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女と解剖
たった二ヶ月という月日で、彩乃は僕を解剖していった。気に食わないこと、幸福に感じること、性との向き合い方、生き方、全てにおいて僕という狂人の内蔵を噛み砕いた。彩乃は面白い。女性にこれだけ興味を惹かれてしまったのは初めてかもしれない。
有給を使って三連休を取ってくれた彩乃と初めての旅行当日、昼間は駅の中にあるお店を歩き回りショッピングを楽しみ、日が落ち始める頃、居酒屋に入りたらふくビールを飲み、お勘定は全て彩乃。自分のお財布は持っているものの、交際を始める前から金銭面は全て彩乃が受け持っていた。いわゆるヒモ状態の物書き彼氏なのだ。側から見た印象は悪いかもしれないが、世間の目はどうでもいい。これが今の僕という人間だ。
ラブホテルにチェックインを済ませ、部屋番号が点滅するドアを開けた。
「ああ...脚が痛い、疲れた」
リュックを床に下ろし、靴下も脱がずにベッドへ飛び込んだ。彩乃も紙袋とリュックを下ろし、白色のコートをハンガーに掛けている。
「私が先にシャワー浴びる?」
彼女は一緒に入ろうとは一度も言ったことがない。それどころか裸のお営みも絶対に誘ってこない。ラブホテルであってもそうなのは、僕を解剖して知っているからだ。
「うん、そうして」
そう言うと彼女は、リュックから自分の着替えを取り出し、僕の着替えも取り出した。自分の着替えは雑に放り出し、僕の下着やパジャマを丁寧に畳んで、ソファの上に置いた後にバスルームへ入って行った。
彼女は僕の幻想の人になろうとしているのかもしれない。宮野にも言われたことがある。そんな変わり者なかなかいないぞ、と。
彩乃との出会いはSNSだった。小説投稿サイトで僕の作品を見つけ、ただ一言だけコメントを残した。『濡れました』と。感動や面白い、などの感想は一切なく、ただその一言から始まった。彼女とのメッセージのやり取りは毎日頻繁に行われ、先生の理想はどのようなお人ですか?と聞かれたこともあり、何故か僕は一切偽らず、思うがままに理想を綴って送信した。すると彼女は、『いやらしい幻想ですね』と言った。理想ですね、とは言わなかった。その言葉を何度も何度も脳内再生し、眠る前も瞼の裏から言葉が消えなかった。いざお会いしてみると、一目惚れをしてしまうような美しさはなかった。黒髪は肩に掛かるほどの長さ、お洒落な服装でもない、世間から見てもスタイルが良いとも言えない。お胸の膨らみは小さく、特別細いわけでも太っているわけでもない、何処にでもそうな女性であった。しゃがめばスキニーパンツが破れてしまいそうなお尻ではあったけれど。
久しぶりにあの言葉を思い出しながらうとうとしていると、バスルームの扉が開く音で今に戻された。
「お先。シャワーどうぞ?」
バスローブを纏った姿で、ほんのり頬が火照っている。
「うん、今日買った下着、着けた?」
「ええ、もちろん」
片手を胸元に添えて、恥じらうようにそう言った。早まる気持ちを抑えるために、ソファに座って煙草を咥えると、彩乃が僕の前に正座してジッポで火をつけた。
「ありがとう」
言い終えてから横を向いて煙を吐いた。
「気使ってるの?」
「いや、人の顔に煙を吐くほどの自惚れじゃないよ」
「そうだったかしら?」
からかうような表情で微笑んでいる。
この距離にいても僕に触れようとしない彼女は、僕のエゴで作ってしまった人形ではないだろうか。ふと不安になることがある。果たして僕らは恋人という縛りが必要なのだろうか。縛り、と言ってしまう僕は愛を知っているのだろうか。
「何か考えてる?」
灰皿を両手で掬うように持って、煙草の灰を落とさせてくれる。
「僕のどこを愛してる?」
照れ隠しに目を逸らして聞いた。
「世血さんが世血さんを愛してるとこ、は答えになってるかしら」
幻想だ。やはり彼女は幻想だ。僕を愛しているという本心は隠さないでいるようだけれど、きっと君は幻想に依存してしまっていることに自覚していて、それを隠そうとしている。もう君は、幻想でいる自分が好きなんだ。
「僕の小説は、未だに好き?」
「もちろん。私あの文章が好き、『あの人の前では放屁も恥じらい、怖いものなし』というとこ。女性主人公に放屁を言わせるなんて、あえてお下品を官能に魅せているようで素敵」
女性視点の官能もまた美しい。僕の脳とも言える小説の言葉も的確に解剖してしまう彼女もまた、美しい。
「彩乃の放屁が聞けるのはいつかな」
煙草の火を消して耳元で囁いた。
「やだ...お下品なの嫌いじゃないの?」
「恋人の放屁がお下品だと思う?むしろ可愛らしいよ」
