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俺の目の前にいる亜子は珍しいことに大人しくベッドに横たわっている。
いつもなら褒めただろう。よくベッドで寝たなって。ようやく俺の言うことを聞いてくれたんだなって。
まあこの状況では一ミリも褒めるわけにはいかないのだけど。
「だから言ったんだよ」
今回ばかりはと顔を顰め腕を組んで懇々と説教する俺を見て、亜子がびくりと肩を震わせた。
一瞬可哀想かと思ったものの、ここは心を鬼にするべきだと気を引き締める。
「俺、何回も言ったよな。風邪引くって。ちゃんとベッドで寝ろって」
そう、何度も何度も言い聞かせたにも関わらず亜子は断固としてベッドで眠らず、そして今日とうとう熱を出したのだ。
朝訪ねてきたら真っ赤な顔をして唸っている幼馴染を発見した俺の心臓の悪さも考えてもらいたい。危うく救急車を呼ぶところだった。
まあ熱はそんなに高くないし、今日明日は休みなので悪化しない限り家で休んでれば治るだろう。
亜子の看病のためにバイトは平謝りして休ませてもらった。バイト先には申し訳ないが仕方ない。
「ううう~、涼太がづめだい!」
喉を痛めているらしい亜子がぎゃんぎゃんと騒ぎ始めた。
「私だって!風邪引きたくて!引いたわけじゃ!ないもん!」
「あー、わかった、わかったから。悪かった」
甘いと言われても仕方ないが、いとも簡単に謝ってしまった。自分の決意の弱さに呆れる以上に少々心配になるくらいだ。
はあ、と溜め息を吐きながらいつまでも怒っているわけにもいかないので、優しい声を意識して尋ねる。
「食欲はあるか?昼、なに食べたい?」
「あったかいもの」
「おーおー、いつも通りな」
毛布を被ってきらりと目を輝かせる亜子に一安心する。食欲があるなら大丈夫だろう。悪化するようなら病院に担ぎ込めばいい。
「作って来るからちゃんと寝てろよ」
毛布を亜子の肩までかけてやりながら、しっかりと言いつけてから部屋を出る。
あまり長い間一人にしておくのは不安なので手早く作ることにした。
小鍋を取り出して炊いてある米を適量入れる。水で膨らむので気持ち控えめに。
そこに水を入れてぐつぐつと煮込む。煮立ったところで料理酒を入れて塩で味を整える。
最後に溶いた卵を流し入れて手早く混ぜれば卵粥の完成だ。
「亜子、出来たぞ」
いそいそと二人分の卵粥を持って部屋に戻ると、うつらうつらしていたらしい亜子が体を起こして緩慢に首を傾げた。
「涼太もここで食べるの?」
「ん、だって亜子一人じゃ寂しいだろ」
うん、といつもより幾分素直に亜子が頷く。
普段と変わらず元気な俺が卵粥だけでは後でお腹が空くだろうけど、まあ後で何か摘めばいい。
「いただきます」
いつもより小さな亜子の声に合わせる。亜子が匙で粥を掬い、ふうふうと冷ましてから口に運んだ。
「おいしい」
へにゃりと弱々しくそれでいて満足そうに亜子が笑う。
いつもより食べる速さは流石に遅いけど、ちゃんと食べれているようだからそのうち熱も下がるだろう。
そう安心しながら俺も味の薄い粥を口にした。
味は薄いながらもふわふわとした卵の食感はいいし控えめな甘さもいい。たまにはこういう素朴な味も食べるべきだな。
「ごちそうさまでした」
食べ終えて片付けた後も、俺は亜子のそばにいた。
風邪が移らないかと一度心配されたけど、俺が頑として動かないので諦めたらしかった。
亜子も心なしか嬉しそうにしてくれている気がする。体調が悪い時って一人が寂しいもんな。分かるぞ。
「にしてもこの部屋の散らかりようは凄いな」
黙ってそばにいるのも暇なので部屋をちらちらと見ていたのだが、思わずそう言ってしまうくらい散らかっている。
普段は隣の部屋にしか入らないから知らなかった。あそこもかなり散らかっているけど、まさかそれ以上だとは。
床に積み重ねられたおびただしい量のスケッチブックをなんともなしに突くと、微妙なバランスで成り立っていたのか、雪崩のようにばさばさと崩れてしまった。
「あ、悪い。……ん?なんだこれ」
たまたま転がった一冊が開かれ、そこに描かれていたものを見て思わず首をひねった。
「そ、それは!だめ!」
亜子の慌てた声が聞こえたけど、俺にしては大変珍しく亜子の言うことは聞けなかった。
