第二話 死後の世界

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第二話 死後の世界

いつも通り七時に呑み屋『睡蓮花』に集合し、飲み会を開いていた僕たちは他愛ない話に花を咲かせていた。そのどれもがとりとめのない会話であり、周囲の客とそう違いもないだろう。死にたがりの集団と言えど、何も僕たちは毎週集まって世を呪ったり、己の人生を悲観して泣き叫んだりするわけではないのだ。大抵は今週はどんなことがあっただの、趣味や家族の話など、他の友人と語り合う内容と何ら変わりはしなかった。わざわざ世間話をするために毎週も集まらなくていいのではないだろうかと思う部分はあるかもしれないが、僕はこの飲み会が気に入っていた。生活の中でホッと一息吐ける場であり、僕と同じ死にたがりの人たちだからこそ、ポロっと心の闇を零したとしても誰も引いたりしないでいてくれるのだ。母親の機嫌取りが当たり前になったせいで、僕は家の外での関係でも必要以上に気を遣うようになっていた。高校時代も友人やクラスメイト、教師やバイト先の先輩後輩の顔色ばかり窺って、心が休まるときなどまったくなかったのだ。勿論いくら同じ死にたがりだとは言え、彼らに一切気を遣わないでいい理由にはならないが、少なからず他の人たちよりは話しやすいのだ。いや、唯一野薔薇さんだけは気を遣わないでもいい相手だと思っている。それは残念ながら良い意味ではなく、彼が自分本位で他人を顧みない性格だからだ。だから僕も野薔薇さんには気を遣わなくて済むのだ。何かと面倒臭い性格なので話しやすい人というわけではないのだが。 今夜は野薔薇さんが新しいメンバーを見つけようと道行く人に声をかけていたところ通報された話から始まった。僕たちは全員彼に声をかけられて集められた飲み仲間なのだが、それぞれが何の面識もなく、完全な赤の他人の状態で突然野薔薇さんに話しかけられたのだ。堀木さんは通勤途中の駅で、ホームに飛び込むか迷っていたところ「君は死にたがりか?」と話しかけられたらしい。最初はおかしな宗教勧誘かと疑ったようだが、あまりにも爽やかな笑顔で「私も死にたがりだ!」と謎の自己紹介をされ、堀木さんは彼がだと思ったらしい。浅見さんはショッピングの途中でナンパされたとのことだった。ナンパされたと言っても「顔が好みだ」といきなり気持ちの悪い接触をされ、すぐに逃げようとしたらしいが、その後に「死にたいと思ったことはないか?」という問いを投げかけられ、興味を引かれたのだと言う。天王寺さんは仕事帰りに一人で飲んでいたところ、いきなり一緒に飲み始めて「この世の中は生き辛いと感じないか」と話しかけられたらしかった。 そして、僕。僕は大学の敷地内に植えてある大きな桜の木の上から突然声をかけられ、反応を示すと「今日は自殺日和だな!」と晴れ渡った青空を見上げて笑顔を向けられた。頭のおかしい人に捕まってしまったと、応えてしまったことにすごく後悔したが、同時に僕は野薔薇さんの自殺なんて考え付くとは思えないような、この世界のすべてを愛して止まない、そんな笑顔に魅了されてしまったのだった。 こうして振り返ってみると、やはり野薔薇さんは変人の域を超えた不審者だ。よく今まで何らかの罪に問われて刑務所に放り込まれなかったものだ。 そんな感じで集まった僕たち五人。どうやら野薔薇さんはまだまだ人数を増やしたいらしく、あちこちで勧誘活動を行っているようだが、なかなか人が捕まらないのだそう。そんなのは当然である。自分で言うのもおかしな話ではあるが、野薔薇さんみたいな頭のおかしい人捕まる方がどうかしてるのだ。僕たち四人は愚かだった。だが、幸運でもあった。彼の誘いに乗らなければ、死にたがりの飲み会に参加する機会なんて永遠に訪れなかっただろうから。 その後は浅見さんのパパ活で太パパが見つかったという話になり、次いで天王寺さんが一昨日ギャンブルで大負けして今月はピンチだという話になった。 「ねぇ、皆でアタシのこと可愛いって言ってくれない?」 天王寺さんの話が終わったタイミングでいきなり浅見さんがそんなことを言いだした。僕たちは突拍子もない発言に目を丸くしたが、野薔薇さんが躊躇うことなく「浅見くんは可愛い!」と全力で叫ぶと、彼女はおもむろに懐から万札を数枚取り出して天に向かってばら撒いた。机の上、コンクリートが剥き出しの床、僕の膝、諭吉がこちらをじっと見つめていた。