第一話 死に方

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第一話 死に方

ヒリヒリと肌を刺激する寒風が吹きつける紅葉も散りかけの季節の夜。外の寒々しさを忘れさせるように暖色の灯りに照らされた店内は大勢の客で賑わい、程よく暖房の利いた空気の中でアルコールの臭いが混ざって溶け込んでいた。呑み屋『睡蓮花』は浅草駅の近くにある、こじんまりとした知る人ぞ知る古き良き店といった雰囲気だった。僕たちはこの店の常連客になりつつあり、僕自身も非常に店の居心地の良さに慣れ親しみ始めていた。 木製の机は使い古されているせいであちこちに傷や汚れがあり、塗装も剥げ上がっていたが、不思議と不潔感を覚えることはなかった。机と同じく木製の椅子は背もたれが付いていて、申し訳程度に座席にはボロボロの座布団が敷かれていた。天井の灯りからは色とりどりの魚の硝子細工が吊り下げられ、ゆらゆらと揺れるたびにコンクリートが剥き出しになった床に斑点模様が広がった。僕たちの座席は店内の中央辺りにちょうど位置する場所で、前後にも数人掛けの座席が用意されており、右手には二部屋の半個室(座敷タイプ)、左手には六人まで座ることの出来るカウンター席が用意されていた。机の座席はすべての客で埋まっており、カウンター席は三人の作業服を着た中年の男たちが腰かけていた。半個室も若い女性のグループと年齢がバラバラの男女混合グループで埋まり、商売繫盛といった様子だ。 僕の座っている席には五人分のアルコール飲料とお通しの胡瓜を使った酢の物が並んでいた。店に訪れてから凡そ十分程度しか経過していないため、これからぞくぞくと注文した料理が運ばれてくるところだ。 さて、五人分のアルコール飲料と言うことは当然この座席には僕も含めて五人の人間が座っていることになる。この場に集ったメンバーで顔を合わせるのは本日で十一回目だ。五回を過ぎたあたりで全員とも打ち解け、何ら違和感なく会話を出来るようになったが、このメンバーは本来なら絶対に仲が良くなるどころか顔を合わせることすらなかったであろう五人組だ。そんな僕たちがどうして十一回も飲みに行くような仲になったのか、それはまず全員の紹介を済ませてから説明しようと思う。 「今週もお疲れ様、乾杯!」 僕たちはグラスに手を取ると乾杯の音頭を取った野薔薇さんに合わせてグラスを掲げてカランと心地よい音を鳴らした。小鳥遊野薔薇(たかなしのばら)さん、大学四年生。僕と同じ明洋大学に通う先輩だ。先輩とは言っても僕も彼もサークルには属しておらず、特に知り合う機会もなかったため、この五人組で集まる前まではまったくの赤の他人だった。野薔薇さんはこの飲み会メンバーを招集した張本人でもある。何故か晴れの日も曇りの日も雨の日も、建物の中でもサングラスをかけているが、食事をするとき(つまりは現在)は外して胸元に掛けている。そして、この人は言葉では説明するのが困難なほどの変わり者だった。 「やっぱビールが一番なのよね。でも、パパの前じゃカクテルとかワインしか飲めないし。飲みに行くような友達もいないし。ほんと、このメンバーって最高!」 ジョッキの生ビールをごくごくと喉を鳴らして半分まで一気に飲み下し、ドンッと音を立てて口元に付いた泡を拭った浅見さんは親父臭い仕草とは裏腹にとても愛嬌のある笑顔を浮かべた。浅見(あざみ)いちごさん、二十三歳。とても可愛い。いや、僕の主観の話ではなく、実際に誰もが可愛いと認めざるを得ないほど容姿に恵まれた女性だ。浅見さんは学校に行っているわけでも、仕事をしているわけでもない、実家暮らしの無職なのだが、可愛いから許されるだろう。ただ絶対に恋人にはしたくないタイプだ。彼女にはとても大きな問題があるからだ。 「一週間のうち、この飲み会だけが俺の唯一の楽しみだよ」 箸を持って両手を合わせ「いただきます」と挨拶をし、お通しを口に運んだ堀木さんが疲労を滲ませた隈の酷い顔で微かに目を細めた。堀木三好(ほりきみよし)さん、三十一歳のサラリーマンだ。僕たち五人組の中で最年長である。