「これって……」
そこに描いてあったのは、間違いなく俺が作った料理の絵だった。
それだけならたまたま亜子のインスピレーションが働いただけだと思えた。
でも散らばるスケッチブックのどこを見渡しても俺の作った料理が描かれているのだ。これは偶然ではあり得ないだろう。
とても、とても嬉しかった。
「亜子、嬉しいよ」
「え?そ、それって……」
「亜子がこんなに俺の料理を好きでいてくれたなんて」
まさか亜子が絵を描いてくれるほどだなんて思ってもいなかった。
しかもおそらくこれは毎日毎食毎の絵だ。俺の料理はなんて愛されているんだろう。
嫉妬してしまうくらいだ。
「ち、ちがう!」
なのに亜子が悲痛な声を上げるものだから、やっぱり勘違いかと一瞬にしてへこんでしまう。
それを察してくれたのか亜子が慌てたように首を振る。別に気を使ってくれなくてもいいのだけど。
「ち、違わないけど、違う!涼太の料理は好きだけど!それだけじゃなくて!」
亜子がベッドから転がり出るように飛び起きて、俺が持っていたスケッチブックを引ったくる。
そしてあるページを開いて俺の前に突きつけてきた。
「私は涼太の料理だけじゃなくて、涼太が好きなの!」
そこに描かれていたのは俺が料理をしている姿だった。
ひどく楽しそうに微笑んでいる。亜子に俺がこんな風に見えているというのが驚きだった。
俺を見ているというのも生まれてきて一番の驚きかもしれない。
亜子はいつも絵の方ばかり見ていて、俺のことなんて見ていないのだと思っていた。
「涼太は私のことなんて、手のかかる幼馴染としか思ってないかもしれないけど、でも私は涼太が好きなんだもん」
半泣きの亜子にようやく我に返って反論する。
「いや、いやいや俺も亜子のこと好きだよ」
「違う!それは友だちの好きじゃん!」
「そんなことないよ、好きだよ」
いや勢い余ってなんだかすごいことを言ってる自覚は薄々ある。ずっと気づかれないようにしていたからだ。
でも亜子が俺のことを少しでも意識してくれているなら隠す理由もない。
「そんなことある!だって私が引き止めても帰っちゃうし!なんの躊躇いもなく抱きしめてくるし!頭撫でるし!」
「お、おう」
「そもそも私はずっとアピールしてたもん!でも全然気づいてくれないから諦めようと思って遠い美大選んだのに、涼太は迷わず着いてきてくれるし、意味わかんない!」
どうやら俺の気づかないところでとんでもなく色々なことをやらせてしまっていたようだ。申し訳ない。
でもあの無防備な態度が俺限定だったのは安心した。誰彼構わずだったらと内心不安だったのだ。
「あのさ、亜子が言うことも分かるんだけど、俺の言い分も聞いてよ」
とんでもなくむくれ顔で亜子がしぶしぶ頷く。むくれ顔すら可愛く見えるのだから、つくづくどうしようもないのかもしれない。
「俺、亜子のために部屋通って起こして三食作って片付けて何かと世話焼いてるだろ?そんなの誰にでもできねえよ。そりゃできるすげえ人格者もいるかもしれないけどさ。少なくとも俺は、好きじゃないやつにそこまで出来るほど聖人でも善人でもないよ」
「……うん」
「亜子に少しでも意識してもらえたらな、とか俺がいなきゃダメになってもらいたいな、とかそんなこと思いながら亜子のそばにいたよ」
俺の言葉を聞きながら熱で涙腺が緩んでいるのか、亜子がぐすぐすと泣き始めてしまった。
昔みたいだなあと可愛く思いながら亜子の頭を撫でると、涼太と名前を呼ばれた。
「これからも私にご飯作ってください」
「え、そりゃ明日も明後日も作るけど」
「そ、そうじゃなくてぇ」
いきなり何かと思えば。でもそうじゃないらしい。
「明日も明後日も作ってほしいけど、そうじゃなくて、それだけじゃなくてぇ」
「うんうん。ゆっくりでいいぞ」
「一生私のためだけに私のご飯作って、私の絵を見て凄いって言って、そういう涼太でいてよぉ」
プロポーズみたいだなぁと思いながら、それも満更でもない気分で俺は、わかったと頷く。
「明日も明後日もその先も、一生亜子のためだけに作るよ」
そう言うと、俺の大好きな満面の笑みを亜子は見せてくれた。
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