それから

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それから

 仕事量を減らされたアカツキは、空いた時間に盗まれたと主張したあの対象者、北見さとえの家に来ていた。  彼女を探すため……ではない。 「ただいま。出てきていいよ……母さん」  アカツキの言葉にどこからか一人の老婆が姿を現す。 「おかえり……豊」  そう呟いた老婆は、その瞬間30歳ぐらいの見た目へと変化した。息子の見慣れた姿へと。 「本当に、大丈夫なの?」 「平気だよ。上司にはうまく誤魔化してきたから」  心配そうに話しかける彼女にアカツキは明るく答える。 「俺、自分の名前、忘れかけてたよ。もう随分長いこと『アカツキ』としか呼ばれてなかったから」  死後の仕事に従事するとき、基本的には名前を変えるのが慣例となっていた。どういう仕組みなのか、新しい名で呼ばれて働いていると、現世でのことをあまり思い出さなかった。 「ごめんね、豊。本当に、ごめんね……」  さとえは、アカツキの手を取り、涙ながらに謝った。あのときと同じように。あのとき届かなかった言葉は、ようやく息子に届いたのだ。 「謝らないで、母さん。母さんのせいじゃないよ。母さんの手を振り切って、走り出した俺が悪いんだから」  あの日、母と一緒に買い物に行った少年は、大きな通りの反対側に友人を見つけ、繋がれていた母の手を振り切って、衝動的に走り出してしまった。そして…… 「母さん、俺にはまだ時間があるから。あと30年くらい? そんなにはなかったか? まあでも、ゆっくり話すには充分すぎる時間だ。聞かせてよ、俺がもっと小さかったときのこと、俺がいなくなってからのこと、父さんのこと、姉ちゃんのこと。……全部話したら、きっとすぐ天に昇っちゃうと思うから。話し終えるまでは、それを未練だと思ってて」 「ええ、ええ、もちろんよ。充分生きたからこの世に未練はないと思ってたけど、あなたがまだここにいるなら、あなたと過ごすはずだった時間全てが私の未練よ」  アカツキは、母と寄り添い語り合った。  ほかの案内人の目を盗んで、ひっそりと。
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