第十話 二人だけの飲み会

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第十話 二人だけの飲み会

『朝日野、久しぶりだな。去年ライブ行った時ぶりだよな』 『森川くん、久しぶり。そうだね、ライブ以来かな。どうかしたの?』 『実は昨日の夜にお前のこと見かけてさ。浅草にある睡蓮花で飲んでただろ』 『あぁ、うん。あの場所お気に入りなんだ』 『それでさ、別に聞く気はなかったんだけど朝日野と友達とで話してる内容が聞こえてきて。お前、死にたいとかそんなこと言ってたからちょっと心配になったんだ。母親とのこともあるだろうしさ、大丈夫か?」 『それで連絡してきてくれたの?ありがとう。母さんとは色々と問題はあるけど、何とかやってるし元気だよ。心配させてごめん』 『元気ならいいんだけどさ。あと、それとな。お前が一緒に居た友達の中に歳が近そうな…男子の方居ただろ』 『ああ、小鳥遊野薔薇さんって言うんだ。僕の大学の先輩なんだよ』 『まじか。先輩だったのかよ…。その先輩さ、前にネットでバズってるの見たんだよ。いや、バズってるっていうか炎上?本人じゃなくて、その先輩のこと動画で隠し撮りした奴の投稿なんだけどさ』 『え、炎上!?まぁ、確かにあの人変わり者だから、色々と問題は起こしてそうだけど…』 『これこれ!この投稿だよ』 友人から送られてきた投稿文には『駅前で宗教勧誘してる奴いた笑』という文章が書かれ、三十秒ほどの動画が載せられていた。僕は動画の再生ボタンをタップした。映像は朝の通勤ラッシュで人が多いどこかの駅で、大勢の人が行き交っていた。その中でも一際目立っている人物が僕のよく知る人、野薔薇さんだった。野薔薇さんは拡声器を通して「諸君、これまでに一度でも死にたいと思ったことはないか!?」なんてことを叫んでいた。行き交う人たちはチラチラと野薔薇さんを横目に見ながらも通り過ぎていく。また何人かの人はこの投稿主と同じように動画を撮ったり、写真を撮ったりしていた。野薔薇さんはそんなスマホを掲げる人の傍に歩み寄ると、僕や飲み会メンバーに声をかけたときに似た台詞を口にしていた。動画の終わりでは駅員がやって来て野薔薇さんの行動を注意しようとしているところで終了した。 僕は動画を見終えると投稿に寄せられた数百ものコメントに目を通した。『最近頭おかしい奴多すぎ』『死にたがりを集めて犯罪でもするんじゃないですか』『宗教の臭いがぷんぷんする』『コイツ、前に渋谷で見かけたぞ!』『こわ…、基地外はさっさと病院にぶちこめ』『私も死にたがりとか言ってるならとっとと死ねよ笑 迷惑な奴』なんて野薔薇さんに対する誹謗中傷がつらつらと書かれていた。そう言われても仕方がないことをしているが、友人として僕は複雑な感情を抱きながら森川くんとのメッセージに戻った。 『野薔薇さん、結構こういうことする人なんだよ。でも悪気があってやってるわけじゃないんだ』 『朝日野の友達で先輩だし、俺もそんなに悪く言うつもりはないけどさ。もうちょっと付き合う相手考えた方がいいと思うぞ。これって異常だって。昨日の夜飲んでた時に一緒に居た女子の方、あの子も急に叫び出したりして怖かったし』 『あれは僕らが悪いんだよ。聞いちゃいけないことを聞いたりしたから』 『ふーん。まぁ、とにかくさ。変な奴と一緒にいるのはやめろよ。狂った思想が移ったりするだろうし、本当にお前の先輩、おかしな宗教に嵌ってたりしたらどうするんだよ。何か困りごとがあればいつでも相談に乗るから。連絡してこいよ。また高校の時のメンバーで飲みにでも行こう』 『うん、色々ありがとう。また連絡するよ』 『おう、またな。こっちからも連絡するよ』 メッセージのやり取りを終えた僕は、言葉では言い表せない感情に襲われてスマホをベッドに叩きつけるようにして投げ捨てた。 久しい友人からのメッセージで、自分のことを案じてくれるのは嬉しかった。一年近く連絡を取り合っていなかったが、一年前と変わらず話しかけてくれること、心配をしてくれること、親との関係のことだって覚えてくれていた。森川くんは人が出来ている。善良な人間なのだ。そんな彼に僕は怒りの感情を持ってしまった己の醜さを恥じた。