恋電信(テレグラフ・ラヴァー)

1/1
前へ
/1ページ
次へ
「アイツ、ホント時間厳守って出来ないよな。もう10分も遅刻してるし!」 下北沢駅を出てすぐの開けた場所で時計をチラチラ見ている一人の青年。 大きくため息を吐いて改札辺りに目をやる。 (早く来いよな。今日をどれだけ楽しみにしていたのか、お前に分かるか) 少し心の中で愚痴を吐きながら、その時を待つ。 それから少しして。 「お、お待たせ。待たせて悪ぃ! ヒロ」 背中に背負うバックを揺らしながら駆けて来る青年。 「やっと来た、ナギ! 遅い!」 「悪かったって。お昼驕るから許してよ」 「…まぁ、いいよ。今日は時間作ってくれただけでも奇跡だしな」 「すみませんね。バイト漬けと彼女持ちは忙しいのさ」 ナギはそう言いながら、ヒロの頭をわしゃわしゃと搔き乱した。 「お、おい! 髪はやめろ! セット大変だったんだぞ!」 ヒロは顔を赤くしながら、ナギの手を払った。 「元々サラサラヘアーなんだからセットも何もいらないっしょ。 ほら、行こう! お店混む前にさ」 ニィと悪い笑顔を見せながらナギはスタスタと歩き始めて行った。 ヒロは立ち止まって、自分の頭を触る。 (なんだよ。せっかく可愛く見せたくて、オシャレ、頑張ったのにさ) 彼に触れられた髪が何故かジンジンといつまでも熱を帯びているようだった。 似たような背格好の二人は都内の大学一年生。出会ってまだ三か月。 始めに声をかけたのはヒロの方だった。 ナギは余りにも整った顔をしていて、輝いて見えた。 俗に言う一目惚れと言う奴だ。 お互い都会育ちだった事もあり、共通点も多く、すぐに友達になれた。 だが、ナギにはすでに想い人が居た。 その人とは高校から付き合っているらしい。 まぁ、あのルックスだ。彼女の一人や二人、居ても可笑しくない。 彼女の写真も見せて貰った事がある。とても可愛い子だった。 最初から負け戦。 友達以上の関係にはなれない事を承知でヒロは密かに想いだけを募らせていた。 今日は奇跡的にお互い夕方までフリーの日だった。 二人でただ、服を買いにやって来ただけ。 ナギはそんな感覚だったが、ヒロは違った。 最早これは、ナギとの疑似デートなのだ。 だからこそいつも以上に気合が入っている。 自分の中で一番の勝負服で来たし、髪も整えて来た。 まぁ、先程の彼の攻撃で脆くも髪型は崩れたが。 「おーい、ヒロ。置いてくぞー」 少し離れた所からナギの声がしてハッと我に返った。 「今行く!」 ヒロの足取りは軽快だった。 一通り店を物色し、お目当ての服をブックマークした二人は少し早めの昼食を取る事にした。 「なぁ、マジで俺の奢り?」 「当然でしょ。たまにはいいじゃんか」 二人はハンバーガー屋でようやく席に通されたところだった。 すでに老若男女問わず、多くの人達で賑わっている。 先に頼んだ飲み物が届くと、二人はすぐに喉を潤した。 身体中に水分が染み渡る感覚に言い知れぬ幸福感を憶える。 「てか、マジで今年の夏は暑すぎじゃね」 ナギはそう言って服の首元をパタパタし始めた。 「確かにな。ハンディの扇風機じゃ追っつかないし…」 そう言いながらも、ヒロの視線はナギの首元へ勝手に向かっていた。 鎖骨の下にチラリと見えるホクロが妙にエロスを放っていた。 「そ、そう言えばさ。ナギってポケットWi-Fi買ったんだって」 有らぬ疑いをかけられる前にヒロは話を逸らした。 「ああ。外でもソシャゲをしたいから。この前契約したんだ。ほら、コレ」 ナギはバックの中から、黒色で四角の電子機器を取り出した。 「へぇー。やっぱり便利?」 「うん。ずっとWi-Fiだから無駄な通信料とか掛からないし。 ゲームもサクサクだし」 「いいなぁ。僕も買おっかな」 「でも、ヒロはPCゲーム派だろ? 有線のルーターの方が良いんじゃないか?」 「まぁね。けどさ、外でも使えるって言う部分が大きいなって。 一応、ソシャゲも齧ってるし」 「そういやさ。今、あのゲーム、イベント中だろ? ちゃんと周回してる?」 「ぐっ。耳が痛い…」 ヒロはすぐに唇をかむ。 PCゲームが忙しくて周回していないなんて悔しくて言いたくない。 実は二人は同じソシャゲにハマっている最中だった。 