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SDGsとペーパーレス
派遣社員も長くなると、新しい派遣先に一日もいればその会社の様子がわかってしまう。
たとえば、出勤時のあいさつ。頼まれごとをされたときの返事。上司の部下に対する呼びかけ。昼時の女子社員の噂話。中堅社員のひとりごと。
個々の社員の机の上。共有スペースの乱雑さ。ホワイトボードの殴り書き。
明確な理由はないけれど、その雰囲気を肌で感じ取ってしまう。
女の勘?
夫や恋人の浮気に気づくのって、こんな感じなのかもしれない。
この会社はすこしおかしい。
山野香子は初日にそう思った。この地方都市最大手の不動産デベロッパー、高倉不動産。「おはようございます」に覇気がない。返事にため息が混じる。シカトしがちな女子社員。そうかと思えば、昼には噂話にかしましい。
あきらかに沈みかかっている。
こういう会社は何社か見たことがある。上層部が気づいて対処をすれば、それが間に合うか合わないかはさておき、まだよし。しなければ結末は想像通りだ。
この会社はどうだろう。間に合うだろうか。
シュッ。シュッ。シュッ。
香子は規則的に吐き出されるコピー用紙を見つめている。
「なぜ、今どきコピー?」
ペーパーレスって知っているか。SDGsもいわれて久しい。
そんな疑問は決して口にしない。いわれたとおりにいわれたことをする。それが派遣社員。
「悪いね。奥山温泉郷にはWiFiがとんでいなくてね」
リゾート開発室室長の小野がいう。冗談だろうか。笑えない。
「室長のポケットWiFiのロック、解放したらいいじゃないですか」
そういったら、小野は苦笑いした。
「だから、悪いって」
ねっ? と、笑いかける。こうやって数多の女をたらし込んできたんだろうな。
「はいはい、僕用紙のチェックするから、山野さん綴じてね」
そういって若手の及川はステープラーを香子に手渡した。このコピー機、ソート機能はついているけれど、ときどき二枚いっしょに排出される。チェックしないと白紙が混じるのである。なんのためのソート機能だ。微妙に役に立たない。案の定、及川は八枚ほど白紙を抜き取った。
「じゃあ山野さん、悪いけどこの白紙戻しておいてね」
十部きっちり綴じ終えて、及川の白紙の束と交換する。
「そうそう、SDGsね。大事大事」
茶化すように小野がいう。いや、ペーパーレスは。香子はつぶやく。小野室長がちょっとずれている。
いや、わざとだ。ぜったい。
まあ、温泉組合のご老人たちがお相手だ。タブレットとはなんぞや。コピーもやむを得ないだろう。フォントサイズは大きめにしておいた。なんて気の利く派遣社員。
「山野さん、ありがとうね」
そんな小野をよそに、及川はそういって、できた資料をかばんにいれるとさわやかに「いってきます」とほほえんだ。小野とふたり、車で四十分ほどかけて、WiFiの飛んでいない郊外の奥山温泉郷に出かけていくのだ。
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