いったい何が起こったのか理解するよりも先に野薔薇さんが喜んでお金を拾うと「可愛い!」ともう一度声を上げた。浅見さんは「もっともっと褒めて!」と恍惚とした表情で次々にお金の雨を降らし始めた。漸く意味を理解した僕たちは野薔薇さんに倣って次から次に誉め言葉を口にしながら、天からの恵みに感謝して万札をかき集めた。 だが、僕の手に諭吉が五枚ほど集まったときにハッと我に返り、何とか正気を取り戻すことが出来た。「ちょっと待ってください!」と僕が制止の言葉を投げかけると天王寺さんだけは聞く耳を持ってくれた。 「こ、こんなのダメですよ!はしたないですから、やめましょう!」 僕は五万円を浅見さんの前に置き、天王寺さんも反省して三万円を重ねて僕たちは丁寧に椅子に座り直したが、相変わらず浅見さんは「受け取りなさい!」とまるで大富豪にでもなったかのように(実際彼女の家はとんでもないお金持ちなのだが)万札をばら撒き、堀木さんは宙を舞っているお札を掴み、野薔薇さんは床に落ちたお札を必死に回収していた。なんて情けない姿なんだと僕はショックを受けながら「二人ともやめてください!」と叱責すると、ようやく堀木さんが正気になってくれた。 「俺はなんて真似を……」 自分の滑稽な行いに恥辱を感じたのであろう堀木さんはガックリと肩を落として浅見さんにお金を返すと、椅子に座って項垂れた。浅見さんももう配れるお金がなくなってしまったようで、満足げな表情で椅子に座り直した。ただ一人未だにお金の回収を止めない野薔薇さんの腕を引き、無理やり立たせると「やめてください」と語気を強めて怒った。彼の手には誰よりも万札が握られており、そのがめつさが窺えた。 「それは浅見さんに返してください」 「何故だ!貰えるものは貰っておけばいいだろう」 「ダメです。返してください!」 僕は野薔薇さんから万札を引っ手繰ると、浅見さんに押し付けた。「浅見さんも、むやみやたらにお金を配らないでください!」と注意すると、彼女は拗ねた面持ちでいそいそと返されたお札をしまいこんだ。 「あれだけの金があれば、いったい何冊の小説が買えたと思っているんだ…」 「自分のお金で買ってください」 「人の金で買った小説は面白いぞ!」 「面白くありません」 「いや、面白い小説は面白い!」 「まぁ、そうなんですけど」 話の論点がズレていることに気が付いた僕は「野薔薇さん」と彼を睥睨して、有無を言わせぬ雰囲気で黙らせた。野薔薇さんも渋々諦めると、ムスッとした顔で椅子に腰を下ろし、背もたれに体を預けて腕を組んだ。その場は妙な沈黙に包まれて僅かな気まずさを感じさせたが、最年長の堀木さんが上手く機転を利かせて新しい話題を提供してくれた。 「いきなりで在り来たりな質問だけど、皆は死後の世界って信じる派?信じない派?というかあった方がいいと思うか?」 在り来たりとまでは言わないが、堀木さんの質問は人生で一度ぐらいはすることがあるであろう話題だった。あの世が存在するかどうかの議論については大昔から繰り広げられ、対立してきたに違いない。死んだ人間にしか分からない死後の世界。臨死体験をしてあの世を見たという人間も存在するが、生き延びたのだから脳が生んだ幻想に過ぎないのではないかという意見の方が僕には正しく思えた。それが死後の世界を否定する理由にはならないのも事実だ。霊感がある人、霊と対話出来る人、霊を呼び寄せる人、そんな人たちも霊界についての話はしても、あの世の有無についてはお茶を濁すのだ。幽霊と成仏出来た魂が行く先は違うのが理由だろうか。あの世の存在を証明する方法などないが、あの世がないことを証明する方法もないのだ。僕たちが実際に死なない限りは分からない死後の世界。生きている間は想像の範疇を超えることは決してなく、無駄な議論ではあったのだが、暇つぶしには最適の話題とも言えたし、何より死にたがりの僕たちにとっては面白いと言ってもよい話題だった。 「僕はあってもおかしくはないと思ってますけど、ない方が嬉しいですね」 「ない方がいいってことは死んだら虚無になりたいってやつだな」 「そうですね。死んでまで悩みたくないですし」 飲み始めてからかれこれ二時間近くが経過しており、僕の三杯目のグラスももうすぐ空になりそうだったが、お酒には比較的強いおかげでほとんど酔いも回っていなかった。机には空になったお皿が並び、追加で頼んだ枝豆と煮卵だけが中央を陣取っていた。