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38 レイナ
砂礫の丘を越えると崩壊したビル群がみえた。かつて都市があったようだ。
ガニスたち四人と一体はそこへ向かって歩く。そこを今夜の寝床にするつもりだ。
「レイナ、センサーに反応は?」
「ないわ。機械も虫も」
「あの高いビルに籠ろう」
崩壊があまり進んでいないビルによじ登る。日が暮れてきた。
レイナは軍用コッヘルに水を入れバーナーで湯を沸かすと、なかにドライフードを入れる。やがてシチューの香りが漂う。腹が、鳴る。ガニスと大佐が来てそれぞれ器を出す。テリルとバイオノイドは朽ちた窓辺に腰掛け、外を見ている。
「へんね。テリルが真っ先に来ると思ったのに」
「人間は過去に食べたことのあるものを記憶する。味はもちろんだが、形、色、におい、もだ。何かの拍子で記憶が失われて行っても、最後まで残るのは匂いの記憶なのだ。これは生死に直結するからだ」
大佐が、寂しそうに言った。
「それって食ったことねえってことか。やれやれ。おい、お姫さま。お食事だ。早く来い」
ガニスは窓の側にいるテリルに言った。ゆっくりと振り向くテリルの顔は、なぜか夕日に照らされながら輝くように美しく見えた。ただガニスは声を失うほど、その刹那の光景を見ていた。
「これおいしい」
ちょっとは人間らしいことを言うと思った。さっきはまるで人形の顔のようだったと思ったから、ガニスは少しほっとした。
「俺はこんなものでなく、ちゃんとした肉やパンが喰いたいよ。もう久しく食ってねえ」
「おまえがいま食べている缶詰のそれは肉だろう?」
「なあテリル。教えといてやる。俺がいま食っているこれは肉の味はするが肉じゃない。こいつの原料は植物の豆だ。まったく違うものだ」
テリルはスプーンでおいしそうにシチューをすすると、ガニスに目を向けた。
「お前の言っているのは形のことだ。肉も豆もタンパク質という物質でできている。もとは一緒だ」
「いやそうじゃねえだろ。豆がモーと鳴くか?ああ?豆がそこらを歩き回るか?」
「おまえバカだろ」
「何をてめえっ」
ガニスが空いた缶を床にたたきつけた。すぐ頭に血が上る。悪い癖だと大佐もレイナも思った。
「人間は現在の自分を拒絶する唯一の生き物である」
「はあ?」
とつぜんテリルがわけのわからないことを言い始めた。
「人間の奥底には、生きる意味を死に物狂いで知りたがる願望が、激しく鳴り響いている」
「な、なんだよ。どういう意味だ」
「なんでもない。お前のことだ」
そう言うとテリルはアトラスとまた窓の亀裂のそばに行き、静かに腰を下ろした。
「なんなんだ、あいつ…」
「むかしこの世界にも文化というものがあったころ、そのなかのひとりが言った言葉さ。名をカミュと言う」
大佐は静かにそう言った。ケミカルライトの光が大佐をうすぼんやりと照らしている。
「だからそれは」
「生きろってことだよ、中尉」
そばで聞いていたレイナがその言葉でうなだれた。生きる?生きるって何?何で生きる…?
四人で向かい合いながら食事をしていた。その光景に過去が重なる。忘れようとして、ついに忘れられない光景だとレイナは思った。
ある、寒い朝、それは訪れた。レイナがまだ5歳の時だった。核爆発。遠い外国のことだと思っていた。こんな田舎にそんなもので攻撃されるなんてありえないと父は言っていたのに。それからこの星はずうっと冬のままになった。家畜は死に、農作物は枯れた。人がどんどん死んでいった。
4人の食卓はそれでも続いていた。食べるものは減ったけど、生きていくには充分だった。父はいつも笑っていた。こんな時だからこそ、と言っていた。母は優しかった。レイナの食べこぼしを笑顔で拭いた。姉は陽気だった。強くて美しい姉だった。レイナはいつもその美しい姉に憧れていた。
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