少々口が悪いところがあるが、とても面倒見が良くて頼れるお兄さんのような存在だ。典型的なブラック企業に勤めていて、上司からのパワハラが酷いらしく、毎度のようにについての愚痴を零していた。将来彼のようにだけはなりたくないなというのが僕の率直な意見だ。 「私も。他に楽しいことなんて何もない」 キリッと吊り上げられた目付きとは対照的に表情をまったく変えることがなく、淡白な声色で言葉を続けたのは天王寺風(てんのうじふう)さん、二十六歳のフリーターだ。表情の変化が乏しいことに加えて張り詰めているというか、刺々しいというか、どこか他人を遠ざけてしまう雰囲気の女性だが、話してみると案外普通の人だったりする。ほんの時折見せてくれる微笑みにドキッとしない男はいないのではないだろうか。趣味がギャンブルという意外な一面もあったりするのだが。 「天王寺さんはパチンコとか競馬とか好きじゃないですか」 「好きだけど、別に楽しいわけじゃないから」 「えぇ…、どういうことですか」 カシスオレンジをちまちまと飲んでいた僕は天王寺さんからの返答に眉を顰めながら首を傾げた。朝日野信太朗(あさひのしんたろう)、明洋大学に通う二年生。それが僕だ。これと言って人様に話せるような特徴もないと言えば嘘になるのだが、取り敢えず今は名前と年齢だけ知っておいて貰えれば十分だろう。大学で野薔薇さんに声をかけられたことがきっかけで、この飲み会に参加することになった。 僕たちは毎週金曜日の夜七時に、呑み屋『睡蓮花』に集まって晩酌をしていた。逆にこの金曜日の夜以外には顔を合わせることも、遊びに出かけることもなかった。メッセージアプリのグループがあるため、メッセージで会話をすることはあれど、直接会うのは金曜日の飲み会だけだ。ただし野薔薇さんとは同じ大学なこともあって時々遭遇する場合もある。もちろん金曜日に予定が入って急遽メンバーが欠ける日もあるが、それでも変わらず七時には『睡蓮花』に集まる、僕たちはそんな奇妙な関係だった。 では、何故僕たちがそんな奇妙な関係を築くことになったのか。それぞれの紹介をした通り、僕たちは性別も年齢も職業も趣味もバラバラだった。しかし、唯一の共通点があるのだ。その共通点とは、全員が死にたい気持ちを抱えている人間だいうこと。そう、僕たちは自殺志願者、若しくは希死念慮を抱いた集団だった。 「お待たせしました」と店員が声をかけ、机には枝豆、おでん、サラダ、唐揚げと次々に注文した料理と人数分の小皿が並べられていく。僕と堀木さんはお礼を言いながら小皿を全員に配り、料理を取りやすい位置に並べた。すると、浅見さんが屈託のない笑みを浮かべて「はいはーい!」と片手を上げた。 「ねぇ、皆って死ぬときどんな死に方がいい?」 今夜の一つ目に提供された話題に真っ先に食いついたのは野薔薇さんだった。はっはっはっ!と腕を組んで特徴的な笑い声を上げた彼は浅見さんにも負けない清々しい笑顔で「最も望ましいのは飛び降り自殺だな!」と応えた。僕も含めて全員が意外そうな眼差しを彼に注いだ。 「快晴の下、青い海を見ながらの飛び降り自殺なんて最高じゃないか?」 「海はすごくいい。私も海で死にたいから」 海という単語に関心を示したのは天王寺さんだ。大皿に載ったサラダを自分の小皿に分けながら伏し目がちに呟いた。僕は自分が高所から飛び降りる姿や、海に沈む姿を想像してみたが、いまいちピンとこなかった。漠然と死にたいと考えることばかりで、明確な自殺プランや死に方について考案した試しがなかったのだ。様々な死に方を頭の中で検索してみたが、自分が最も望ましいと思える方法が見つからなかった。 「俺は無難だけど首吊りだな。最小限人には迷惑かけたくないし、苦しいのも嫌だから」 「首吊りは上手くいけば苦しくないと言うからな。ただし失敗した後の後遺症を考えると悩ましい!首吊りではないが、何度か首を絞めて意識が飛んだ経験があるが、苦しいと感じるより先に意識が朦朧としていた。あの延長線上で死ねるのなら、眠りに落ちるのと差して変わらん!」 