五杯目のビールを飲み終わった浅見さんは、次は甘いカクテルが飲みたいと言ってメニューと睨めっこしていた。堀木さんも同じく五杯目を飲み終わっており、ついでにハイボールを頼んでほしいと申し出た。この様子から分かる通り浅見さんと堀木さんはかなりお酒に強かった。浅見さんはパパ活で鍛えられたのだと前に話していた。堀木さんは元々お酒が好きで、家でも毎日のように飲んでいるらしい。因みに野薔薇さんは強くもなく弱くもなくといった感じで、今は二杯目のピーチサワーを半分ほどまで飲んでいた。天王寺さんは意外にもお酒に弱いので、いつも一杯だけ飲むとあとはノンアルコールだ。今もウーロン茶を飲んでいる。僕は残り僅かのチューハイを流し込むと「カシスでお願いします」と頼んだ。浅見さんは店員を呼ぶと三人分のドリンクの注文を済ませ、メニューを立てかけて堀木さんの話題に戻った。 「アタシは死後の世界があってほしい派!てか絶対にあるでしょ。で、アタシは天国に行くの。もう決まってるんだから」 「どうして決まってるんだよ」 「そんなのアタシがお金持ちだからよ!」 「えぇ!?お金があったら天国にいけるんですか…?」 彼女の発言に僕は素っ頓狂な声を上げたが、野薔薇さんはお馴染みのはっはっはっ!という笑い声を上げると「興味深い考え方だな」と関心を持った。 「徳を積めば天国に行けるという話はよくあるが、金を積めば天国にいけるというわけか!正に地獄の沙汰も金次第ということだな」 「そんな言葉ありましたね。でも、自殺者は黄泉には行けないなんていうのもよくある話じゃないですか」 「それは私、あまり納得が出来ない」 黙って話の成り行きを見守っていた天王寺さんが顔色一つ変えずに僕に突っかかって来た。自ら死を選んだ人間には天国に行く資格がないというのは、自殺を逃げだと考えるからこそ生まれた定説なのだろう。死にたがりとしては納得がいかないのは僕も同じだった。 「気にするな、自死を悪と決めつけたいだけの愚かな人間の戯言だ!いずれ人間は必ず死ぬというのに、自らの手で死を選ぶことを罪とするのはおかしな話だ」 「そうですよね。自殺志願者への脅しのつもりなんでしょうか」 怒気を含んだ野薔薇さんの声色に僕も同意を示し、天王寺さんも何度か首を縦に振った。少し酔いが回っているのか堀木さんが「そうだ!そうだ!」と囃し立てた。 こうして自殺は間違っていないと互いに励まし合えることが僕にとって心の支えになっていた。世間では自殺は悪だと言われているが、絶対にそんなことはないのだ。死が逃げであるとは否定しないが、自殺を悪とするなら逃げることを悪とすることになる。あまりにも厳しい話ではないだろうか。人間は辛くて耐えられない瞬間というのがあるのだ。逃げ方は人それぞれだろうが、自殺に走った人たちは死が最善の策だと思って決断したのだ。与えられた救済の手段の一つとして自殺を選んだに過ぎない。だが、そんな僕たちに理解を示してくれる人たちは少数派だ。共感できる仲間が出来たのは幸せなことだった。 「俺も虚無になりたいって考え方だけど、世の中の死にたいけど死なない奴のほとんどってあの世があることが立証されたら躊躇いなく死ねるんだと思うんだよな」 「一理ありますね。現状を打破したいから死ぬっていうのが一番多いと思いますし」 「それってつまり環境が変われば生きていけるんじゃないの?」 「僕はそういうタイプですよ。僕のことを誰も知らない土地で、記憶も消してやり直せるなら死ぬよりそっちの方がいいです」 僕の死にたいは辛い現状から逃げ出して、全てのしがらみから解放されたいということを表わしていた。だからこそ、今の僕を知っている人間が一人も居ない環境で、過去のことも思い出さないで済むように記憶も消去してならばやり直せると考えているのだ。ただし記憶を消すなんてとても現実的ではない。つまり、叶うことのない逃避なのだ。 店員が運んで来たドリンクを受け取りながら浅見さんも「確かに記憶も消えるならアタシもやり直せるかも」と希望に満ちた双眸を浮かべたが、何度も言うが記憶の消去は非現実的だ。絶対に不可能とまでは言わないが、可能性は低いのだ。そう考えた時に逃避としては死ぬ方がずっと手っ取り早いのである。叶わないことを考えてうじうじしていても仕方ないだろう。未だに自殺できていない人間が言っても説得力はないのだが。 