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エピローグ
入院期間を考慮して退去の日をずらして貰い、角屋さんが厚意で引っ越し先を手配してくれた。
久々に訪れる403号室は、少し前まで乙女さんと暮らしていたとは思えない程に空虚だった。二段ベッドの上段は綺麗なもので、散乱した洋服もごみも無く、硬くて冷たいマットを捲ると御札がびっしりと敷き詰められていたが、効果のほどは、まあ、実証済みである。
少ない荷物を段ボールに詰め終わった。
部屋の唯一の窓から、光が差し込む。
――ここから星が見えるとか、変なことを言う幽霊だったな。
雑にガムテープを重ね張りしたせいで、窓枠はべたべたと粘ついている。少しでも綺麗に出来ないかと表面を擦ってみたが焼け石に水だ。
僅かに歪んだ窓枠の金具に、何かが引っかかっているのを見つけた。それは窓枠と壁の隙間に入り込んでおり、爪を差し入れても届かない。10円玉やらヘアピンやらを駆使し、ようやく取り出せたそれは、ネックレスだった。
星をモチーフにした小さなネックレス。
角屋さんの伝手で過去に勤めていた女の子に連絡を取り、確かに乙女さんの私物だと証言が取れた。
あの部屋でストーカー男に襲われた際、窓枠に引っかかってしまったのかもしれない。
乙女さんの身に起こったことを想像すると、悲しくて、かわいそうで、自死する気持ちはどこかに吹っ飛んでしまった。
「忘れ形見として、翠っち……じゃなくて、瑛子さんが持ってれば?」
「いいんですかね。私なんかが」
「遺品整理にも来なかった親に渡すより、乙女さんも嬉しいと思うよ。……ていうか親父さんへの挨拶、北海道に引っ越す前に行っとかないとね」
「挨拶とか、別によくない?」
「駄目。俺がそういうの気にするタイプだから」
「面倒……」と言いながら、私の緩んだ頬を、角屋さんがつついた。
一度手放しかけた私の人生は、もう少しだけ、図々しくも続けてみるつもりだ。
おとめ座で最も明るい恒星、スピカの和名が『真珠星』であることを知ったのは、それからずっとあとのこと。
ギリシア神話にこんな逸話がある。
人間の愚かさに嫌気が差した神々が次々に人間を見限って去ってゆく中、最後まで地上に残った女神・アストレア。
しかし、ついには女神も人間に失望し、天上へ昇った。
そんな彼女の姿がおとめ座になったというが、都会の薄い夜空では、その巨大な星座のすべてを見ることは出来ない。
了
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