「そうね、いつかの未来での、世血さんの放屁も愛おしいはずね」
舌先が少し触れ合うキスを交わし、シャンプーの香りを鼻に覚えて、僕もバスルームへ向かった。
愛でるように身体を洗い、丁寧に畳まれた下着とバスローブを身につけた。戻ると部屋は常夜灯ほどの暗さになっており、彩乃はソファで煙草を吸っていた。
「寝る前の煙草は必須よね」
「わかる」
煙草を咥えて隣に座ると、自分の煙草を一旦灰皿に置き、左手を添えながら僕の口元にジッポを近づけ火をつけた。
「ありがとう」
目を閉じて深く吸い込み、ゆっくり吐く。
瞼の裏に、蛍女の裸が映る。自ら這いつくばり淫らに尻を振るあの姿が。露骨に淫乱な様子で誘ってくる裸が苦手だ。相手の下半身にしか興味のないような、あの目つきに誘惑されると、こちらが抱かなくてはいけない、という空気に圧倒されてしまう。だから女の裸に興奮しないわけじゃない。妖艶でしなやかなお裸と、自分の身体には興奮する。
先におやすみするね、とベッドへ移動した彩乃は布団へ潜り、こちらに背を向けている。火を消してお水を一口飲み、掛け布団の上からベッドに座った。
「彩乃...」
帯を解き、下着を脱いで呼んだ。
露わになった勃起した性器を見て、一言返事をして起き上がった。
「はい...」
僕はベッドの端に腰掛け、彩乃の準備を待った。彩乃は部屋を明るくしてから僕の前に立ち、バスローブを脱いだ。今日のデートで買った新しい下着は、純白のレースになっており、小さいお乳を包み込んでいた。
「似合ってるよ、下着」
ふふっ、と満足そうに微笑み、目の前でブラジャーのホックを外し、左肩から順に紐を下ろした。止まることなくパンティも下ろし、生まれたままの姿を見せた。脱いだ下着を丁寧に畳み終えてから、僕の前に正座した。
僕と彩乃のセックスはいつもこうして始まる。彩乃からのお誘いはなく、僕が性器を見せることが合図なのだ。時間をかけた雰囲気作りも、誘いの言葉も、タイミングを測る探り合いも、何もストレスのない行為。幻想になりたい彼女は、僕に合わせてそうしてくれる。だからと言って彼女は今求めているんだ、ということに気づけないわけではない。彩乃は仕草でわかりやすい。僕を求めている時は、自分の首を触る癖がある。
「もうこんなに大きくして...」
そう言って僕の性器を触り始めた。右手はペニスを握り、左手は睾丸を支えるように添えている。決して乱暴な手つきはなく、丁寧に大切に触ってくれている。すぐに愛液は溢れはじめ、彩乃の手を濡らしていった。
「痛くない?」
全裸で見上げる彼女は優しい口調で聞いた。見つめたまま、無言で頷いた。
愛液と指が擦れ、液が泡立つように白くなりはじめた。感度が増して口から息が漏れはじめ、ペニスはさらに硬く赤くなっていった。
「いただきます...」
と愛情と大切さを小声で伝えてから、綺麗な唇の中へ咥え込んだ。暖かい口内で唾液と熱を感じ、喘ぎ声が漏れた。唾液と愛液が混じり濡れたペニスが出し入れされ、いやらしい音を立てて美味しそうに頬張っている。柔らかい舌で裏筋を刺激したり、吸ったりして、漏れる喘ぎ声を彩乃に届ける。気持ちいい、感じてる、愛してる、を届けるための大切な喘ぎ声。
口から抜き、糸を引いている唇がやけに官能的で鼓動が早まる。
「お尻、こっち向けて」
立ち上がり、壁に手をついて豊満な尻をこちらに突き出した。指でヴァギナを広げてやり、膣の愛液を確認した。充分に濡れている。
「ん、いいよ」
もう挿れても大丈夫なほどあなたも濡れていますよ、という意味だ。
「ありがとう...じゃあ、付けるわね」
封を切ってコンドームを取り出し、両手で優しくペニスに被せてくれた。
僕の膝に片手をついて、もう片手でペニスを掴み、自らの膣へ先端を合わせている。ゆっくり沈めていき、膣内へ挿入されていく。
「あっ...ああ...はぁ」
喘ぎながら根元まで飲み込んでいった。動き始めた大きな尻は、いやらしく臀部が波打っている。
女性側が動いているセックスが好きだ。男性側が抱く、という一般的な思想を壊してくれているみたいで居心地がいい。そして僕らのセックスは挿入しはじめると会話は一切なく、お互いの喘ぎ声をただ聞き合いながらお互いを感じる。性欲に身を任せる。性を奏でる。
コンドーム越しに感じる彩乃の体温と体液。ペニスから伝わり身体全身で味わっている。僕の膝に片手ずつ置いて、必死に尻を上下して喘いでいる。精液が上がってくる感覚が脳内を埋め尽くし、射精の欲求で脳内まで真っ白にインクが落とされるみたいに染まっていく。限界がそこまできているペニスの膨張が彩乃に伝わり、臀部の波打ちが早くなった。響く喘ぎ声と共に抜き差しが激しくなっていき、痺れるような快感を迎え、膣内へ射精した。脈打つペニスを根元まで包み込み、出し切るまで性器同士が濃厚なキスをし続けた。