「アタシはクソな元彼のせいで病んでるし、アイツのこと忘れられたら前向きに生きられるからね」 「俺も環境を変えて記憶が消せるならやり直せるな。ブラック企業なんかとおさらばして、ついでに過去に俺が仕出かした大罪も忘れてさ」 そこまで話した堀木さんのことを浅見さんは蔑むように見ていた。僕たち五人は仲が悪いわけではなかったが、好きな一面もあれば嫌いな一面もある。人間関係としては当然のことだ。そして、過去に恋人に虐げられていた経験がある浅見さんは高校時代に虐めをしていた堀木さんを軽蔑していた。今は改心して優しい人になった彼を慕ってはいるが、犯した罪を許容は出来ないというのが彼女の考えだった。芽生えてもおかしくはない嫌悪感だ。僕は過去のことは過去のことと割り切ってちっとも気にしていなかった。僕は優しい堀木さんのことしか知らないし、そもそも彼が虐めていた相手のことも何も知らないのだ。可哀想だとは思うが、それ以上でも以下でもない。僕には関係のない話だった。 「でも、俺は忘れちゃいけないんだ。自分の罪をな。だから俺みたいなクズな人間は死ぬことでしか逃れられないんだよ」 はは、と乾いた笑みを零した堀木さんはジョッキに揺れているハイボールを半分ほどまで一気に流し込んだ。誰も彼の台詞を否定しようとはしなかった。自虐であっても彼自身の気持ちを尊重したいからだった。 「私は環境が変わって記憶が消えても、火傷痕がある限りは死にたい気持ちは変わらない」 「じゃあ火傷痕も消えたら?」 「火傷痕も消えたらやり直せるかもしれない」 天王寺さんの精神的ショックは記憶に刻み付けられたものだけではなく、体にも残ってしまっているのが僕たちとは違っていた。脳裏にこびり付いている辛い過去の映像だけでも心が追い詰められるはずなのに、自分の体を見るたびに思い出す羽目になるなんて残酷的で苦痛だ。僕はかける言葉が思い付かず、ただじっと天王寺さんを見守っていたが、彼女はそれ以上は何も話そうとしなかった。僕と堀木さんに挟まれた座席で枝豆を食べることに集中していた野薔薇さんに目を向けると「野薔薇さんはどうなんですか」と問いかけた。 「私か?私は環境が変わろうと記憶が消えようと何も変わらないだろう。私の死にたい気持ちが消える時は、生きる理由が見つかった時か生まれ変わった時だな」 愉快に笑った彼に僕はどんな顔をしていいか分からなくなった。僕は母親からの虐待。浅見さんは元恋人とのトラウマ。堀木さんはブラック企業と過去の罪。天王寺さんは家族を失ったトラウマと火傷痕。僕たち四人は希死念慮を抱くようになった明確な理由が存在していたが、野薔薇さんだけは違っていた。物心付いた時から自分に生きている意味を問いかけ、その意味を見出せずに死を追い求め続けていた。ただ漠然と広がるのは社会に溶け込めない不安感。少し異質だったのだ。彼は生きる理由さえ見つけてしまえば誰よりも前向きに生きる活力に漲るだろう。だが、見つからないのだ。生きる意味が。 「野薔薇さんは我儘なんですよ」 「我儘の何が悪いんだ!」 「悪いですよ。だから生きる理由が見つからないんです」 この人は我儘で貪欲だ。妥協を許さない。多くの人は何となく生きているか、死にたくないから生きているか、妥協した生きる意味を見つけているかの何れかだ。しかし、野薔薇さんは絶対的に自分が納得できる生きる意味を見つけない限り生きていることが許せないのだ。野薔薇さんが生きる理由を見つけるのが先か、耐えられずに死ぬのが先か、それとも僕が先に死んでしまうだろうか。 「野薔薇はそれでいいんじゃない」 「そうですね」 肘を付いてへらりと笑った浅見さんに、僕が思っていたことを代わりに口に出してくれたことに感謝して、にっこりと笑顔を浮かべた。 生き様も死に様も環境に影響されて選べないのが大半の人間だ。そんな中でもがき苦しみながらも生き様と死に様、どちらも自分で選んで掴み取ろうとする野薔薇さんは僕にとってある意味まったく別の世界の人間だった。その終着点がどんな景色なのか見てみたい気持ちと恐ろしい気持ちが混在していた。誰も誰かの本当を知るべきではないのかもしれない。でも、少なくともこの場に集まった全員が、死に様だけは自分で選び取ろうとしていた。こんなはずじゃなかったと、日々嘆きながら。 そして、また僕たちは新たな話題へと移っていくのだった。
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