彼は純粋に僕を気遣ってくれただけではないか。それなのに僕は友人を罵られたように感じたのだ。野薔薇さんは変人で周りに迷惑をかけても何とも思わない最低な人間だと僕は知っている。それでも彼は心を病んだただの死にたがりだった僕に居場所を作ってくれた人だ。先ほどの投稿主やコメントを残した人たちだってそうだ。どうしてたった一面だけを見て、あそこまで人を馬鹿に出来るのだろうか。基地外だなんて暴言を吐けるのだろうか。そんなことを言える人たちの方が頭がどうかしてる、異常者ではないのか。森川くんは僕を気遣ってそんなことは言わなかったが、きっと心の中ではそんな風に思っていたのだろう。そして、僕も狂ってしまうのではないかと不安になったのだろう。だけど、誰も狂ってなんていない。いや、違う。みんな狂っているのだ。生きる人誰もが頭がおかしい。ただそこにあるのはマジョリティとマイノリティだ。 僕は心の中で荒れ狂う複雑な感情の波に押し流されそうになった。野薔薇さんも浅見さんも堀木さんも、それに天王寺さんも僕の素晴らしい友人だった。誰にも否定されたくない、心の拠り所なのだ。これを依存だというのなら僕はそう罵られたって構わなかった。苛立ち交じりにマットレスを殴りつけ、大の字になってベッドに寝転がると瞼を下ろした。 不条理だ。僕たちは苦しんでいるのに、生きて声を上げている限りは精神に異常をきたした人間として腫れもの扱いされたり、邪険にされたりする。でも自ら命を絶った時、そんなに辛かったのかと理解されるのだ。どうせ何も出来ないのなら黙っていてほしい。近寄らないでほしい。僕たちをそっとしておいてほしい。誰も、無責任な自己陶酔の人間になんて助けてもらおうとは思わない。僕は、僕たちは、自分のことは自分で決められるのだ。 ぐるぐるぐるぐると思考が巡り、心を落ち着けようとしても嵐の夜の海のように荒れていた。目を開けて上半身を起こし上げ、意味もないアクションを取ったりする。もう一度瞼を下ろし、深呼吸をする。そんなことを数回繰り返していると、ようやく思考が纏まり始め、僕は徐々に落ち着きを取り戻していった。同時に穏やかな眠気に襲われ、大学もバイトもないその日は昼間にうつらうつらと居眠りに身を任せた。 翌週の金曜日。昼間に浅見さんから「今日は行けない」というメッセージが届き、夕方ごろには野薔薇さんから欠席の連絡が届き、今夜は珍しく僕と堀木さんだけの二人メンバーとなった。僕はこれまで十回以上開かれてきた飲み会を欠席したのは一度だけだったが、それ以外でも最少は三人が二回あっただけで比較的揃いやすいメンバーだったのだが、天王寺さんがいなくなり四人に減ったことで、こうして滅多にない二人の飲み会が開催されることになった。 僕と堀木さんは通されたカウンター席に腰を下ろし、注文を済ませた。最初に運ばれてきたお通しを余所に僕たちは「お疲れ様」とグラスをかち鳴らせると、乾いた喉をアルコールで潤した。堀木さんが一杯目をお茶のようにぐびぐびと飲んでいくのはいつものことだったが、今日は珍しく僕もカシスではあったものの半分近くまで一気に流し込んだことに堀木さんは驚いた顔をした。 「おいおい、そんなに一気に飲んで大丈夫か?」 僕は濡れた唇を拭うと目尻を下げて「大丈夫ですよ」と応えた。アルコールには強い方だったため、いつもより酔いが回るのが早いだけで悪酔いすることはないだろうと思った。僕はこの一週間ずっとモヤモヤしていたのだ。旧友の森川くんとの件が僕の心に暗雲を立ち込めさせていた。こういった時に限って大学でも野薔薇さんと遭遇することがなく、今夜も欠席になってしまったのだが、僕は逆に都合が良いと考えることにした。僕の友人が貴方のことを悪く言っていたなんて、さすがに野薔薇さん相手にでも言いにくいことだ。堀木さんは飲み会メンバーの最年長者で僕よりも人生経験も豊富だ。かつて虐めをしていた人間ではあるが、今は反省して真面目に生きており、ブラック企業のせいで虐げられる側の気持ちも理解している。僕の知り合いの中で彼以上に相談相手に打って付けの人はいないだろう。そういった意味では浅見さんが欠席してくれたことも助かった。彼女に聞かれたくないわけではなかったが、真剣に相談に乗ってくれるタイプではないのだ。