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4. H0M1CIDE
退店の日、角屋さんがわざわざ顔を見せてくれた。柿のお礼だと言って商品券をくれた。そしたらちょっとだけ涙が出た。私も、もう年齢だから、そういうさりげない優しさに涙腺が緩むのだ。
店を出るので寮も出なければならず、乙女さんが二人だけのお別れパーティーを開いてくれた。最後だからと部屋に酒を買い込んで、普段酒を飲まない乙女さんと一緒に浴びるように飲んだ。
「母が不倫して蒸発して以来、ずっと父親と二人暮らしで。生まれは北海道らしいんですけど」
「北海道のどこ?」
「さあ。瑛子って言うからには美瑛の近くかもです。知らんけど」
気が付いたら酎ハイを片手に身の上話を滔々と語っており、乙女さんは聞いているんだかいないんだか、へらへら笑って焼酎を流し込んでいる。この分じゃ、潰れてしまえば朝まで起きないだろう。
「いっそ北海道に住んじゃえば?」
「夏生まれなんで雪国は無理です」
「あたしも夏生まれだよ。だからおとめ座の乙女」
あ、そうなんだ、ちゃんと由来あるんだ、と妙に感心した。私の源氏名は適当につけたから。
「ん~。翠ちゃんなら大丈夫だと思うけどな。あたしこそ、もう無理。この部屋から出られない」
「乙女さんのほうが貯金あるだろうし、出ようと思えば出られますよ」
「うーん……」
まだアルコールがたっぷり残ってふらふらな乙女さんを無理に立ち上がらせ、寮の廊下に出す。
タクシーを呼び、迎車の後部座席に乙女さんを乗せた。行き先は私の勤める店だ。
「ほんと。出られるもんだねぇ……お酒の力ってすごーい」
「はいはい」
泥酔状態の客を乗せたくないのか運転手は微妙な表情をしたが、私が前払いで倍額を支払うと、文句は言われずに発進した。
タクシーを見送り、寮に戻る。
そのとき、すれ違った男から懐かしい匂いがした。その頭の薄い、小柄で老いた人物。
彼は大きなリュックを重そうによたよたと歩く。
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