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終章 シュレディンガーの夜明け
「あ、お帰りアキ兄」
「イトナ……」
暁の視界の外から投げ掛けられた言葉。ぎこちなく暁が振り返ると、ボストンバッグを肩に掛けた絃成が帽子の鍔を少し上げて呑気な声を上げていた。
「そこで飲みモン買ってきた」
その手にはペットボトルの清涼飲料水が握られており、もし腹を下しているとしたならば水分補給は必要であると絃成なりに暁の事を考え行動した結果だった。
じわりと暁の両目に涙が浮かび、裏切られていなかった事実と少しでも絃成を疑ってしまった自身に暁はその身体に鞭を打ち、絃成へと駆け寄ると倒れ込むようにして絃成の身体を抱き締めた。暁の様子が先程までとは少し違うと感じた絃成ではあったが、腹を下している所為かもしれないと悠長に構え、代わりに両腕で暁の身体を抱き締め返す。それが人前であろうが絃成には関係の無い事で、暁が何故泣きそうな顔をしているのかの理由も分からず、ただ幼子のように縋り付く暁の姿を純粋にいじらしいと感じていた。
「――愛してる、イトナ」
妙に掠れた声だった。やはり飲み物を買ってきて正解だったと絃成は満悦の表情を浮かべながら耳元で囁かれた言葉に表情を緩め、その冷たい頬にそっと口付けを落とす。
「俺も愛してるよアキ」
初めて言葉で伝える事が出来た、今まで心に秘め続けてきた思い。たった五音であっても音に出して伝える事はとても難しく、誰かにそんな言葉を伝える日が来るなど夢にも考えはしなかった。
悪夢に飛び起き泣きじゃくる子供をあやすように絃成は暁の背中をゆっくりと叩く。長い長い悪夢はもうこれで終わりで、夜明けと共に自分たちの生活はがらりと変わる筈だった。
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