演じていた犬

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 父親(三十六)、母親(三十四)、兄(十二)、弟(十一)。  都内でも指折りの資産家である岸田家で、四つの死体が見つかったのは、十月下旬の朝のことだった。  亡骸が転がった家からは、ただ、犬の大きな吠え声だけが、いつまでも響いていた。    猛犬注意、と張り紙をすべきだと、近所から何度も注意されていたのに、岸田家の四人の人間は誰もそうしなかった。  郵便配達員も、新聞配達員も、ときおり訪れた子供の友人も、みんなその犬に吠えられていた。  ――犬、飽きたんだよね。  岸田家の子供の兄のほう、岸田ジュンイチが私立小学校でよくそう漏らしていたのを、複数の同級生が聞いている。  そのせいなのか、この頃は散歩にも連れていかれていなかったらしい。  死体発見の朝、その犬の不満げな叫びを、たまたま散歩で通りがかった近所の老人が聞きとがめなければ、痛ましい事件の発覚はもっと遅れていたかもしれない。  その老人いわく、 「前からやかましい犬なんだけどね、おっかない吠え声で。でもその朝はいつもとはちょっと違う感じがしたんで、覗いてみたんですよ」  とのことだった。  岸田ジュンイチの同級生は、口々に 「ジュンイチの家の人はいつもえらそうで、いつかこんなことになるんじゃないかと思ってた」 「犬だからとか、犬のくせにとかって言ってたけど、いくらなんでもあんな扱いをしてたらこうなってもおかしくない」  とジュンイチの非を鳴らしもした。  岸田家の一戸建ての、庭に面したガラス戸は開いており、普段からいいかげんにつけられていたリードは、庭の犬小屋の横にぽつりと落ちていた。  一家はよく飼い犬を室内に上げていたらしく、廊下や階段にも犬の足跡がついていた。  血で真っ赤に染まった、発見当時のリビングにも。  岸田家の遺体に刻まれた首の傷跡は、死因が外傷性ショックと出血多量のいずれなのか判然としないものの、一目で致命傷と見て取れる状態だった。  血の海と化した現場は、駆けつけた警察官さえたじろぐほどの凄惨さだった。  口元を血で濡らした、狼のような風貌の犬は、警官を相手になお吠えていた。  また同じ日から、近所に住むある一人の小学生の様子がおかしいと、彼の両親が気をもむことになった。  これだけショッキングな事件であればやむを得ないことかと、両親は長い時間をかけて、彼の受けた衝撃をその精神から取り除いていこうと決めた。  その少年が、なにを見たのかを知らないままに。
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