第1話 パンクぐらい、自分で直せ!

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第1話 パンクぐらい、自分で直せ!

 初夏のような陽気に包まれた5月下旬の午後、青葉茂れるケヤキの木の下で、藤村修平(ふじむらしゅうへい)は、背負っていたデイパックを枕に眠りについていた。  授業はひたすら退屈で、途中でこっそりと抜け出してきた。  最近は、家に帰る途中にある大きな公園の芝生で、漫画や小説を読みながら昼寝をするのが、唯一の楽しみである。  修平はこの春、1年浪人して都内の大学に入学した。  しかし、入学したのは希望していた大学や学部ではなく、これ以上浪人を避けるため、いわゆる「滑り止め」と考えていた大学であった。  キャンパスは一応、住所は東京ではあるものの、都心から電車で40分近くかかる郊外にあった。  上京してきた当初に想像したような刺激にあふれた都会の生活からは程遠く、大学の同級生は修平と同じく「滑り止め」で入ってきた学生ばかりで、何事につけても気力ややる気が感じられず、日々の生活に張り合いの無さを感じていた。 「はあ~よく寝た。そろそろ日も陰ってきたから、家に帰ろうかな?」  修平は大きなあくびをすると、デイパックを背負い、自転車にまたがり、公園の中を颯爽と駆け抜けていった。  自転車は、実家から持ってきた、高校時代から乗り続けているカゴ付きの「ママチャリ」であった。かれこれ五年近く乗り続けているけど、新しい自転車に買い替えるほどのお金は持っていなかった。  大学入学早々に、家の近所のコンビニエンスストアでアルバイトを始めたが、悪質なクレーマー風の客に度重なる嫌がらせを受け、オーナーにも取り合ってもらえず、このまま続けても精神的に参ってしまいそうだったので、連休前に辞めてしまった。  当面はアルバイトをする気はなく、親の仕送りの範囲内で慎ましく暮らしており、新しく自転車を買える余裕など全く無かった。  道路は公園を抜けると、急峻な坂道になり、少しずつブレーキをかけながら、スピードを落として下っていくと、突然真正面に、小学生のグループが横並びで坂道を登ってきた。  小学生たちはおしゃべりに夢中で、坂の上から降りてくる修平のことなんて眼中には無いようである。 「ヤバイ!このままでは、ぶつかっちまう!」  修平は、慌ててブレーキを強く握りしめ、坂の左側にある植え込みに向けてハンドルを転回した。その瞬間、タイヤが道路の縁石に強くぶつかり、修平は路面に投げ出され、そのまま倒れた。 「わわわ~~~っ!!」  履いていたズボンが少し擦れ、膝から血が滲んでいた。  手のひらも擦りむいたようで、血が少しずつ滲み出してきた。 「おにいちゃん、大丈夫?」  気の利いた男の子が、修平の所に歩み寄った。 「ああ、俺は大丈夫だよ。みんなは、怪我無かったのかい?」 「うん」  修平は自転車を引き上げると、そのまま無言で自転車を引きながら坂道を下っていった。  子ども達は、しばらくは修平の姿を心配そうに見ていたが、やがて何事もなかったかのように会話を再開し、笑い声を上げながら坂道を登っていった。  修平は、自転車に乗ろうと足を上げてサドルにまたがり、ペダルにつま先を乗せたその時、車輪がグニャっと音をたてて潰れ、そのままズルズルと引きずって、前に進まなかった。  修平は、サドルから飛び降りて車輪に触ると、フニャフニャとしており、時々空気がスゥ~っと音を立てて抜けていくのも聞こえてきた。 「ああ、パンクしちゃったな。どこかで直さなくちゃ」  修平は自分で修理道具を持っていないし、直す技術もない。  やむをえず、自宅近くの自転車屋を探すことにした。  スマートフォンをポケットから取り出し、地図アプリから近隣の自転車屋を検索した。色々調べた中で、自宅から一番近いのは、私鉄の駅前にある「丸本(まるもと)商店」であったことから、早速行ってみることにした。  駅前通りは年季が入っている店が多く、シャッターが半開きの肉屋や、腰の曲がった老婆が買い物かごを持ってうろついている八百屋、開いているかどうか分からない定食屋が並んでいた。  その中に、入り口に沢山の自転車が山積みになり、ホイールが地面に転がっている小さな店があった。  店には人影もなく、本当にここなのか?と不安になったが、「丸本商店」と書かれた古く小さな看板が、今にも崩れ落ちそうな屋根の上に掲げられていた。 「すみません!どなたかいらっしゃいますか?」  修平は、大きく息を吸うと、腹の底から大きな声で店の人を呼んだ。  すると、店の中から、初老の男性が銀色のスパナを片手に持って目の前に姿を現した。  白髪交じりのボサボサの髪の毛、煤に塗れた真っ黒な顔、半袖のアンダーシャツと作業ズボン姿という、一見浮浪者なのか?と身構えてしまういでたちであった。 「誰だい、おたく?今忙しいんだけど、何の用?」  男性は、ズボンに片手を突っ込み、巻き舌でぶっきらぼうに話すので、修平も次の言葉を出すのを思わずためらってしまった。 「すみません、お店の人ですか?僕の自転車のタイヤ、パンクしてしまいまして。直していただけないでしょうか?」 「ああ、俺は、ここの店主だけど。パンクだぁ?お前、そのくらい自分で直せよ!」 「いや、それが、できなくて」 「ちっ、しょうがねえな、じゃあ、そこに置いていきな。出来上がりは明日になっちゃうけど、いいかい?」 「は、はい。」  修平は、男性の醸し出す近寄りがたいオーラと、忙しいのに申し訳ない、という気持ちで、そっと自転車を入り口に立てかけ、深々と頭を下げた。  店主は腰を下ろし、入り口に立てかけた自転車を見ると、 「ああ、随分いかれてんな、このタイヤ。すぐ直るかどうか、わかんねえな」 「出来れば早くお願いします。通学に使うので」  店主は、しょうがねえな、と小声でつぶやきながら、プイと背中を向き、自転車を担いでそのまま店の奥に入っていってしまった。 「あれ?もう、いいのかな?」  修平は、あっけにとられていた。  しかし、店主は、店の中から修平の元に再び戻ってくることはなかった。  これが、修平にとって人生を変える運命的な出会いとなるなんて、その時には夢にも思わなかった。
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