キマイラたちは麗らかに

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「やっぱりさ、遊佐先生イイよね。もう今はダメだから、二年の前期は生物の教科委員やろうかなぁ」 「えー? 分からないじゃん。二年になったら先生変わるかもよ」 「あっ、そっかー」  加奈子はそんな話しを聞いて、何となく、分かったような気がした。  もしかしたら、さっき話し掛けて来た斜め後ろの席の子も、遊佐先生の事が気になっていて、だから生物の教科委員である自分に声をかけて来たりしたのかも知れないと。  放課後。登下校はいつもひとりだ。  加奈子が通っていたのは公立の中学だった。なので、そこに通う生徒の家は一定の地域に集中している。同じ中学の子が一人もいない高校と言うことで、やはり自宅からは微妙に遠いし、同じ方向に帰る生徒は一人もいなかった。  でもそれは、とても自由な気がした。  行きたくもない寄り道に誘われる事もないし、それをまた、断り切れない自分に対して自己嫌悪に陥る事もないのだから。                   ◇  五時限目が生物ではない日も、時間の都合がつけば、加奈子は生物実験教室にお弁当を食べに来ていた。  ちょっと遠いのは仕方がない。ここなら他に誰もいないし、万が一誰かいたとしても、あの遊佐先生ぐらいなものだから。  それは逆に、ちょっと嬉しかったりするのだ。  けれど、入学当初の“教師まで恋愛対象”と言う考え方とは少し違うと思う。でも今なら“気になる先生がいる”ぐらいの感情なら理解出来る気がした。    お昼休み終了五分前の予鈴が鳴るのと同時ぐらいに、自分の教室に戻った加奈子は、机の横のフックに掛けてあるサブバッグに、お弁当箱を仕舞おうとした。  そのとき偶然、斜め後ろの席の子と目が合った。  するとその子がニコッと笑った。                   ◇  相変わらず、生物実験教室は酸っぱい臭いが漂っている。それでも加奈子は、ここを思い付いて良かったと思った。そんな事を考えながら、自分のペースでお弁当を完食すると「ご馳走さま」と手を合わせた。 「はい、いいえ」  と、遊佐先生じゃない声がする。  加奈子は恐る恐る声のした方を振り返った。  すると、教科準備室と繋がっているドアが開いていて、古文の先生が立っていた。  古文の先生は、固まっている加奈子に向かって笑顔で軽く手を上げる。そしてドアの向こう側に「それじゃ」と言ってから、実験教室を横切って出て行った。  それを見送った加奈子は、お弁当箱をナプキンで包んで、イスをちゃんと片すと、実験教室からいったん廊下に出た。  そして、直ぐ隣にある生物教科準備室のドアを、改めてノックした。 「おや、これは早いですね。お弁当、また食べに来てたんですね」  遊佐先生が準備室のドアを開けながらそう言った。  加奈子は、遊佐先生の机の前に立ち指示を待つ。手持ち無沙汰で、壁一面に設えてある大きな書棚に並ぶ、本のタイトルを眺めたりしていたのだけれど、ふと視線を移すと、机の上に色付きのリップが置いてある。加奈子は奇妙な物でも見てしまったみたいに、目がくぎ付けになってしまった。  そんな加奈子に気付いた遊佐先生は、視線を辿り、苦笑いを浮かべると「僕のじゃありませんよ」と言った。 「そんな事、分かっています。没収したんですか?」  加奈子は愛想笑いも浮かべずに、至極平坦な抑揚で応えた。
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