自惚れ狂人

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自惚れ狂人

 はて、おんなとは、人間なのかしら。  勘違いしないでもらいたい。女の話じゃない。むしろ、男の、馬鹿で阿呆な、自惚れた話さ。そいつは若白髪を靡かせて、片手に煙草を挟みながらどこでも格好つけて歩いているそうだよ。 (みな見惚れているだろ、あいつは何者だと釘付けだ。見てみなよ、彼女、足元から視線を這わせて僕の目まで舐めるように見ているじゃないか)  どうだ、とんだ自惚れ野郎だろ。全く、親の顔が見てみたいね。と煽ってやりたいが、親もまた可笑しな口をしているそうだよ。だが息子ほどじゃないね、どうしてあれを、ああさせてしまったかね。ま、親のせいだ大人のせいだと喚くのもみっともない。  彼が煙草を吸いながら何を考えているのか、知ったら軽蔑の目がまた増えそうだ。監視カメラを世界中に設置して一日中眺めてやりたい。きっと、彼の自惚れを見ながら飲む酒は格別だよ。何故、そんなことが言えるかって、是非問おてくれ。だって僕は、馬鹿で阿呆な自惚れ野郎なのだから。  先に言っておく、僕は自分を客観視しすぎるところがある。よくない癖だ。これがどれほど邪魔だと思ったか、あなたにわかるかい?例え人生左右するかもしれない局面に立っていたとしても、この上空からの目は消せないのだ。自分が主人公で映っている映画を見ているようなものだ。ああ、こんなところに皺をつくって笑っているのか、と見ている苦痛は共感性羞恥さえふつふつ沸き起こるだろう。  ほら、また、コートのポケットに手を突っ込んで空に煙を吐いている、酔いしれた男が歩いている。  今夜は宮野と呑むことになっている。着慣れた黒いシャツに、薄くなってきたジーンズ、黒いコートを袖を通さずに肩に掛け、いくつかの信号を無視して歩いた。もう日付が変わって二時間が経っている、こんな時間に車通りなどほとんどない。横断歩道さえないものになっている。  鍵は空いているからいつでも入ってくれ、と事前に知らされている。宮野が住むマンションの六階まで、階段で登ってみることにした。まだ吸いきらない煙草と、キスをしながら、無表情で虚な自分がとても洒落ていて、バラード曲を息だけで歌うととても似合う。だからもう少し、夜と煙に遊ばれていたかったけれど、案外六階はすぐだった。根元までキスした煙草は革靴で踏み消し、玄関を開けた。 「よぉ宮野、もう呑んでるな」 「おう、来たか、まだまだ呑んだうちに入らんよ。女でも隣にいればもう、もっと回ってるよ」  炭酸の音を聞かせて缶を開け、いい呑みっぷりを見せた。もう頬が赤くなっているのは言うまでもないが、本人はその声量にも気づかないほど、かなり呑んでいるらしい。  楽しくなりそうだ、宴をはじめようか。 「いやーさすがっすねパイセン、女と酒の知恵が博士だね、勝てんよ」  大いに笑った。筋肉を動かした。楽しさこそ、踊りたいほど本物であるけれど、どうも自分に身を任せるのが苦手みたいでね。笑顔がほしい、と他人に命令するかのように指令を出して笑っているような気がする。しつこいようだけれど、彼との時間の楽しさは本物だ。ただピエロのような仮面が同化してしまっているだけかもしれん。  ふざけた男の話を挨拶のように交わし、ソファに足をついてもたれ、煙草に火をつけた。宮野もメビウスを一本抜いて咥えた。 「彼女とはどうよ、発情期は終わった?」  下品だ。 「ああ、昨日、抱いた」  僕も、下品だ。  ピースライトとメビウスの煙が混じり合う。 「いいねぇ、こっちは最近ご無沙汰よ」 「あれ、あの清楚女子は?もう酒も煙も覚えさせたと思ったよ」  吸い殻で山になった灰皿に灰を落とし、携帯から音楽を流した。  まるで映画のように気持ちよく酔わしてくれる、ジャズを選曲した。主人公と友人の女語りシーンか、いや、選曲ミスだな。いっそのこと僕を女にしてくれないかしら、そこの酔っぱらい美青年さん。そうすればもう少しは色っぽく聴こえるだろうと思うのだけれど。男に興味はない、か。自問自答がやらしい。 「いや、あの子はだめ、真面目でいい子だ。優しい俺は楽しくお喋りさ、優しいから」  自分の言葉に自分で笑っている。つられて笑っておこう、という気持ちで僕は笑ってしまった。 「そうだね、優しいからね、うんうん」 「何か言いたそう、いいよ今宵は何でもぶちまけろ。