これは神様が与えてくれた機会なのだと思うことにして、僕はグラスを机に置くと切り出し方を迷いながらそろそろと口火を切った。 「あの…、実は堀木さんに相談したいことがあって……」 「相談?俺みたいなクズでよければ、どんな話でも聞くよ」 自嘲的に嗤った彼はいつも通りで、僕は慰めやフォローはせずにただ感謝の気持ちを伝えた。そして、先週の土曜日に友人とやり取りした内容をすべて打ち明けた。もちろん僕は飲み会メンバーを抜けるつもりはないが、森川くんの話に耳を貸すべきなのかどうかという点が問題だった。まさか野薔薇さんがおかしな宗教に入っており、その勧誘にこの飲み会を開いているだなんて僕には考えられなかった。それとも、ここから宗教かセミナーのような怪しいことを始めようとしている?僕は自分の頭の中の考えを打ち払おうと首を横に振った。 「あぁ、その投稿俺も見たよ。正直小鳥遊の行動は擁護出来ないからな、叩かれても仕方ないだろうと俺は思う。だけど、小鳥遊は大事な友達だ。変人かもしれないけど、俺たちをどうこうしようなんてそんなこと考えてないって信じたい」 堀木さんは駅のホームで飛び込むかどうか迷っているところで野薔薇さんに声をかけられたと話していた。僕もこれまで何度も駅のホームで先頭の列に立っていると、このまま飛び込めば楽になる…なんてことを考えた。それでも僕が模型のようにその場に立っていたのは、人に迷惑をかけたくないという気持ちと、否定は出来ない死の恐怖のせいだ。堀木さんもきっとそんな葛藤の中で一歩を踏み出すかどうか迷っていた。堀木さんの迷いは同じ死にたがりの野薔薇さんに伝わったのかもしれない。僕たちが声をかけられたのは本当に偶然だったのだろうか。実際のところ野薔薇さんには、そういう人間を見抜く洞察力を少なからず持ち合わせているのではないか。しかし、そんな能力があるのだとすれば街中でいろんな人間に声をかけたり、駅で拡声器を使って演説なんてする必要はないだろう。僕には野薔薇さんの考えていることがさっぱりだった。あの人の考えていることなんて、これまで一度も理解出来たことなどないのだが。 「僕も野薔薇さんのことは信じてます。宗教とかそういった活動自体を否定するわけでもありませんし。仮に野薔薇さんが何かしらの信者だったとしても、誰かを騙したり、犯罪に手を染めてるとかそんなことでなければいいんです」 「そういうのは本人の自由だからな。俺も口出しするつもりはねえよ」 「でも、疑問があるとすれば野薔薇さんはどうして死にたがりを集めて飲み会を開こうと思ったんでしょうね。だって野薔薇さんって他人に依存するのを嫌うじゃないですか。他人に生きる意味を見つけたくないってそういう考え方じゃないですか。なのにどうして…」 まるで野薔薇さんを疑っているような発言になってしまったが、僕はふと浮かんだ疑問を無視は出来ずに堀木さんに投げかけた。そんなもの本人しか知るはずがないのに、僕は堀木さんなら何か答えを提示してくれるのではないかと期待した。すると堀木さんは目を白黒とさせ、僕の顔をまじまじと見つめた。まるで、なに言ってるんだ?とても言いたげな訝しげな眼差しに僕は眉間に皺を寄せた。 「それと一人で居たいかどうかは別の話だろ」 「え?野薔薇さんって一人が好きなんじゃないんですか」 「一人は好きだろうけど、だったらずっと一人でいるのか?それって孤独ってことだろ。朝日野は小鳥遊が孤独を愛する男にでも見えてんのか?」 「それは…」 僕は堀木さんからの問いかけに言葉を詰まらせた。タイミング悪く料理が提供されたが、彼がお礼を述べている横で僕は思考の渦に呑まれかけていた。一人が好きなのと孤独が好きなのはまた別の話。それは僕にも理解できる。僕も一人で居たい、誰にも構われたくないと思うことは多いが、決して孤独になりたいわけではないのだ。孤独とは僕の存在がなくなること。僕が忘れられること。僕が最も恐れていることだ。しかし、堀木さんが言うことが本当ならば野薔薇さんは友人が欲しくて僕たちに声をかけたのだろうか。僕にはどうしてもそうは思えなかったが、心の奥深くに引っかかるしこりのようなものを堀木さんに説明するのは難しかった。 