僕の知らない知識を意気揚々と話す野薔薇さんに僕は興味を引かれて「何度も自殺未遂してるんですね」と口を挟んだ。唐揚げに七味という謎のチョイスをした彼は「もちろんだ!」と大きく頷き返したが、難しそうな顔つきで顎に指を当てた。 「色々な方法を試したことがあるが、なかなか上手くいかん。私は相当神に愛されていないようだな。……それとも嫌われているのか?」 「まぁ、野薔薇さんですからね」 さっぱり意味が分からないと言いたげな面持ちで彼は僕を睨みつけてきたが、微かに笑みを返すだけで口に出して説明するなんて野暮な真似はしなかった。「いちごはどうなの?」と話題を振った当の本人が答えていないことに気が付き、天王寺さんが隣に座っている浅見さんに視線を流した。 「私は服毒がいいかなぁ」 「服毒って難しいだろ。結構飲まなきゃなんねえし」 「そうなのよね、ODはよくやってるんだけどなかなか死なないし」 うーんとしかめっ面で唸っている浅見さんに倣って僕ももう一度考えてみたが、やはり僕は自分がどんな最期を迎えたいか希望がなかった。痛かったり、苦しかったりするのは嫌だ。人に迷惑をかけるのも嫌だ。極力誰にも迷惑をかけず、尚且つ楽に死ねる方法が良いのだが、いったいどんな方法があるだろうか。そう思考を巡らせた僕に一つの名案が下りてきて「あっ」と思わず声を洩らした。 「僕は殺されたいです」 「殺される?」 「はい。自殺じゃないですけど…誰かに殺されるのが幸せです。快楽殺人者とかに殺されたいですね。僕の死が誰かの欲を満たしたんだと思うと、僕の死にも意味があったんだって思えますから」 「面白い考え方だな」 堀木さんの言葉に僕は自分の発言を改めて、つい恥ずかしくなってしまい頭の後ろを掻いたが、浅見さんは拍子抜けしたような、つまらなさそうな表情で「ふーん」とビールに口を付けた。「私はいいと思う」と天王寺さんがフォローをしてくれたのもつかの間、特徴的な笑い声を上げた野薔薇さんが「くだらないな!」と一蹴した。自分の気持ちを代弁してくれたといった調子で浅見さんの瞳が輝いたのが分かった。 「誰かに殺されたい?朝日野くん、実にくだらない死に方だと思わないか!」 「はあ…、そうでしょうか」 僕は野薔薇さんに責められている理由が理解出来ずに困り顔になってしまったが、そんな僕などお構いなしに彼は一杯目に注文するのはどうかと感じてしまうカルーアミルクを一口飲み、力強く話を続けた。 「何て他人任せなんだ。自分の生き死には自分で決めたいと思うものだろう。生きたいときまで生きて、死にたいときに死ぬ。人間に与えられた最上の救済を自らの手で選べ!いいか、死に様を他者に委ねるな!」 野薔薇さんの意見が間違っているとは思わないが、あくまでそれは彼の意見だった。僕は己の欲を満たすために死ぬよりも、他人の欲を満たして死ぬことを願うのだ。せめて最期ぐらいは誰かの役に立ちたいと願うことがそんなにいけないのだろうか。 まるで僕自身を否定されている気分になり、あからさまな嫌悪感を溢れ出させて「でも、僕は殺されたいんです」と意地になって反論した。野薔薇さんに突っかかったところで良いことなど一つもないのはよく知っているのだ。彼は絶対に己の意志を曲げないし、平気で自分の価値観を他人に押し付けるような人間性なのだ。十回もの飲み会を通して彼がどれだけ厄介な人物であるか僕は把握していたにも関わらず言い返してしまった。野薔薇さんは「そうか、それが君の考え方だというわけだな」と特に気分を害したふうでもなく郎笑した。 「だが、それがどれだけ愚かな考えであるかは自覚しておいたほうがいいぞ。死に様を他者に委ねるというのは、つまりは己の存在意義をも他人に依存させていることになる」 「人のために生きるってそんなに悪いことですかね」 「悪いとは言わないが、良いことではないと断言できる!朝日野くん、もっと自分を大事にしたほうがいい。自分のために生き、自分のことだけを考えろ。その方がよっぽど有意義だ」 「それってただの自分本位な人…自己中じゃないですか」 「自己中心的な人間の何が悪い!