始まりの年

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年の瀬になり、吹き付ける風は肌を突き刺すほどに冷たくなっていた。 隼は無事就職も決まり、後は卒業を待つばかりだ。 最近は売られる喧嘩も買わずに、どうにかこうにか2人で逃げ回って避け続けている。 卒業までは…。 いや、もう子供じゃないんだ。 真っ当な道を歩むためにも、喧嘩なんてしていられない。 マフラーを巻いて、年越し蕎麦の片付けをしている母を覗く。 「初詣行くの?」 「ああ…。も少ししたら」 「寒いから気をつけなさいよ〜」 「ん」 キッチンに立つ母から離れないままに返事をすると、不思議そうにこちらを見た。 「…なによ」 「母さんは、何で俺のワガママきいてくれたの」 高校を卒業してから、予備校通って大学に行きたいと言った俺に、母は優しく微笑んでくれた。 子供なんだから、お金の心配なんてしないでやりたいようにやりなさいって。 金銭的に余裕があるわけでもないだろうに。 毎日昼間の仕事をして、週末はスナックで働く母には休みという休みなんて無いように見えた。 けれど、思い出す母の顔はいつだって笑っていた。 「ワガママ?…なに、大学の事?」 手を拭きながらこちらに向き直す母の手は、いつの間にかおばあちゃんのような手になっていた。 苦労は手に出るなんて、よく言うけれど、まさにその通りだ。 「馬鹿ね〜。子供が夢を見つけて、それを喜ばない親がどこに居んのよ」 「……でも」 今まで真面目に生きてた息子だったのなら、そう思うのも分かる。 けど、真面目のまの字も無いようなこんな息子が、夢を見つけたから浪人してでも大学に行きたいと……。 そんな事を突然言われて、応援できるような物なのだろうか。 「あんたには本当に沢山沢山、寂しい思いをさせちゃってたでしょ。あんたが我慢強くて、良い子だったから……つい甘えちゃってた。ごめんな」 「俺は…別にそんな……」 「だから、琉の夢のためならいくらでもがんばれる」 来年になれば、母が俺を産んだ歳になる。 実家の話も、父の話も聞いた事はないけれど、どれ程の苦労をしてきたのだろうか。 優しく微笑む母の姿に、何とも言えない気持ちが込み上げてきた。 「あ、ちょっと待ってて」 トントンと肩を二回叩かれて、寝室へと向かう母の背中を見送る。 戻ってきた母の手には、古ぼけた通帳が握られていた。 「卒業してから見せようと思ってたんだけどね」 「……なに、を…」 開かれた通帳に入っているお金は、見たことの無いような桁をしていた。 「あんたが産まれて……まあ、数年は貯金する余裕なんて無かったんだけどさ。もし大学行くって言われても、お金の事であんたが遠慮しちゃわないように…少しずつ貯めてたの」 「俺…そんなん知らなかったよ」 「親の意地ってのも半分」 あははっと高らかに笑う母は、誰よりも格好良く見えた。 そういえば、母が新しい服を買っているところを最後に見たのはいつだったろう。 派手な髪色にバッチリメイクをしている割には、ネイルをしている所は見た事がない。 メイク用品だって汚くなるまで大事に使っている事を知っている。 本当はオシャレが大好きな癖に、いつもパーカーかTシャツにジーパンを履いている。 子供の俺が言うのもなんだけどスタイルが良いから、別にダサいと思ったことは無い。 でも母さんはかわいい服とか着ないの?って小学生の頃に聞いたら、これが楽なの。って笑っていたのを今になって思い出した。 俺の服ばかり新しいのを買って、自分は何年も同じものを着ている。 「あんたは何も気にしないで、自分の夢を叶えてくれりゃ良いんだよ」 「……ごめん…馬鹿な息子で」 何も、分かってなくてごめん。
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