夏は何故か、ソシャゲ界隈が異様に盛り上がるのだ。 お得なキャンペーン期間にまんまと踊らされる。 「マジで? 勿体ない! 今から食い物が来るまで回ろうぜ」 「お、おう(食い物って…)」 だが、すぐにヒロは表情を曇らせる。 「でも、僕の携帯。今月通信料が…」 「だったら、俺のWi-Fi使えよ。ほら、携帯貸して」 ナギはすぐにヒロの手を掴んで彼から携帯を取り上げた。 「あっ」 手が触れた時、思わず声が出てしまった。 少し顔も赤くなってしまった。温かく優しい手だった。 ナギはニコニコしながら、自分の携帯を操作している。 本当に彼の顔は素敵だ。勿論、性格も。 ただ、遅刻する癖だけは許していないし、勝手に髪を触った事も まだ許していない。 「ほい、出来たっと。これでヒロも周回しまくれるよ」 「えっ?」 「俺のWi-Fiに繋いだんだよ。今後、俺と居る間は通信料無料でソシャゲが 出来るって訳。我を崇めなさい」 ナギは笑いつつ、自分の携帯画面に集中し始めた。 「あ、ありがとう」 ただ、彼の持つ電子機器と繋がっただけなのに、ヒロは少しだけ二人の関係性が前進した気がした。 そう思っただけで、自然と笑顔になっていた。 それから二人は食事を済ませ、キープしていた服を何着か買う事が出来た。 ナギとの初めての買い物はとても有意義なものだった。 夕方になり、ナギのバイトの時間まで猶予があったので、下北沢駅近くのカフェに入る事にした。 一つ、ヒロは試してみたい事を実践してみる事にした。 少しリスキーな実験だ。 それはヒロのもう一つの趣味を暴露する事である。 「あのさ、ナギってBL本って読んだことある?」 アイスコーヒーをストローで混ぜながらヒロはそう言葉を発した。 突然の彼の告白に、ナギは咳き込んだ。 「え、ええ? BL本? ボーイズラブって奴?」 「そう。僕、実はキラキラしている話が好きで、最近ハマっててさ」 「面白いの?」 「うん。眩しいくらい」 「そうなんだ。…いや待てよ。そういや、も読んでたかも」 「え。お前の彼女さん、腐属性?」 「多分。って、なんでそんなニコニコしてるんだ」 「だって、話が早いなって思って。今度、一緒に行かない?」 「唐突だな。まぁ、ヒロのお願いなら、いつか実現しようぜ」 「ホント? ありがとう」 ヒロはそう言いながら、弾ける笑顔を見せた。 その表情を見たナギは、思わずその顔を見つめてしまうのだった。 楽しい時間はあっと言う間に過ぎて行く。 二人は帰りの電車の混雑の中でもソシャゲに勤しむ。 その姿はとても楽しそうで眩しく、傍から見ればお似合いの二人に見えた。 「あ。俺、次で降りないと」 「そっか。寂しいな」 「また来週、学校で会えるじゃんか」 「そうだけど。初めて二人で遊べて楽しかったからさ。別れるのが辛いよ」 「そうだな。今日はめっちゃ楽しかったよ、また遊ぼうぜ、ヒロ」 「うん。僕はいつでも時間作れるから、声かけて」 電車は減速し、ナギが降りる駅へと近づいて来た。 「バイト、頑張ってね」 「うん。あー、この楽しい時間から一気に地獄だわー」 電車のドアが開く。 「それじゃあ、また来週学校で」 「おう。気を付けて帰れよ、ヒロ」 ナギはそう言いながら、右拳をヒロの前に突き出した。 「またね」 ヒロも同じように拳を突き出し、二人の手が触れ合った。 扉が閉まり、電車が動き始める。 ナギはずっとヒロに向かって手を振っていた。 ヒロは穏やかな気持ちになりながらも、携帯画面に視線を落とすと、 彼とのWi-Fiの通信が切れ、通常の通信に戻っていた。 (ナギ…) あの電子機器の通信範囲から外れ、いつもの生活に戻っただけなのに、 ヒロは言い知れぬ寂しさに包まれた。 叶わぬこの片思い。 だけど、自分の携帯に登録された彼のWi-Fi。 彼と会う度に繋がることが出来る。 それはまるで二人の恋が始まるような感覚に似ていた。 「ナギ、大好きだよ」 電車の窓の外を眺めながら、ヒロはふとそう呟いた。 それは決して誰にも教えない、彼の純粋で密かな想いだった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加