そもそも他人など宛にならない、信用も出来ない、頼りにもならない、助けてもくれない、そんな存在だぞ。自分を助けられるのは自分だけなんだ。だからこそ己のために生き、己のために死ぬべきではないか」 僕は思わず言葉を詰まらせた。野薔薇さんの言う通り他人なんて全く信用できないのだ。悩みを相談したとしても、誰もが上辺だけの心配をして本当に助けてくれるわけでも、手を差し伸べてくれるわけでもない。他者を頼って生きることがどれだけ虚しい行動なのか僕も分からないわけではなかった。それでも僕は誰かに必要とされたい欲求があった。誰かに認められたかった。僕という人間が存在していられるのは他人が僕を認識してくれているからだと考えていた。だからこそ、一人きりになってしまったら、真の孤独になってしまったら、僕という存在が消滅してしまうのだ。僕は死にたいとは日々願っているが、消えてしまいたいと思っているわけではなかった。誰かの記憶には残り続けていたい。朝日野信太朗が存在していたことを忘れないでほしかった。 「俺はどっちの意見にも賛成だな。小鳥遊が言ってることもよく分かる。他人と関わってないと生きてけない社会なんて億劫だよな。出来ることなら俺一人で生きていける世界に行っちまいたいね。でも、だからと言って誰かに愛されたくないわけでもないんだよな。もし、誰かが俺のことを必要としてくれるなら…それに応えたい。……まぁ、俺みたいなクズを必要とする人間なんていないか」 自嘲的な笑みを零した堀木さんに「堀木さんは優しい人ですよ」と声をかけた。それには野薔薇さんと天王寺さんも賛同を示してくれた。ついつい白熱してしまったことに僕は反省して「野薔薇さんの意見も分かります」と言葉を続けると、彼は満足して頷いた。 最初からこう言っておけば口論になんてならずに済んだのだが、時々僕は僕自身の暴走を抑えられなくなってしまっていた。しかし、この飲み会に集まるメンバーは誰一人として僕の欠点を気にすることはなかった。その奇妙な居心地の良さが僕を十一回も死にたがりの飲み会に足を運ばせる理由だろう。 「アタシは野薔薇に全面的に賛成。他人に依存して生きるとか有り得ないし、認められたいとかどうでもいいし。てか、アタシがアタシのこと愛してればそれで充分だから。アタシのこと裏切らないのは自分とお金だけだもんね」 「小説も裏切らないぞ!」 すかさず自分の好きなものを突っ込んできた野薔薇さんに僕は苦笑いして乾いた喉をお酒で潤した。浅見さんは早くも一杯目を飲み終わったようで、通りがかった店員に再び生ビールを注文していた。 「私は朝日野くんと同じ意見。誰かのために生きられるならそうしたい。誰かに愛してもらえるなら愛してほしい」 天王寺さんが僕に賛成してくれると、つい嬉しくなって頬が緩んだ。一見人を遠ざけるようなタイプの彼女が、実は承認欲求が強いというのはこれまでに話していて知っていたが、やはりギャップを感じてしまうものだ。でも、僕はそのギャップがとても魅力的だと思う。 「こればっかりは人それぞれだよなぁ。どっちが正しいなんてことはないと思うぞ」 最年長の堀木さんが上手く纏めてくれると野薔薇さんはいつものように笑って「いや、正しいのは私だな!」と自信満々に言ってのけたが、これも普段通りの彼の態度で僕たちは肯定も否定もすることはなかった。 「ならば朝日野くん、自殺だとするなら君はどんな方法を選ぶんだ?」 小皿に載せてしまった苦手なミニトマトを食べることに躊躇っている僕に、興味津々な笑顔で訊ねてきた野薔薇さんへと顔を向けた。 「そうですね……僕は、その時の気分で選ぶことにします」 なんて投げやりな答えなのだろうか。浅見さんどころか天王寺さんも堀木さんも拍子抜けした顔で僕を見ていた。ただ一人野薔薇さんだけは「悪くない」と口角を上げた。これまで突発的に自殺未遂を繰り返してきた彼だからこそ、理想と現実の齟齬を悟っているのだろう。 きっとこれが僕にとっての正しい答えなのだ。
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