思いつめた顔つきでグラスを見下ろしている僕に、堀木さんはヘラヘラと笑うと「なんて…俺も他人の気持ちは分からねえけどな」と付け加え、ビールを豪快に飲むと焼き鳥にしゃぶりついた。そもそも僕は野薔薇さんが僕たちをどうして集めたかなんてそんなことを推理するために堀木さんに相談をもちかけたわけではないのだ。一週間前から続く気持ちの靄を取り除きたい、ただそれだけだった。だから僕は先週に浅見さんの件で野薔薇さんを咎めたにも関わらず、堀木さんのグレーゾーンに足を踏み入れる覚悟を決めた。 「堀木さん、もし気分を害したら申し訳ないんですけど…それに、答えたくなかったら答えなくても大丈夫なので」 「ん?何だよ」 咀嚼していた焼き鳥を生ビールで流し込んだ堀木さんは僕にちらりと視線を投げかけて、すぐに料理に向き直った。僕は一切料理には手を付けないまま天井から吊り下げられて揺れている照明の灯りが反射したグラスの中を俯瞰した。 「高校時代、どうして堀木さんはいじめをしてたんですか」 僕は過去のことなんてまったく気にしていなかった。堀木さんに反省の色がなければ話は違うが、彼は更生しているのだ。当時のことを何も知らない他人の僕が、過去の罪で彼を問い詰められるはずもない。だが、この質問はまるで堀木さんのかつての大罪をほじくり出し、再び裁判にでもかけるようなものだった。 堀木さんを怒らせてしまっただろうか。ショックを受けてしまっただろうか。そんなことをぐるぐる考えながら恐る恐る堀木さんの顔を覗き見てみたが、彼にはそのどちらともの感情も浮かんではいなかった。堀木さんを言い表すのに最も相応しい表情は正しく悲哀だ。だが、僕に責め立てられたことが理由ではない。己の罪に向き合い、懺悔の心が満ち溢れ、後悔で頭がいっぱいになってしまって生まれた悲しみ。彼はこれまでに何度も罪の意識に襲われたのだろう。それも死にたくなるほどの罪の意識だ。僕は堀木さんが答えてはくれないのではないだろうかと思ったが、彼は暫くの沈黙のあと唇を震わせた。 「……俺は夢もやりたいことも何もなかった。勉強にもスポーツにも精を出してたわけじゃねえし、これといった趣味もない。本当につまらない奴だったんだよ。俺でも行けるような高校に入学して、部活も別にやりたくなかったが教師が内申点がどうだなんて言うから適当に入って、それなりにやってた。何も楽しいことなんてないけど、別に辛いこともない。そんなつまんねえ変わり映えのしない毎日だ。俺はそれでもいいと思ってた。変化なんて求めないし、刺激なんて必要ない。惰性で生きてればいいってな。だけど三年生になって、周りが大学受験やら就職やらの話で持ちきりになった。皆こんな仕事をしたいからどこの大学に行くとか、こういう勉強をしたいだとか、夢ややりたいことがあった。俺はそんな奴らを見て羨ましくなった。それと妬ましくもな。日に日にそんな感情が抑えられなくなって…つまり、誰でもよかったんだよ。ただの八つ当たりさ。俺がつるんでたグループに木下って奴がいて、そいつは将来就きたい仕事が決まってたんだよ。だからいつも必死に勉強していい成績を残してた。大学だって俺なんかじゃ到底いけないようなところを目指してたよ。そいつはいつも俺たちの後ろをちょろちょろ付いてくる、言わば金魚の糞だったんだよな。だから余計いじめやすかったんだよ。最初はほんの冗談半分のつもりだったけど、俺がちょっかいをかけ始めたら俺と同じような奴らは寄ってたかって木下で遊び始めた。それがどんどんエスカレートして、気が付けばいじめにまで発展してたよ。でも木下はいじめられようとも学校には毎日通ってたし、受験勉強も怠らなかった。真面目な奴だよな、尊敬するよ」 当時のことを思い出す堀木さんはいつもは見せないような険しい顔付きをしていたが、僕は彼の語りを止めようとはしなかった。それどころか聞き込んでしまっていた。 夢もやりたいことも何もない自分。周囲とのギャップに焦燥感を募らせる。僕にだって覚えがない感覚ではないのだ。母のために…それがいつも僕の原動力で、僕には僕自身のやりたいことなど一つもなかった。自分の夢を語る友人が羨ましくてたまらなかった。自分が空っぽで、意味のない人間で、生きていても死んでいても一緒なんだと思わされた。僕は自分の生きている意味を見出そうと周りに媚びることにしたのだ。