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53 空高く
唸るような油圧モーターの音だった。格納庫の巨大な扉が開かれて行く。
すでに整備と調整を終えたアローカが始動している。レナード大佐とレイナがコクピットに座っていて、計器のチェックをしている。
「ほんとにこんなもんで極北まで行けんのかな…」
胴体の補修箇所を撫でながらガニスがそうつぶやいた。これが帰投したとき、相当ダメージを受けて帰って来たとガニスは思った。心配なく飛べると大佐は言ったが、戦闘に耐えられるとは一言も言ってなかった。まあいまさらそんなことで不安になるガニスではなかったが…。
「なにを心配することがある。たとえ途中で虫が襲ってきても、あたしのドローンがいる。みな叩き落すだろう」
「だったらそのドローンで行けばいいだろ!」
「そうはいかないんだ…」
フルーツ缶から中身を必死にかきこんでいるテリルが無表情のままそう言った。
「どういう意味だよ。おまえの無敵のドローンさまだったら、難なく極北までたどりつけるだろ!」
「たどり着く前に叩き落とされる。壊れたとはいえアクシズの防衛機能は健在だ。アクシズの一部でしかないドローンなどハエ以下だ」
「マジかよ…」
じゃあこんな大戦末期の中古軍用機なんてあっという間に撃墜されるじゃねえか。ガニスは暗澹たる気持ちになった。まさに死にに行くのだから。
「心配はない。『クロック』に着くまではドローンは有効だ。そしてこの恐ろしくオンボロな機体なら、アクシズは脅威に感じない。中枢にはたどり着けるだろう」
「オンボロは余計だ。だがまあそういうことならいいとしとこう。その『クロック』とやらの中枢の飛行場まではな」
そこではじめてテリルはフルーツ缶から手を放し、ガニスを見た。不思議そうな目で見ている。
「飛行場?なんのことだ?」
「なんのことって…そりゃこいつが着陸するための飛行場だよ」
あらためてテリルはため息をついた。それも充分わざとらしくだ。
「はあ…、いいか?『クロック』に飛行場なんかない。あれはアクシズを守るための防衛機能だ。都市全体がその役割をはたしているんだ。そしてそれは最先端だ。飛行場を使わなけりゃ空に浮かびあがれない迎撃機なんてない」
「いやだったら着いたときどうすんだよ?」
「それは大佐が考えているんだろう。あたしにはどうすることもできないわ」
ガニスはもう黙った。これ以上不要な情報を聞いても、勇気の足しにならないと思ったからだ。もう空中だろうが地上だろうが、そこがガニスたちの墓場になることが容易に想像できた。
「なんで俺たちはついてきちまったんだろうな…」
格納庫の天井を仰ぎ見ながらガニスはそうつぶやき、機体胴体の搭乗口に昇るタラップに足をかけた。
「あたしが面白いと思ったからだろう?いままで充分面白かったし、これからもそうだ。だからそう悲観しなくてもいい」
「はあ」
「ハヤクノボレ」
バイオノイドがせっついた。まったくなにさまなんだよこいつ。テリルの保護者ヅラしたロボット風情が、最後まで付いてくる。その『クロック』に行けばどうせアクシズに無力化される。テリルはそういうようなことを言ったはずだ。
「おまえはついてこない方がいいんじゃないか?どうせあっちに着いたらすぐにぶっ壊されるんだろ?」
「ワタシハ ツネニ オ嬢サマトトモニ 存在スル」
「はいはい」
そのとき格納庫の警報器からけたたましい電子音と合成音声の警告が流れた。
――バグ 及び ノーマン の襲来を確認… 繰り返す バグ 及び ノーマン の襲来を…
基地全体が駆動をはじめたらしい。まだ生きている防衛システムが働いているのだ。
「虫とノーマンが同時に?どうなってやがんだ!ありえねえだろ!」
ガニスが搭乗口から振り返りそう叫んだ。
「アクシズがそう命じたんだ。そこに敵がいると。あたしたちはすでに認識された。アクシズの敵だということを」
「それでここに押し寄せてきたっていうのかよ!」
そう言いながらガニスは手を差し出した。そうしてテリルの手をつかむと、急いで機体のなかに引っ張り込んだ。
「おまえも早くな、ロボットさん」
「ナラ ハヤク ソコヲドケ」
「かわいくねえぞコラ」
「あはは」
テリルはなぜか笑っていた。だが外では戦闘が起きているようだった。激しい銃撃音と爆発音だ。基地の防衛システムがフル稼働しているのだ。
「さあ発信する!各自席に着きベルトを着用。一気に飛び上がる!」
大佐がそう叫んでスロットルを徐々に開けていく。低い排気音が急に高い金属音になって、機体は滑るように格納庫から出ていく。見渡す限り原野だったそこは、すでに光と炎と爆煙の世界だ。ありとあらゆるものがはじけ飛んでいる地獄のような光景だった。
「大佐!虫が来ます!」
レイナが副操縦席から見える窓越しにそう叫んだ。幾筋もの光源が機体をかすめて行った。ノーマンからも撃たれている。撃墜される、とレイナが思った瞬間、機体は浮かび、そして加速し仰角をあげほぼ垂直に空に駆けあがって行った。機体はものすごい振動を起こした。フラッター現象と言われ、容易に空中分解を起こす。それほど強烈な上昇を行っているのだ。
「大佐!機体がもちません!」
「まだだ、軍曹。こいつはそう柔じゃないさ」
「しかし!」
レイナの顔が恐怖で歪んでいた。いきなりレイナの肩をだれかつかんだ。急上昇中にあり得ない。ふと見ると、すぐそばにテリルの顔があった。
「レイナ、大丈夫。このくらいこの子はへーきだよ」
「こ、この子って…」
それが機体を指しているのかテリルを指しているのかレイナ自身もわからなかったが、この上昇中の機体のなかで自由に出歩けるテリルを心底恐ろしいと感じることだけはわかった。もうこいつ人間じゃない。いま改めて再認識したレイナだった。
まわりの空は青かった。空高く、飛んでいた。この高度では雲ははるか下だ。だがその空の上は、真っ黒な空間が広がった世界だ。もう虫もロボットもいなかった。そこは四人だけの、静かな空間だった。
――第一章 おわり
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