30人が本棚に入れています
本棚に追加
/123ページ
さっそく自転車を北に向かって走らせた。
都会に近いというだけの片田舎。市街地から少し離れると田園の風景が広がっている。県境の山に向かって伸びている県道から逸れると、父の実家がある集落に着く。
青空に矢印を描くのは燕だ。そのはるか上空にはまっさらな飛行機雲がどんどん伸びている。
――ああ、気持ちいいー。
大きく深呼吸。
胸の中にくぐもっていたモヤっとした塊を初夏の蒼い空気と入れ替える。
これでリセット完了!
明るい声と共に、古い平屋の玄関を開けた。
「おばあちゃん元気?」
御年八十二歳。まだまだ元気だと思っていたおばあちゃんだが、最近すっかりボケが進んできたのだとおじいちゃんが言っていた。
「あれ、順子さんかい」
「惜しいな。ジュリアだよ」
ママに間違えられる事にも、もう慣れた。
「休みなのに来てくれたのか」
おじいちゃんの出してくれた熱いほうじ茶を、土間の小縁に腰を掛けていただく。
「うん。ママたち忙しいんだって。しばらく来れないって言ってたから」
「お前くらいの年頃の娘だと、ほれ、デートとかあるんじゃないのか?」
おじいちゃんの悪気無い一言にまたもや「アハハ」と乾いた笑いで誤魔化す。
「ジュリア、彼氏がいないなら神だのみせえ」
なんでこんな時だけ、まともに話が通じるのよ――という目でおばあちゃんを睨んだが、おばあちゃんはニコニコと柔らかい笑みを湛えて、さらに話を続けた。
「わしも引っ込み思案だったでなあ。んで、〈いてこま〉の神さんにお願いしたらな、じいさんと巡り合った」
幸せそうな笑みをおじいちゃんに向けると、おじいちゃんは年甲斐もなく照れて、髪の少なくなった頭を掻いていた。
「んな、懐かしいことは憶えているんだな」
「忘れたら神さんが悲しむだろ」
――『罰が当たる』ではなく『悲しむ』んだ。
不思議な親近感を覚えた。
「おじいちゃん、どんな神様なの」
「んん、そこの県道沿いにある小さい神社だよ。うちから更に北に五、六百メートルくらいかな。ジュリアは行ったことないか? いてこま神社っての」
知らない――と首を横に振ると、神社の名前を銀行の封筒に書いて渡された。
――射手独楽神社……これで『いてこま』って読むのね。
「縁結びの神様だぁ」
おばあちゃんがニコニコと笑顔で言った。
最初のコメントを投稿しよう!