第5話 俺はいつでも、ここにいるよ!

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第5話 俺はいつでも、ここにいるよ!

 二年後、修平はアメリカから帰国した。  髪は肩のあたりまで伸び、顔や腕、腿は真っ黒に日焼けし、顎は髭に覆われ、出国する前よりも逞しさを増していた。修平は沢山のお土産を抱えて、駅前商店街の自転車店「丸本商店」に向かった。  しかし、駅前には丸本商店はおろか、商店街自体の姿が無かった。  その場所には、天まで届く位の高さを持つ巨大なタワーマンションが堂々と居座っていた。その隣には都心から進出してきた大手スーパーが建ち、おしゃれな佇まいの飲食店が駅に向かってずらりと並んでいた。  たった二年の間に大きく変貌した駅前の姿に驚いたのと同時に、修平をアメリカ自転車旅行へと導いたチャリじいはどこに居るのか、心配になった。  チャリじいの居場所について、一体誰に聞けばいいのか……  途方に暮れていたその時、腰の曲がった老婆が、杖を突きながらゆっくりと駅前通りを歩いていたのを見かけた。  修平は、この老婆が丸本商店近くの八百屋でよく買い物をしていたことを、今でもよく覚えていた。 「あの、すみません……。ちょっとお尋ねしますが、ここにあった丸本商店さんのことご存知でしょうか?」 「ああ?丸本さんのこと?あの人はねえ、もう、ここにゃいないよ」 「え?じゃあ。どこにいるか知っていますか?」 「ここのマンションの工事が始まった頃に体を壊して、そのまま『けやき荘』に行っちまったよ」 「けやき荘?」 「ああ、特養老人ホームのことさ。隣町にあるんだけどね」  その言葉を聞くと、修平は老婆に頭を下げ、そのまま自転車に乗って「けやき荘」を目指した。  チャリじいは修平が出国する前、このマンション建設反対のチラシを見せていたが、おそらく建設に抗しきれず、あの場所に居座ることもできなかったのだろう。  修平はスマートフォンの地図アプリで「けやき荘」の場所を調べ、ひたすらペダルを漕いだ。すると、雑木林に覆われた小高い丘の上に続く坂道の入口に「けやき荘」の看板が立っているのを見つけた。修平が建物に入ると、玄関からすぐ近くの所に案内カウンターがあった。 「すみません、私は藤村修平と言います。丸本さんって方は、こちらに居りますか?」 「藤村さん……ですね。少しお待ちくださいね」  すると、案内の女性は、館内電話で誰かと話し始めた。しばらく案内の前で待っていると、車いすに乗った、見覚えのある顔の男性が近づいてきた。  それは、紛れもなくチャリじいだった。 「チャリじい、僕ですよ!修平ですよ!つい先日、アメリカから帰ってきました」 「ああ……修平か。おかえり」  チャリじいは髪が薄くなり、顔やシャツから出ている両手は艶を失い、すっかりやせ細っていた。 「どうしちゃったんですか?僕、すごく会いたかったのに、こんなになっちゃって」 「修平……俺、お前にウソを付いてしまったよ。ずっとあの店にいるよって言ったのにさ。こんな場所で、こんなぶざまな姿を見せたくなかったよ」  チャリじいは、窓の外から見える駅前のタワーマンションを見ながら呟いた。 「商店街を守るため、俺がもっと頑張れたらと思うと、悔しくてさ……でもな、俺にはまだ、これがある。これだけは、何があっても離さないつもりだよ」  そう言うと、修平はポケットからスパナを取り出し、ニヤリと笑った。 「車いすの調子が悪いって言う人がいたら、こいつで直しているんだ。自転車以外にも色々なことで役に立ってるんだから、すごいよな、こいつは」  そう言いながらスパナを撫でているチャリじいの膝の上に、修平はアメリカのお土産をポンと置いた。 「チャリじい、僕、アメリカでの旅を通して、自分のやりたいことを見つけました。僕、チャリじいのような自転車屋になりたいんです」 「何だと……本気で言ってるのか?」 「ええ、本気ですよ。しばらくはどこかの自転車屋で修行しながら、クラウドファンディングで資金を集めて、出来るだけ早くお店を開ければいいなって思ってます」  すると、チャリじいはしばらくの間、無言で何やら考え事をしていたが、やがて、少しずつ重い口を開いた。 「成長したな、修平。ただ、商売ってのは決して一筋縄ではいかなくて、想像していた以上に苦労することも多くてな。だから、何か困ったことがあれば、またここに来い。俺はいつも、ここにいるからさ。こんな老いぼれがお前の役に立つか分からんけど……お前のことを応援したいんだ。なぜなら、お前の夢は、俺の夢だからさ」    そう言うと、チャリじいは修平の手を、そっと握りしめた。  衰弱したチャリじいの手は、昔のような力強さはないけど、その手はしっかり修平の手を握っていた。 「修平……今のお前は、昔の俺みたいだ、いや、昔の俺そのものだよ」  チャリじいの声を聞くと、修平の目には、とめどなく涙が溢れ出た。 「僕、チャリじいの夢を、必ず、実現するから……だから、それまでは絶対生きていてください!」 「馬鹿野郎、勝手に殺すなよ。お前がちゃんと一人前の自転車屋になるまでは、死んでたまるかよ」 「アハハハ、そうですよね。そうこなくっちゃ!」  窓からはまぶしい西日が注ぎ込み、お互いの手を握りしめて笑い合う二人の背中を優しく、そして温かく包みこんでいた。 (おわり)
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