あのストロボライトが憎らしい

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 あたし、なんで歌ってるんだろう?  なんで、ギターかき鳴らしてんだろ?  なんで、音楽やってんだろ?  茜は、まだ汗ばんだTシャツにギグバックを背負って、他のバンドが演奏中であることも、ライブ自体が続いていることも無視して、ひとり、その箱を出ていった。  今夜の自身の演奏を思い返す。  良いとか悪いとかじゃない。  型抜きで取られて残った生地みたいな、要らない、求められない演奏だった。俯く先に、舗装されていない荒れたコンクリートが街灯に照らされて続いている。  これだ。あたしの演奏は、この未舗装のコンクリートみたいだ。  ――って、新曲の一節かよ。鼻で笑う。  鬱々としたまま、そのみすぼらしい道を歩いていると、一箇所、街灯が切れかけて明滅を繰り返している場所に気付く。  その下に立って、茜はその明滅を見上げた、  不安定に、苦しそうに呼吸するその街灯。  突如、茜は突き動かされるように、ギグバックから中学生の頃にお年玉を貯めて買ったフェンダーのバリトンテレキャスターを取り出し、そのストラップを肩にかけた。薄青いクリーム色のボディが街灯の明滅で光を吸ったり吐いたりする。  茜の肺も、それに合わせて呼吸する。  道行く人もいない、夜の田舎道。  月も灰色に隠れて、箱の中。  茜の頭上には、ストロボライト。  ――あたしには、これくらいでいいんだ。これくらいで。  茜はポケットからピックを取り出すと、大きく息を吸う。  吐き出すと、ピックでおもいきりかき鳴らす――  始まる。  あたしはこの世界からいなくなった。  何処までも響くギターの音。聞き慣れないあたしの歌声。  街灯が明滅を繰り返す。  朝が来る。波が弾ける。空が歪む。山が鳴り動く。  あたしの身体が、あたしから離れる。  自分が息しているのかどうかさえ分からない。  小人が、妖精が、宇宙人が、あたしを取り囲む。  彼らは星を摘まんで食べていた。  月は食べないの?   月はみんなの飲み物さ。   飲んだら減るけど、また増える。  満ち欠け?   いいや、減ったり増えたりなんてしない。   ここで会えたのは、きっと、宇宙が動いているからさ。  でも、今は朝よ?   いいや、君には朝に見えているかもしれないけど、我々には、いつだって夜さ。それで、次の瞬間には朝なんだ。  太陽は?   要らないよ。月があるから。  今はどっち?   夜さ。  今は?   朝さ。  今は?   夜だ。   朝だ――、そうやって、僕らも君も地球も宇宙も呼吸している。   何がそんなに、不満なんだい。  足りないの?   足りない?  いや、分からないの。  クッキーを焼こうとしたけど、既に型を抜き終えた生地しかないんだもの。私のクッキーは、干乾びて残った生地だけ。  しょうがないから、それを口いっぱいに含んで、みすぼらしい荒れたコンクリートの道を歩くだけの存在。  その所為で、口の中はいつもカラカラ、ねっちょり。  朝も、夜も分からない。   なら、繰り返せばいい。  繰り返す?   そう、繰り返す。  それでうまくなるってこと?   いいや違う。   +とか-とかじゃない。  なら!いったいなんなのよ!?   。   。   なあ、そうは思わないか?  ――かき鳴らす右手は意識を失ったようにだらりと下がり、ピックは降り落ちた。  脱力した格好の茜の後頭部に、その街灯はいつまでも明滅した燈を落とし続ける。  ああ、いい。  いいわ。  今、気持ちいい。とても気持ちいい。  そうね。あの宇宙人の言う通り。  繰り返すだけで、ただそれだけで美しいのかもしれない。  茜が頭上を仰ぐ。  明滅する街灯。  思わず、演奏してしまった。  誰も見ているわけじゃな――  パチッ、パチッ、パチッ――  明滅する街灯が、今日のライブハウスでの照明に重なる。  茜の心臓の鼓動も、客の疎らな拍手すらもそこへ――  ああ、ああ。  あたしを高ぶらせる、あいつ。  あたしをたぶらかす、こいつ。  この、あのストロボライトが憎らしい。  茜は困ったようにうっとりと微笑んでしまった。  その口の中はカラカラに乾いて、ねっちょりとしていた。
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