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それを聞いて、加奈子はお弁当を少し残したままフタを閉めてしまった。
「おや? 残すんですか」
説明をし終えて、満足げに笑みさえ浮かべていた遊佐先生は、メガネを人差し指で押し戻しながら、心底不思議そうな面持ちで訊き返してきた。
「食欲が失せてしまって……」
と、口を押えている加奈子をしり目に、それでも「育ち盛りは~」云々と、持論を展開している遊佐先生は、やっぱり変わっていると改めて思った。
最初は、漠然と決めてしまったこの高校自体に特別興味もなかったのだ。けれど、一学期の授業が始まり、いろいろな教科の授業が始まると、生物は、この、ちょっと変わっていると噂の遊佐先生の受け持ちだったのだ。先生の、興味のある事に向き合う並々ならぬ熱意と、いつも全力で自由気ままでいると言う姿勢に、当初は、加奈子も面食らってしまったのだけれど。
それでも、どこかで薄っすらと興味を覚えてしまったようで、入学して半年も経つ頃には、ちょっと気になる存在になってしまっていた。
すると生物の教科自体に興味が湧いて、気付けば、理数系で唯一、理解が出来る教科になった。だから、後期の生物の教科委員には、自分から立候補したのだった。
遊佐先生は、古文の先生みたいにハンサムではないけれど、若くて背も高い。何だかこだわりを持っていそうなキレイに整えられた髪型と、べっ甲柄のメガネがいい雰囲気を醸し出している。
――それなのに独身なのは何故なんだろう。やはり、この強烈な“生物ヲタクキャラ”と言う点がネックなのだろうか? それとも、いつ洗濯したのか分からない、ヨレヨレの白衣を着ているからだろうか?――
そんな事を、考え込んでいた加奈子の耳に、昼休み終了五分前の、予鈴が鳴り響いた。
「おーい平木くん、教科委員くん、このDNAの螺旋構造模型を、教室に運んで置いてくださいよ」
そう言うと、既にアルコールランプを片付け終わっていた遊佐先生は、実験教室の後方にある教科準備室に通じるドアの鍵を開け、昆布の出汁が入ったビーカーを、大事そうに抱えて出て行った。
多分、もう遊佐先生の耳には届かないだろうと思ったけれど、それでも一応、加奈子は蚊の鳴くような声で「はい」と返事をした。
「本当に生物は素晴らしいです。細胞の一つ一つが、生きるために頑張り続けているんです。いいですか? その個体の最期の瞬間までずっとですからね!」
と、今回もやっぱり熱く授業で語りたおす。
終業のチャイムが鳴って「では、これまで」と言った遊佐先生は、息が切れていた。
加奈子が、授業で使った模型を、教科準備室へ返すために仕度をしていると、誰かに声をかけられた。
「手伝おうか?」
「えっ」と振り返ると、そこにいたのは、あんまり口を利いた事のない、加奈子の斜め後ろの席の子だった。
もちろん挨拶などはするし、必要な事はちゃんと口を利くけれど、この斜め後ろの席の子が、こんな“友達”のように声をかけてくれるなんて、加奈子はまったく予期していなかったので、少しばかり驚いてしまって「ああ、大丈夫」と、つい素っ気ない返事をしてしまった。
教室を出る時、それでも気になって、模型を運びながらチラッと振り返ったら、その子は何だか照れくさそうな顔をして佇んでいた。
教科準備室まで行き、とにかく六時限目に間に合うようにと、加奈子はダッシュで戻ってきた。
席に着いて次の教科の用意をしていると、他の子たちが話している内容が漏れ聞こえて来た。
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