第4話 思い切り苦労して、とことん恥をかいてこい!

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第4話 思い切り苦労して、とことん恥をかいてこい!

修平が「丸本商店」でアルバイトを始めてから一年半が過ぎた。  青く澄み切った夏空の下、修平は買ったばかりの自転車に、少しばかりの生活用品に寝袋、テントを積んで、チャリじいの前に姿を見せた。 「チャリじい、おはようございます」 「おお、修平か?これから出発するのか?」 「はい、今夜、飛行機でサンフランシスコに向かいます」 「飛行機だぁ?ふざけやがって!俺の時はな、アメリカ行きの貨物船に乗組員として乗せてもらってやっと渡航できたんだぞ。まだまだ俺の足元にも及ばねえな」  チャリじいは相も変わらず強気に言葉を並べていたが、修平は何も言い返さなかった。チャリじいに怒られる日々の中で徹底的に鍛えられたおかげで、些細なことには動じない芯の強さを身に着けていた。 「まあ……とりあえずは、気をつけて行って来い。現地に着いたら、思いきり苦労して、とことんまで恥をかいてこい!俺はアメリカで、自分の小ささを嫌というほど思い知らされてきたからな」  そういうと、チャリじいは懐から封筒を取り出し、修平の掌の中に握らせた。修平は封筒の中を見ると、そこには数えきれないくらいの枚数の一万円札が収められていた。 「あ、あの、これ……」 「ばーか、俺のへそくりだよ。先にあの世に行ったカミさんの遺産なんだ。お前には俺の夢を託せられる。だから預けたんだよ。ギャンブルとかに使うなよ」  そういうと、チャリじいは店中に貼られたチラシの一枚を引きちぎり、手でパンパンと叩きながら笑った。チラシには、「タワーマンション建設・絶対反対!」と書いてあった。最近、大手ディベロッパーであるサンライフコーポレーションによるタワーマンション計画が持ち上がり、商店街一帯に対し立ち退きの話が出始めていた。 「タワーマンションが何だって言うんだ!俺はここから死んでも離れねえからさ。安心して、またここに帰ってこい!」  そういうと、チャリじいは修平の体をギュッと強く抱き締めた。シワだらけの細い腕から想像もつかない位の力で、修平の体は全く身動きが取れなかった。 「ありがとうございます。行ってきます」  修平はチャリじいの耳元で、そっと呟いた。すると、チャリじいは我に返ったのか、あわてて修平の体から両腕を離した。  修平はその場で一礼すると、くるりと背中を向け、そのまま自転車にまたがり、店から少しずつ遠ざかっていった。  チャリじいは、大きく手を振り、修平の背中が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けた。修平の姿が見えなくなると、チャリじいの目には自然と涙が溢れてきた。普段はめったなことでは泣かないのに、涙が溢れて止まらなかった。 「ば、バカ野郎!何でこの俺があいつのために泣かなくちゃならないんだよ!」  チャリじいはそう言いながらあわてて店内に駆け込むと、テーブルに顔を突っ伏し、声を上げて嗚咽した。  その時、店の外から何度もドアを叩く音とともに、若い男性の鋭い声が響き渡った。  「すみません、サンライフコーポレーションの沖田(おきた)ですけど、丸本さんいますかぁ?ちょっとだけお時間いただけますかねえ?」  声を聞いたチャリじいは、涙を拭うと、床に落ちていたスパナを手に取り、店の外に向かって思い切り投げつけた。 「てめえ、また来たのかよ!何度来たって俺の考えは変わらねえよ。この場所にマンションなんか絶対作らせるもんか!二度と来るんじゃねえぞ!」  スパナはドアにぶつかり、金属音を立てて地面に転がり落ちた。 「まだ反対されているんですかぁ?あのね丸本さん、あなたがいくら私たちの計画に反対しても、既に住民のほとんどの方が同意しているんですから。それだけは覚えておいてくださいね!」  男性はそう言うと、靴音を立てながら去っていった。 「俺は絶対に守るぞ……修平が帰ってくるまで、この店を死ぬ気で守ってやる!」  チャリじいは手を震わせながらスパナを拾うと、店から遠ざかる男性の背中を顔をしわくちゃにしながら睨みつけていた。
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