君と歌う不協和音

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 あれから僕と愛原先輩は、朝練もするようになった。朝練の許可を取りに顧問のもとまで行ったときに、調子はどうだと聞かれたが曖昧に誤魔化した。努力が実るとは限らないことぐらい知っていても、やめられなかった。 「愛原先輩、また音がズレてます」 「今のところもう一度確認しましょう」 「藤野くんミス減ったね」 「ちょっとここの辺りあやふやだからチェックさせて」  遠慮しないんでとか言っておきながら、愛原先輩のミスを指摘する勇気はなかった。愛原先輩がミスしたところで僕もわざとミスをしてもう一度やり直していた。それをやめ、ちゃんと指摘するようになると、愛原先輩も僕を甘やかすことがなくなった。あれだけ弾けなくなっていたギターもミスを指摘されるごとに、少しずつ感覚を取り戻せるようになっていた。学園祭まで残り一週間をきったところで、演奏は完璧に近づいていた。 「どうよ! 今お互いミスなかったんじゃない?」  最後のロングトーンを歌い終え、僕のギターの残響もなくなったところで愛原先輩は振り向いた。 「最高でした! これなら学園祭も成功しますよ」  いつものように拳をぶつけあった。少し休憩しようという愛原先輩の提案にのり、二人で部室を出た。初めて完璧に弾ききった感動は大きく、全身が熱を帯びていた。中庭のほうまで歩くと自動販売機があった。 「炭酸飲める?」 「え。いいですよ、自分で買います」  慌ててポケットを探るが、財布がないことに気づいた。 「私が奢りたいの、祝杯だと思ってさ」 「それじゃあ、ありがとうございます」  はいと言って手渡された缶を一緒に開ける。プシュッという気持ちのいい音が鳴った。 「かんぱーい!」 中身が溢れてしまわないよう、軽くコツンとぶつけ合う。いつの間にか入部してから半年ぐらい経っていた。一つの曲を演奏しきる難しさを知った。来週に迫った学園祭では初めて人前に立って演奏することになる。前日の予行練習では本番と同じ状況で演奏できるが、やはり人に見られている状況でいつものように演奏できるかどうかは大きな不安の種だった。  そんな僕の不安をよそに愛原先輩はゴクゴクと一気に飲んでいた。そして一息ついたところで、ゲップを我慢するためか口元を覆った。 「藤野くん、もうすぐだよ」 「もうすぐ、ですね」  ここまで練習した成果を、まだ顔も知らない幽霊部員の先輩たち、あの日帰っていった入部希望だった人たち、馬鹿にしてきた顧問にも見せつけてやりたかった。ドラムやピアノが録音なのはもったいないが、それでもやれるだけのことはやる気でいた。先程の演奏を思い返せば、大丈夫だと自分に言い聞かすことができた。 ジュースを飲み干した愛原先輩がベンチに座ろうと言い出したので移動した。炭酸があまり得意ではない僕はちまちまと飲んでいた。 「私ね、音大志望なんだ」  初めて聞く話だったが、なんら驚きはなかった。自分で曲を作っているぐらいなのだ。なんら、違和感はない。 「自分で作詞作曲した曲を歌って、シンガーソングライターとして活動したいの。でも、今まで私がなにを選んでも全て応援してくれていたお父さんやお母さん、親友までもがそれは無理だ、諦めろって言うの。誰も理由は教えてくれないし、自分でも成功する人が一握りの選ばれし人たちだってこともわかっている。でも、こうやって頑張ってみちゃダメなのかな。藤野くんはどう思う?」 「愛原先輩は綺麗な歌声をしているので、きっと大丈夫ですよ。僕は応援します」  ポロッと音もなく、愛原先輩の目から涙が流れた。なんだかとても愛おしく感じてしまう。 「泣かないでくださいよ、きっと大丈夫ですから」  一粒だけだった涙が溢れてくるのか、愛原先輩は下を向いてしまった。その背中にそっと手を伸ばし、こんな感じでいいのかなと不安になりながら背中をさすった。 「ありがとう……。自分の夢を応援してくれるのってこんなに嬉しいことなんだね」 「愛原先輩、帰る前にもう一回だけ演奏していきましょうよ」 「いいね、行こっか」  二人で立ち上がると空はもうオレンジ色に染まっていた。校門が閉まるまで時間はあるが、少し急いだほうが良さそうだ。愛原先輩にそう言おうとしたが、先程までの涙はかげもなく消えていた。競争だよ。そう言って先頭を走り出した先輩のあとを必死に追った。  音楽室に着く頃には二人とも汗だくで、部室の床に寝そべった。 「ダメだ、息切れしちゃって歌どころじゃない……」 「愛原先輩が急に走り出すからですよ」  体育の授業以外では走らない僕も久々に走ったせいで、まだ呼吸が整っていなかった。明日、楽器を体育館の舞台袖に移動させて予行練習。明後日には本番だ。緊張なんてこれっぽっちもなかった。僕ら二人なら完璧な演奏ができると信じている。 「愛原先輩、そろそろ落ち着きました?」 「うん、いけるよ」  やっと床から身体を引き剥がし、立ち上がった。それぞれのポジションに付き準備をする。愛原先輩に見られないよう、スマホを取り出し録音の準備をした。後ろの机にスマホを置いて、先輩の合図をもとに部室最後の演奏を始めた。さきほどよりも伸び伸びと歌う愛原先輩の声と、指に覚え込ませた音を弾いていく。  待っていろ、学園祭。僕らは最高の演奏をする。
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