酒のせいにしよう」  宙に乾杯されたので、こちらも缶を掲げよう。酒の波が指に伝って、そうか、そうだな、よし。 「酒のせいだ。お前、いや宮野は酷い男だよ。自分から脱ぐくせに、女が先に脱げばこちらは脱がない」  友人の間柄でも相手に、お前、と呼べないこの性格はただの臆病だろうか。そうやって肩を組む連中の怖いもの知らずは、別れを知らないのだろうか。  酒のせいだから、と缶を顔の前に持ち上げて煙を吹き出した。  こんな便利なものがあるから、目を合わせなくて済む。誰かと目を見て話すのは苦手だ。長い付き合いの彼ですらあまり見れないのだから、これも含めると僕は相当な臆病者みたいだ。 「男の本性なんてそんなもんだろう。みんな繕ってるだけさ、意中のあそこを開くためにみんなみんな、おべっかばかり。その点俺はどうよ、正直者で優しいと言えるんじゃないか?」  違う、きっと、そうじゃない。きっと世の常識とやらに従うのが合理的なだけだ。相手の期待に応えなければ、意中の理想にならなければ、と無意識がそうさせている。僕はそう思うね、などと、臆病者は吐き出せず。 「それもそうだな」  と、宮野が言うように繕った。そして笑った。  煙草を灰皿に押し付け、コートを脱ぎ喉を鳴らして酒を流し込んだ。  次へ次へと開け、飲み干し、冷蔵庫から酒が尽きたので、コートを肩に掛け煙草とジッポをポケットに入れ、宮野と深夜の空気を吸いに外へ出た。がま口に入れた小銭も一緒に。  袖に手を通さないとコートがあっても冷えるらしい。それでも格好が良いだろなんて言わない。寒いとも言わない。自分に酔いしれるのは酒より酔えるが、恥はどちらの酔いも覚ましてしまいそうで怖い。  コンビニで缶ビールとバニラ、いつもの組み合わせを買った。誰に見せても変な顔をされるが、これは僕が変わっているのではないはず。とある女性歌手がそう歌っていたから、試したらこれは美味いとなった。その女性はほんとうにこの組み合わせで召し上がっているのだろうか。そして真似ている自分はやはり自惚れ病なのかもしれない、と自覚が増すばかり。 「どうにか魔法が使えないものかねぇ、その魔法の発動条件は、煙草を咥える、かもしくは、口づけ、だったら嬉しいかな」 「そりゃ都合が良すぎる、口づけは、都合が悪すぎる」 「ロマンチックだろ?作家を志す者として、ロマンがここにないとね」  ふっ、と愛想笑いが痛い。  宮野は接客業に勤めているが、僕という人間は職に就かず、ただ書いてのうのうと生きてるだけさ。未だ大した実績もないけれど、『語世血(かたりせいち)』というペンネームを右手に宿した男は、退屈な人生で終わらすはずもない。 「ロマン、ねぇ。ほんとにお前、小説なんか、書けるのか?語世血先生、さん」  残り一口分の酒をちゃぽちゃぽ揺らし、しゃっくりしながら煽ってくる。 「ああ書くよ、卑猥で繊細で、美しい人間の様をぶちまけてやるよ。じゃあ聞くが、宮野はなんで煙草なんか吸ってるんだよ」  話の火をつけ、深く吸って味わい、ため息を誤魔化すように吹き出した。 「そりゃあ、旨いからだよ。お前もそうだろうよ」 「いやぁ違うね、ロマンだよ」  ああ、旨い。  夜明けと共に幕が上がる。  カルキ抜きをしなかった人間が、熱帯魚に適当な水をやる。ほら、水よ、と注ぐ行為がありがた迷惑と気づかない。あなたのエゴよ、と言い出せないで泳ぎ回り逃げ道を探す。泳いだ目はあからさまのはずなのだけれど、先読みしなかった哀れな人間は、あと戻りできない、としか導きだせず、どちらも無様に逃げ道を探しはじめている。また、そんな状況にも息が詰まるばかりで酸素まで汚された気がしてしまう。  女の尻が、左右に妖艶にゆらゆら揺れている。早朝の日がカーテンから差し込み、その尻だけが強調されて蛍のようだ。尻、尻、尻。視界が埋もれてゆく。目眩がしそうだ。こちらが獣になるのをただ振りながら待っているこの女を、蛍女とでも呼ぼうか。 「ねぇ、どうかしら」  困った。 「興奮する?」 「ああ、するね」  困った。  露わになっているお乳をこちらに向け、座り直して股を撫でてきた。 「嘘つき」  一切脱いでいない自分の前に全裸の女がいるというのは、どうも居心地が悪い。僕が男であるからなのか、いや、男にさせられているのだ、この女はそれを知っているに違いない。ロマンチックじゃない。  