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「…っていうことがね、今朝あったの。」
夕食の片付けを終えた私は、用意した二人分のコーヒーをテーブルに置き、話しかけながら夫の隣の椅子に腰掛けた。夫の視線はゲームの画面に向けられたままだ。
「私のこと、まさか知ってる人だったのかな…。オレンジの香りが好きなんてこと、まるで知ってるかのように言ってたんだよね…。」
「へー、そっか、良かったじゃん!」
場にそぐわない明るい返事をしてきた夫を、横目で一瞥する。
(本当、いつものことだけど、適当なんだから。何が『良かったじゃん』なのかな、もう。)
しばらくそのままぼんやりとゲームの画面を覗いてみたり、SNSの更新を確認してみたが、それも次第に飽きてきた。私はコーヒーの最後のひと口を含み、不満と一緒に飲み込んだ。
「あー、今日はここまでにしとこ。」
夫がようやくゲームのコントローラーを離し、テーブルの上のカップに手を伸ばす。淹れたてには手をつけず、ゲームをしている間にすっかり冷めてしまったコーヒーを、今さら一気に飲み干した。
「そうだね、私もそろそろ寝よ…」
「ねえ。」
椅子から立ち上がりかけた所で、夫に腕をつかまれた。
「それで、その不安泥棒とやらのおかげで、今日は少し元気になった?」
「え?あ、さっきの話のこと?聞いてないのかと思ってた。別に元気かどうかと言われると…」
「ね、久しぶりに、しよ?」
「えっ…?」
正直なところ、今朝のこともあり酷く疲れているし、そういうことをする気分では無い。しかし、元気だ、とは言えないが、相手をすることもできないほどでは無いと思えてしまう。
ここで断るのにも、嫌な空気に怯まないでいられる気力がかなり必要だ。私は結局、身体を貸し出すことを選んだ。
「…わかった…。」
「何?そろそろ子ども欲しいな、なんて?」
「…それはまだ…。」
「結婚して3年経つし、そろそろ俺は良いと思ってるけどなー。案外、子どもがいると、あれこれ不安になったりしてる暇も無くて体調も落ち着くかもよ?」
「………考えとく。」
一理あるかもしれないが、子どもを使って自分が落ち着くかどうかという挑戦をしようなんて、思えない。夫が協力的になる未来が見えてこないのも、乗り気になれない原因の一つだが、そんなことはまさか本人には言えない。
私の服を脱がしにかかる夫のことが、一瞬獣物に見えた気がして、そんな自分のことがまた、つくづく嫌だと思った。
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