヒールはベルリンでの暗殺で使われた。男をヒールで殴り殺すのはシャロンが得意とする接近戦の形のひとつだ。 「Merci(ありがとう).」  運ばれてきたカフェ(エスプレッソ)にシャロンは店員の顔を見て笑みを浮かべ、そう蠱惑的に感謝を述べる。男性の店員は今日は良い日だ、と喉を慣らし、一礼して再度女の佳麗に舌鼓を打つ。  シャロンは小さなカップをそのしなやかで細い指に持たせ、コーヒーを喉に流す。こくん、嚥下される音さえ色香を放っており、美しさを存分に垂れ流していた。  暗殺者として活動する女がこんなにも美しさで周りを魅了していいのか? と同業者は考えるが、シャロンはこれまでにヘマをしたことは一度もない。他者の記憶に残ることは良しとされない社会で生きているのは確かだが、この華麗な女が殺しを専門としているという思考回路に落ちる者がそもそも存在しない。また殺しの腕がいいぶん、昼間のシャロンと夜のシャロンは乖離していた。昼間と夜に明確な境のある女。──自らの外見で仕事に支障があれば、面倒だが人を殺してしまえばいいとも考える。先程、コーヒーを持ってきたギャルソン(店員)が女を暗殺者だと気付き、警察に相談するようなことが万が一でもあれば殺す。シャロンにとって殺害は安易であり、また、得意なことでもある。罪悪感を覚えることは全くない。 「Darf ich mich neben Sie setzen?」  不意にシャロンの耳に入ってきた、隣に座ってもいいか? というドイツ語。シャロンはひとつ溜め息を吐き、煙草を咥えながら声のした方に目線を辿らせる。気怠げな溜め息と煙草の紫煙が混ざり合う。シャロンは目線を上げなくても、そこに誰がいるのかを理解していた。 「ここはフランスよ。郷に入れば郷に従え。日本の言葉を知らないのかしら?」 「なら、フランス語で。隣に座ってもいいかい?」 「Bitte(どうぞ).」  シャロンは皮肉混じりにドイツ語で着席を許可した。シャロンの隣に座った男は、アイコンタクトで店員を呼び、同じカフェ(エスプレッソ)を頼んだ。店員は女に連れがいたことを心底嘆き悲しんだが、女に似合う容姿端麗なドイツ人に納得せざるを得なかった。ダンディな髭を携えた男はシャロンに向き直り、慣れた手付きで距離を詰めた。 「ギルはどうした?」 「あの獣は夜行性よ。それに普段から行動を共にしているわけじゃないわ。相棒でもあるまいし」 「そうだった。忘れていたよ。君は常にひとりだ」 「可哀想だと言いたいのかしら?」 「美しく強い物は孤独と共にいる。それが世の常さ」
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