「気持ちよかったかしら...」
荒い息のまま、最初に口を開いたのは彩乃だった。
「うん、気持ちよかったよ...」
腰を上げてゆっくり抜き、濡れたヴァギナをティッシュで拭ってやった。
「あっ...ありがとう」
敏感になっているそこにテッシュが触れるだけでまた吐息を漏らした。
彩乃は下着を着け、コンドームを取ったあとに柔らかくなったペニスをお口に含み、吸うように舐めて愛液や精液を拭った。
「まだ旅行一日目よ、もうおやすみして、残りの二日も楽しみましょ」
目尻が溶けてしまったような微笑みで、僕の性器に両手をかざして、見ないようにしながらそう言った。営みが終わると、恥じらいを忘れることなくいつもこうして隠してくる。
これほどの幻想はこの先、生涯かけても、他に巡り会えないだろう。ああ、いい女だ、と内心ため息が出るよ。僕が僕でいることを忘れさせないのだ。恋人という沼に落ちさせない。最優先は語世血が自分を愛すること、そして作品を愛すること、その次に出来れば私がいればいい、という気持ちがひしひし伝わってくる。この上ない我が儘な僕を、幻想という理想すぎる恋人として支えてくれているのだ。
「おやすみ、愛してる」
甘ったるいキスを交わして、背中を向け合って眠りに落ちた。
「お前...それはもはや恋人じゃねーよ...」
がやがやと騒がしい居酒屋で、片手に煙草、もう片手にジョッキ、顔を赤くした宮野がそう言った。
「いいだろ?まさに理想」
あまりに幻想的なひと時だった彩乃とのセックスを話した。あの時の彩乃の大きいお尻を脳裏に焼き付けて飲む酒はよく酔える。
「女友達は絵画にするし、恋人はご奉仕メイド、さらにそのヒモときた。いやぁ、羨ましいね」
「メイドって言うな」
僕にとってはあれで立派な恋人なんだ。立派な彼氏とは到底言えないけれど、自惚れ野郎は内心、こんな美貌な自分なのだからモテるに決まってる、と秘め事のように唱えている。
宮野と会うといつも性の話ばかりになってしまう。これも全部酒のせいにしておこう。
「でも結局...僕は自分が一番愛おしいんだよ。彩乃とは愛し合っているはずだけど、本心では自分のために愛を囁いてるんじゃないかって虚しくなる時がある。残酷な人生だと思う?」
溶けていく氷を揺らしながら、照れながら話した。
「それを決めるのは俺じゃないね、うん。確かに凄まじい濃い人生を歩んでると思うよ、お前は。でもそれを生き様と呼ぶか死に様と呼ぶかは...俺じゃない、周りじゃないね」
「うん...」
生き様か、死に様か、後者を選んでしまったら、足掻いてきた過程の道がすべて死への案内路にすぎないってことになってしまうな。なるほど、前者を取れば、生き様...か。
「宮野さ、なんか書いてみたら?その言葉選びはなかなか天才だと思うよ」
「いやいや、俺は天才だったとしても文才はないからね。両方言われたいのはどっちよ、変態さん」
不覚にも泣きそうになった。鼻の奥が痺れて視界がぼやけた。宮野、あんたは背中を押す天才だよ。
「ごめん、ちょっとお手洗い...」
ふらふらの足取りで便座まで辿り着いて、膝まで脱いで座った。何故だろう、ぼろぼろ涙が溢れて止められなかった。宮野に言われた言葉は、自分だけがそう自分に言い聞かしてきた言葉だった。自分は天才だ、特別だ、人間としての才能の塊だ、そう唱えて奮い立たせるしか方法を知らない。だが所詮、僕は生かされてるに過ぎない。周りの人間の支えでしか保てないのではないか、自分の脚で立つことを忘れているのではないか。恋人や友人に金銭面はかなりお世話になっている。
『両方言われたいのはどっちよ』
宮野の言葉が染み付いて取れない。そう言われるからには、まだまだ天才でも文才があるわけでもないのかもしれない。たまに不安になっては一人で涙を流していた。
用を足さずに水を流し、涙を拭いてお手洗いを出た。席へ戻ろうとすると、店の出口で宮野が立っていた。
「もうこれ以上飲めないだろ、帰るぞ」
お会計は済まされていた。
「え、いや...」
「吐いてきたやつが強がるな」
宮野との晩酌を終え、帰宅路の途中、酔いが覚めずぼーっとする頭で歩いていると、コートのポケットから通知音が鳴った。スマホを取り出してメッセージを開いて、しまった既読を付けてしまった、と後悔したが遅い。電話番号で追加されました、と書かれた文字の上を見て、一気に酔いが覚めた。
『久しぶり、治姫くんの小説読んだ。そしたらまた会いたくなっちゃった。』
送信者の名前は、深田麻弥。
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