蛍女の手首を掴んで、勃っていないそれから離した。 「僕は物書きだよ?もっと素敵な、もっと妖艶になった君が見たいな」  そうだ、女体は美しいものだ。美しくあるべきなのだ、と押し付けがましく、その豊満とまでも言えないほどのお乳の裡に、刻み込んでみたい。それは肌や形の問題ではない。清楚で、清潔で、不思議で、果てしなく未知的で、風が似合い、花は持たなくていい、それでいて妖艶で、いやらしく、曲線美を奏でる。そんな女性に芸術を感じる。 「どうすればいいの?」  掛け布団で身体を隠して、素直にそう聞いた。まるで恥じらいもないものだと思い込んでしまっていた、さっきの淫らな尻を見れば仕方ない。 「そこの壁に手をついて、お尻を僕に突き出して。そしてただじっとしているんだ」 「でも......」 「君を美しく見たいんだ、いいよね」  お胸まである長い髪を耳にかけ、近くで囁いてやった。わかったわ、と俯いたまま正面の壁の前に立ち、言われた通りお見せしてくれた。こういう素直な子はたまらない。  カーテンを女の身体分だけ開け、はだかの女体はお日様に晒された。辺りは一切光を入れず、その一本の光だけが女体を照らす。なんてお美しい。その熱を帯びた芸術に性的に触れるなど、自分の美的センスが崩れてしまう。ただじっと裸を見つめられるという羞恥に、蛍女はもじもじ脚を動かしている。長い髪は背中を流れ、豊満な尻が弾む。まるでヌード絵画が生きているようだ。だが変わらず僕の下半身は欲情しないままだった。ただ書きたい、そしてあわよくば絵に描きたいとさえ思わせた。プロの絵描きになれなかった僕の画力じゃ君を満足に描けないと悔やみ、やはり言葉で書くしかないと自覚した。 「お菊が、咲いている」 「やめて...」  おしり、というものは華を隠している。ほとんどの誰もがそれに気づかず邪険にしている気がする。尻の華、は女だけの美しさじゃない。男の華も誰もが隠しているのに、それもほとんどの誰もが気づかない。男の場合は特にそうだ。  僕の囁くような声は蛍女に聞こえていたらしい、そしてお菊の意味まで知っている、お上品な女だ。 「君はこんな僕に、ほんとうに濡れる?」  芸術を目の前にすると惨めな気持ちになる時がある。官能の美に魅せられる僕は、いやらしい自分になっているのではないかと、何処にも行き場のない感情が右往左往して不安になる。だがそんな自分を認められたいのか、裸にした女性にそんな問いを投げた。 「語さんの頭の中も容姿も、全部素敵だと思うわ。きっと語さんはもっと狂える、もちろん良い意味よ。だからもっと知りたくなるの、きっと他の女の人もそう思ってる」  日焼けしそうなほどの日の光が、女の蜜を輝かせていた。ただ裸を見られているという状況、意中の人の芸術の一部になれたのかもしれないという興奮、もしくは僕の声、きっと様々な感情がそこを濡らしているに違いない。  ハンガーに掛かっていたコートを取り、背中から被せてやりながら、 「説得力があるね」  と言って、動く絵画を人に戻してあげた。 「寒かったでしょ、ありがとう。興奮したよ」  これだけ美しいと思える女の裸を見ていて、セックスしたいと思えないのだ。それどころか一度も欲情しなかった。ほんとうに芸術としか女体を見ていないのかもしれない。  いつか、男友達にこんなことを言われたことがある。 「それはお前、男としてどうなんだよ。顔も身体も悪くない上に年齢も丁度いい、そんな女が目の前で脱いでるのに何も思わないってそれ、ほんとに性欲あるの?」  男として、という部分に引っかかるけれど、性欲だって人並みにある。人並みどころか、きっとかなり強い方だと自覚しているくらいだ。けれど、それは異性とのセックスにどうしても結びつかない。いやらしいと思える姿が見たい、官能的な作品に触れたい、それらは性欲から来ている欲求に間違いはない。性欲がなければ官能の芸術を生み出すこともできないはずだ。きっと僕の、性癖、という生き物は魔物のようなもので、この身の何処かに住みついている魔物が心を美味しく蝕み、限界を知らずに進化して変化し続ける。僕の魔物は、己を愛せ、汚れを拒んで愛せ、と唱え続けるのだ。厄介な生き物だ。だが嫌いじゃない。僕は自分の感性が狂おしいほど愛おしい。蛍女の言葉は、そんな僕に深く突き刺さった。あの女は僕という罪を、一緒に背負ってしまったことに気づいていない。 「これ以上は何もしてくれないの?」  