堀木さんの生きる意味は誰かを虐げることにあったのだろう。僕も一歩間違っていれば堀木さんと同じ道を歩んでいてもおかしくはなかった。 「俺は木下をいじめてるとき心の底から楽しんでた。マジでクソだよ。今まで楽しいことなんて何もなかった俺の人生でようやく見つけた楽しいことさ。だから俺は高校を卒業して大学に行った後も、サークルに入って標的を見つけてはいじめをしてた。俺にはそれしかすることがなかったんだよ」 心底過去の自分に呆れていると言うように堀木さんは嘆息吐くと、ジョッキに残ったビールを飲み干し、店員にハイボールを注文した。僕はいつの間にか喉がカラカラに乾いていることに驚き、グラスを傾けて黙って彼の話の続きを待っていた。 「大学も卒業して今の会社に入った。クソな職場、クソな上司。散々虐げてきた俺が次は虐げられる側になった。自業自得だよな。忙しくて時間が作れない俺に愛想尽かして彼女とは連絡も取れなくなった。友達ともどんどん会わなくなっていった。また楽しいことなんて一つもない、それどころか苦しいばっかりの毎日だよ。最初から自分の罪に気づいてたわけじゃない。どうして俺がこんな目に遭わなきゃなんねえんだって、そればっかりだよ。でも二十五の時に偶然街中で木下の姿を見つけたんだ。アイツ、結婚して子供も出来てた。奥さん隣に連れてベビーカー押してる木下はすげぇ幸せそうだったよ。俺はそれを見た時にようやく俺の仕出かしたことに気が付いた。罪を知った。俺がこんな目に遭うのは当然なんだって、因果応報なんだってさ。何の努力もせず、人を虐めて生きてきた奴の末路だよ」 堀木さんは自暴自棄にゲラゲラと笑ったが、僕はとても笑うことなんて出来なかった。自業自得、因果応報。言ってしまえばそれだけのことだろう。どんな理由があろうともいじめが許されるわけではないのだ。人を傷付けた人間はそれ相応の罰を受けるべきなのだ。だが、僕は絶対に口には出せなかったが、堀木さんを可哀想だと思った。何も言えずにいる僕に堀木さんは言葉を続けた。 「なぁ、どうして俺が小鳥遊の怪しい誘いに乗ったか分かるか?」 「笑顔を見てって…」 「ああ、そうだよ。俺は小鳥遊の笑顔を見て、こいつは本物の死にたがりだって思った。それと同時に本気で生きる理由を探してるんだって思ったよ。惰性で生きてきた俺と違って、生きる理由を必死に探してるんだよ。俺は過去に虐げてきた奴らのことを思い出して、自然と小鳥遊が重なった。だから俺は小鳥遊の誘いに乗った。次はいじめるんじゃなく、傍で見守って応援できるような立場になりたくてな」 運ばれてきたハイボールを受け取った堀木さんは隈の酷い目を細めた。 「お前に声かけてきた…森川だっけ?いい友達じゃねえか。大事にしろよ。俺なんて今じゃ誰も連絡を取ってる奴なんていねえ。その程度の付き合いだったんだよ。でも、お前がどうしてもどっちかを選んで、どっちか切り捨てたいって言うなら、どう努力したいかを考えればいい。俺たちと一緒に死にたい気持ちを肯定して、その日に向けて準備をする死ぬ努力か、森川とか他の友達に相談して、どうにか解決策を見つけられるよう模索する生きる努力か。そのどっちを朝日野がしたいかによって、付き合う友達は変わるだろうさ」 わざわざどちらかを選ぶ必要はないのだ。どちらとも付き合いを続け、仲良くしていればいい。しかし、僕はそのことに罪悪感を覚えるのだ。この場所で野薔薇さんたちと皆で死にたいと言いながら、別のところで森川くんたちと生きるために頑張ることは裏切りだ。どちらに対する裏切りでもある。僕は未だに僕の気持ちに整理を付けることは出来なかったが、心にかかっていた靄は晴れたような気がした。考えることを一つに纏められただけでも万々歳だ。 「ありがとうございます。僕の相談にのってくれて」 「いいんだよ。おっさんに出来ることなんてその程度なんだから」 「まだ三十一歳じゃないですか」 「それでも人生終盤だからな。もうおっさんでいいんだよ」 「それじゃあ僕もおっさんですね」 僕たちは顔を突き合わせると賑やかな笑い声を上げ、冷めてしまった料理に箸を伸ばした。
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