2022/9/30 「帰り道」

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
これはいつもと同じはずなのに、ちょっと違う帰り道のお話。その日は上司に泣きつかれてしまったせいで残響をする羽目になり、ギリギリ電車には間に合ったものの帰りのバスには間に合わず、歩く羽目になってしまった少しついていない日のことだ。 「うわーっ、やっぱりもうバスないよな。仕方ない、歩いて帰るか。」 幸い駅から家までは歩いて15分ほどの距離だったため帰れないことも無いのだが、過重労働で疲れ切った体にはやはり厳しく足取りは重かった。とにかく頭の中で冷蔵庫の中のビールのことだけを考えながら歩いていると、人も車でさえ一台も走っていないことに気が付いた。帰宅ラッシュの時間帯には当たり前に鳴り響いている、ざわめき声や車の走る音も全く聞こえない。ふと顔を見上げで辺りを見渡すと住宅の灯もほとんど消え店は閉まり、街の明かりだけが辺りを照らしていた。夜だということもあり暑かった昼間と比べ少し風が吹いて涼しく感じる気温と、辺りの沈黙が疲れ切った私を優しく包んでくれている気がする。誰もいない夜の街で一人きり。なんだか少しいけないことをしているような気分になり、普段はあまり見られない静かな町にもテンションが上がってきて今にでもステップを踏みそうな気分だった。そんな薄暗い中でひときわ明るく光っている方を見つめると、自動販売機があった。普通にただ通り過ぎようとすると、光に照らされた飲み物たちの中にとても懐かしいものを見つけてしまい足を止めた。 「これって、やっぱり、金製堂のクリームソーダだ。うわぁ、懐かしいなー。小さい頃お母さんにねだってよく買ってもらってたっけ。最近中々見かけてなかったのに。よし、ご褒美に買っちゃおう。こんな夜遅くまで頑張ったんだもん。これぐらいいいよね。」 自分にそう言い訳をして、物を詰め込みすぎてどこに何が入っているのかわからない鞄の中からやっとこさ財布を見つけ出し、百円を自動販売機に入れた。暗闇の中でらんらんと光るボタンを押すと、ガコンと重いものが落ちる音がする。受け口に手を伸ばすと、冷たく冷えて結露した缶が手に触れた。 「うわーっ、懐かしいなこのデザイン。やっぱりあのクリームソーダだ。」 昔と変わらないレトロな雰囲気のデザインを見ると、一気に子供のころの気持ちに引き戻されたようだった。幼い頃お母さんにねだって買ってもらっていたのを思い出す。駄々をこねて騒ぎ出す私を見かねて、このジュースを買ってくれたっけ。仕方なさそうに、だけど優しく笑うお母さんの顔を思い出すと久しぶりに会いたくなりたまらず缶を開ける。プルタブを開けると同時に、炭酸の入った缶飲料独特の中の空気が噴き出す音が静かな辺りに鳴り響く。溢れないように慌てて一口飲むと、口いっぱいに広がる優しい甘さと炭酸独特のシュワシュワ感に、少し酸っぱい後味。あのころのままの味だった。何だか体中から一気に疲れが抜けていく気がして、ほっと息を吐くと同時に空を見上げるときれいな月が優しく私を照らしていた。 「あーっ、おいしかった。また飲めるなんて思わなかった。そうだ、大人買いしちゃおうかな?だって大人だもんね。」 家に帰るとクリームソーダのおかげかすっかり疲れが取れていた私は、上機嫌で大人買いをしようとアマゾンを開いていた。 「あれ、おかしいな出てこない。やっぱりそんなに売ってないのかな。」 天下のアマゾンにも売っていないとするとやはりホームページから買うのが一番だと思い、金製堂 クリームソーダ と調べてみると驚きの検索結果が現れた。 「あれ、もう10年も前に販売停止したってうそでしょ?だってさっき飲んだし、ここに空き缶が…」 そう思いさっき缶を置いた机の上を見てみるが何もない。びっくりしてほおけている私の耳に、どこかで空き缶が転がる音が聞こえた気がした。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!