コートで乳房を隠しながらそう言った。 「知ってるだろ、こんな僕にも恋人がいるんだ」  隠しきれていない陰毛を見下ろしてそう言った。 「そう...」  パンティを履かずにスカートを履き、ブラジャーも着けずにトレーナーを着て、さよなら、と静かに出て行った。  整えられていない陰毛が頭から離れず、これでまた書ける気がして、垂れ落ちていた蛍女の愛液を見つめながら立ち尽くしていた。  もう一月も経てばクリスマスや年明けなどの時期がやってくる。寒空の下、月と睨めっこしながら煙草の煙を吐いていた。吸い込むたびに酔いが回る感覚があり、恋人の彩乃は酔い潰れて部屋で寝ている。恋人であろうと誰かと一緒にいるのは疲れる。寝てくれると安堵してしまう僕は、やはり孤独に好かれているのだろうか。愛してる、孤独。愛してる、自分。虚しいとは思えない。いつからこうなってしまったのか鮮明に覚えてはいないけれど、こんな自分であるからこそ自分を失わずに生きていられるのかもしれないと思うと、やはり自分が愛おしい。  人の営みは難しい。これぞ人間、なんて正しい道はありもしないのに、僕はどこか狂ってる、なんて、正しい道はどこかにあると言っているようなものかもしれない。この煙草一本だって、やめなさいな、と邪険にされる一部だ。でも愛したんだ、仕方ないじゃないか。自分を愛して愛してやまないのと同じくらい、美しい一瞬なんだ。  愛されたい。愛されたいんだ。こんなにも自分で自分を愛しているのに。満たして満たして、溢れるほどなのに、愛されたいんだって気づいている。でもこんな言葉は誰にも吐けないでいる。彩乃にも、愛情表現はお互いにするものの、愛されていると心の底から思えない。いつだって女を抱くのは男なんだ。それが悲しくて、果てるまでに虚しさに襲われる。それならば、セックスなんて何の意味があるのか、僕にはわからない。  お腹の底まで吸い込む勢いで煙草とキスして、夜のお営みは無いまま眠ってくれたことにまた安堵している。狭いベランダの地面に擦り付けて火を消し、部屋へ戻った。  歪みたい。あなたがそれを歪んでいると言うのなら、歪みたい。女性の象徴のようなお花柄のワンピースを身に纏って、男である脚を隠さず、少し足りない袖も気にせず、似合わないボクサーパンツは脱ぎ捨て、靴下も靴も履かずに裸足のまま、夜に溶け込みたい。  ソファで寝ている彩乃の寝顔を確認し、彩乃のクローゼットを勝手に開け、素っ裸になった。赤いお花柄のワンピースを頭から被り、女の匂いに包まれた。柔軟剤は同じはずなのに、明らかに鼻腔をくすぐる感覚が違う。柔らかい薄手の生地は、男の性器の輪郭を魅せてしまっている。そっと左手で撫でると、自分ではない何者かに触れられた気がした。お財布もスマホも持たず、煙草とジッポだけ持って玄関を跨いだ。  別人になった気分じゃない、仮面を取った気分だ。この姿こそ、ありのままを曝け出している姿だと思う。例え醜くてもいい。ありのまま。はだか。自分自身。僕は僕。誰の偽りも装ってない。気持ちいい。今はこの暗闇に身を委ねて、ただ歩きたい。風を感じたい。それで自分を感じたい。今生きているんだ、尊い存在として、今を生きているんだ。靡くワンピースはお花柄だと、自分だけが知っている。すれ違う酔っ払いの視線も気にしない。痛い視線が飛び込んできているのは気づいている。だがそんな価値もない視線、気にしていられない。僕は僕と歩いているのよ。今は僕だけを感じるの。僕の人生において、こういう時間が何より大事なんだ。自分を忘れてしまいそうになる。愛想笑いで作った仮面に、この肉体ごと乗っ取られてしまいそうで、僕が僕じゃなくなるのが怖い。 「気が済んだかしら、可愛い変態さん」  振り返ったとこに立っているのは彩乃だった。僕が脱ぎ捨てた服をそのまま着て、そこに立っている。 「変態で結構、これが僕なんだ」 「知ってる」  彼女の煙草はアメリカンスピリット。 「こんな季節によくその格好でいられるわね」  確かにワンピース一枚に下着もなしで、おまけに裸足ときたら誰もが可笑しいと思う。  男と女が入れ替わったような大人の二人は、交際を始めて一ヶ月。ここから歩む二人の関係は、ただの恋人ではない不思議な時間を共にすることとなっていく。
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