紅玉の指輪

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 都心から電車で一時間半、かつて交易の中心として栄えたという八百寺(やおじ)の街は、都心の賑やかさに慣れた身には少々物足りない「田舎」の雰囲気を纏っていた。 「ここもあんまり変わってないなぁ」  そう独り言ちながら駅前の繁華街を抜け、大通りを渡って路地に入ればそこはもう閑静な住宅街だ。そこから更に進むと、「骨董買います」の張り紙がされたガラス戸、見上げれば「橘骨董商店」の木製看板が掲げられていた。  普段なら立ち入るのに勇気がいる店構えだったがそうも言ってられない、拓也は意を決すると、ガタガタと軋むガラス戸を開けて店内へと足を踏み入れた。店内はしんと静かで、うっすらと埃っぽいような線香のような、なんとも言えない匂いがする。 「あの、すみません」  そんなに大きな声を出したつもりはないのに自分の声が妙に響く。盗難なんて頭になさそうな無防備さに、逆にこっちが気まずくなってきたところで、店の奥の方から声が聞こえた。 「お客さんでしたか、いらっしゃいませ。ゆっくり見て行ってください」  そう言いながら現れたのは、日焼けした肌の大柄な青年だった。大学生の拓也とそう変わらないだろう年頃だろうか、緑縁の眼鏡を掛け、明るい色のポロシャツを着たジーンズ姿、左手首には鈴のような飾りがついた腕輪を着けているあたり、掛け軸や壺を扱う骨董屋というよりお洒落な古着屋の店員のようだ。面食らって立ち尽くす拓也に気を悪くした風もなく、青年は店番するときの定位置と思しき椅子に腰かけた。 「あ、あの! 俺、おばあちゃ……、祖母に頼まれてきたんです」  拓也が鞄から取り出した封筒を受け取ると、「ああ、結城さんの」と言いながら中身を取り出し読み始めた。一通り目を通した青年は、おもむろに店奥に向かって「ばあちゃん、お客さんにお茶出したげて」と声を張ると、売り物だろう椅子の座面を手で払いつつ拓也に座るよう促した。 「改めていらっしゃいませ、俺はこの店の店主をやってる橘といいます」  そう言うと手近にあった棚から名刺を一枚取り出し拓也へ手渡した。 「橘……せいてん?」 「晴天って書いてはるたかって読みます。でも俺、名前のわりには雨男なんですよね」  おそらく彼の鉄板営業トークなのだろう、にやりと笑う晴天に拓也が愛想笑いを返していると、横から緑茶の入った椀を差し出される。愛想の良い老婦人が「ごゆっくり」と一礼して奥へ引っ込んでいった。 「橘さんが店主、なんですか」 「ここだけの話……祖父が去年腰を痛めちゃいましてね、俺はまだまだ頑張れるって言ってたんですが、俺が継ぐからって半分強引に引退してもらっちゃいました。まあ、そんな訳で店主を名乗らせてもらってるんですが、毎日勉強させてもらってますよ」  俺みたいな若造が骨董の鑑定なんて不安かもしれませんが、小さい頃から骨董品に囲まれて暮らしてたんで目利きには自信がありますよ、と流れるように話を続けられ、拓也は曖昧に相槌を打つことしかできない。 「結城さんには生前から当店を贔屓にしていただいてました。亡くなられたのは本当に……残念です」  祖父へのお悔やみの言葉を丁寧に述べた後、晴天はさっきとは別の棚にある引き出しを開け、一通の封筒を取り出してみせた。そこには、少し尖った右上がりの癖がある字で「橘骨董商店御中」と書かれていて、自分が死んだ時は今まで収集した品の整理をそちらに任せたい旨の一筆が祖父の名でしたためられていた。  そう、拓也がわざわざこんな店まで来たのは祖父が先月亡くなったからだ。  遺言書に「所有していた骨董の整理は橘骨董商店にお願いしろ」と書かれていたのだが、拓也はこの手の業界は価値ある品を二束三文で買いたたく悪徳業者も多い、とテレビのニュースやネットでの注意喚起を見ていた。父は諸々の手続きに追われて多忙を極めており、さらに仕事もあって都合がつかない。ならば大学生で時間の融通が利く拓也が、押しに弱そうな祖母に代わって窓口になると自分から引き受けたのだった。 「では正式な依頼としてお受けさせて頂きます。結城さんのお宅へ伺う日取りを決めておきましょう。あとそうだ、これは前もって言っておきますが鑑定は有料になってます」 「金取るんすか」  顔をしかめる拓也の心中を察したのか、晴天は透明な下敷きに挟まれた料金表を指し示す。固定の金額もしくは付いた値段の何パーセントか、いずれか安い方と書かれていた。 「まあ、今どきのリサイクルショップだと買い取り査定無料、なんて謳ってたりするけどね。いい加減な鑑定はしないっていう骨董屋の誠意だと思ってほしいです」  そう言われると拓也としても返す言葉がない。テレビの骨董品鑑定番組に出ていた「鑑定士」と呼ばれる人たちの知識は膨大なもので、それを身に着けるのは一朝一夕で済むものではない事は拓也にだってわかる。それを「タダでやってくれ」というのは店の商品を無料で寄越せと言うのと変わらない。査定無料を謳うリサイクルショップの中には、粗大ごみの処分や不用品の回収も引き受ける代わりに買い取り値が安く設定されている、と聞いたこともある。遺品整理が目的ならば知識も少ないアルバイトに査定を任せても良いのかもしれないが、拓也の目的は価値があるだろう骨董品の鑑定なのだ。それに、祖父は生前からこの店の常連だったみたいだから、鑑定が有料だったことも知っていた上で頼むよう遺言書に書いておいたのだろう。値段のついた品から査定料を差し引くというやり方もあると提示され、拓也は取りあえず納得して鑑定を依頼することに決めた。  その後は家の近くに車を停める場所はあるか、立ち会う人数や鑑定する品の大まかな数や内容などをざっと打ち合わせ、拓也は店を後にした。骨董店の店主と聞いて、もっと頑固そうな年寄りの相手をするものだと思い込んで、何なら若造だと舐めた態度をとられたときにどう返してやろうかとばかり考えていただけに、まるでスマホの機種変をするかのような普通のやり取りに拍子抜けしてしまった。駅に向かって歩きながら、後日骨董屋の人が来ること、その時は自分も立ち会うこと、準備があるなら手伝うことなどを祖母に伝えて通話を切る。  そこでふと思い出す、あの時、晴天に渡した封書は祖母が書いたものだ。 「ねえ拓ちゃん、たちばなって漢字はどう書いたかしら?」  そう祖母に聞かれて、スマホで拡大させた字を見せてやったことを思い出す。 『ああ、結城さんの』 「橘骨董商店御中」とだけ書かれた封筒を受け取った時、どうして祖父だとわかったのだろう。封筒には裏書きもなかったというのに。
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