君に美味しい料理を作りたい!

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 俺の住む家のすぐ近くに住んでいた、同い年で幼馴染の亜子は昔から絵が上手だった。  幼い頃から部屋の中で夢中でお絵かきをしては一日を終えるタイプで、俺はそんな亜子のそばで亜子が楽しそうにしているのを見るのが好きだった。 「これは、きのう、ママが作ってくれた、ハンバーグ」  そう時折、俺に教えてくれながら、亜子は何枚も何枚も絵を描いていた。  亜子の描いたハンバーグはとても美味しそうで、もしかして亜子は天才なんじゃないかと俺の方が喜んでしまったのをよく覚えている。  親バカじゃなくて、幼馴染バカね、なんて母親には言われたけど、知ったことではない。本当にそう思ったのだから。  俺は亜子と亜子の描く絵が好きだった。  そんな風に一日中絵を描いていた亜子だけど、大きくなれば学校というものに通わなければいけない。  一日中絵を描いて過ごすというわけにはいかなくなってしまうのだ。  俺を含め俺の両親も亜子の両親もきっと亜子は学校を嫌がるだろうなと思っていた。あんまり嫌がるなら家で勉強させるにはどうしたらいいか調べないと、なんて亜子の父親が言っていたのもよく覚えている。  でも亜子は意外にも学校に行きたがらないということはなかった。 「涼太が一緒だから行く」  そう言って、ひどく素直に俺の後をとことことついて来てくれた。  その頃の俺は亜子のことをどこか妹のように感じていたので、素直に亜子は可愛いなぁと思っていた。  ちなみに亜子は学校でも授業中に我関せずで楽しそうに絵を描いていたので、結果的にほぼ一日中絵を描いていたことになる。  俺はそんな亜子を見守るのが相変わらず好きだったので、亜子を叱る教師陣を庇いつつ亜子のそばにいた。  その習性は大学生になった今でも変わっていない。亜子は放っておくと一日中絵を描いて過ごすし、俺も絵を描く亜子を見るのが変わらず好きだ。 「亜子、起きてるか?」  食材を詰め込んだスーパーの袋を片手に持ち、俺はずかずかと亜子のいる部屋へと上がり込んだ。  預かっている合鍵を使って亜子の住むアパートの一室に入るのも慣れた。  さすがにこの歳になって一人暮らしをする異性の部屋に上がり込むのはどうなのかと考えたこともあるが、一人ではろくに食事もしない亜子を放っておくことなんできないのだから仕方ない。  亜子の両親には許可を得てあるし、むしろよろしく頼むと頭まで下げられている。  亜子が高校生の頃に遠くの美大に入りたいと唐突に宣言して、亜子が一人暮らしなんて心配だと思った俺が「じゃあ俺もそっちの大学に行きます」と言ったら泣いて感謝されたのも記憶に新しい。 「亜子、こんなところで寝るなって」  画材道具が散らばる部屋の真ん中辺りの床に、大量のデッサンに埋もれるようにして亜子は眠っていた。  寒い季節になってきたからか、申し訳程度に毛布に包まっているけれど、風邪でも引くんじゃないかといつも冷や冷やする。  出来ればきちんとベッドで寝てもらいたいんだけどなぁ、という小言くらい許してもらいたい。 「亜子、亜子。もう夕方だぞ」  肩の辺りを揺さぶると、亜子は抵抗するかのように緩慢にゆるゆると首を振った。  亜子の寝起きの悪さには俺も慣れたものだから、亜子が精一杯の抵抗を見せようと気にも留めない。  俺が諦めずに肩だけでなく身体全体をぐらぐらと揺さぶり始めたところで、亜子はようやく薄っすらと目を開けた。 「……うー、りょーた?」  寝起き特有の子どもっぽい声で甘えるように名前を呼ばれた。胸がぎゅっとなる可愛さはずるいと思う。口にはしないが。  柔らかな猫っ毛が亜子の自由奔放さを表すようにぴょんぴょんと跳ねている。  仕方ないなぁ、と思いながら、その寝癖を直すように軽く整えてやる。  そして二度寝をしてしまわないように再度声をかける。 「亜子、起きろ。晩飯食うぞ」  んー、と返事だか呻き声だか分からない声を上げながら緩慢な動作で亜子は起き上がった。  それから毛布のなくなった寒さからかもぞもぞと引っ付いてくる。猫のような仕草だ。  その無防備さを見ていると誰にでもやってるんじゃないだろうなと俺としては気が気じゃない。  まあ亜子は案外人見知りなところがあるから、気を許されているんだろうと思えば悪い気はしないけども。 「亜子、風呂入ってこい。その間に飯作っとくから」  さむいー、と呻く亜子をべりっと引き離してそう言う。ちょっとドキドキするからやめなさいってば。  亜子は不満気な顔をしながらもしぶしぶ頷いて、それからこてんと小首を傾げた。 「今日のご飯、なに?」  亜子の服の袖についた絵の具を落ちるのだろうかと眺めていた俺は、亜子の期待に溢れたきらきら光る瞳に見つめられ思わずにやりと笑みを零した。 「いつものトマトスープ作るぞ」 「……っ、すき!」  一瞬息を飲んだ後のいつもより大きな弾んだ声。当然だ。亜子の好みは全て把握している。  きっと今なら亜子の両親にだって引けを取らないだろう。ふふん、どんなもんだ。 「腹減らして待ってろ」  そう亜子に宣言しながら俺はキッチンへといそいそと向かう。  亜子はスキップ混じりで風呂場へと向かって行った。  俺は椅子に引っ掛けた俺専用のエプロンを腰に巻き、戦にでも赴く心構えで今使わない食材を冷蔵庫に突っ込んだ。  まずメインのトマトスープを作る前に、副菜の下拵えのため耐熱ボールにもやしを入れてレンジに入れる。  スープはメインじゃないだろうというツッコミは野暮だ。少なくとも亜子にとってはメインなのだから、誰がなんと言おうとメインなのだ。この家の範囲内にいる限り、異論は認めない。  小さめの鍋を取り出して、ホールトマト缶の中身と水を入れる。  沸騰するまでの間にジャガイモを小さく角切りにしてキャベツを刻みベーコンを一口サイズに切っていく。  亜子は長風呂するたちとはいえ料理はスピードが勝負だ。亜子には温かいご飯を食べてもらいたい。  鍋の中身が沸騰したのを確認してから味を整える。適度にケチャップを追加することを忘れない。  切った野菜とベーコン、缶詰めのコーンをぶち込む。これで放置しておけば亜子の好物のトマトスープが完成する。  缶詰めは偉大だ。ちなみに亜子はこの時期は特に温かい食べ物は何でも好きだと明言しているので、好物は多数に上る。好き嫌いしないので何よりだ。  とっくに温め終わったもやしを取り出して適当に塩胡椒を振り、缶詰めのツナを和える。もう一度言おう。缶詰めは偉大だ。  その上からポン酢をかければ完成だ。亜子はまだ風呂から出て来ないのでもう一品作ることにする。  あまりに遅い場合は寝ていないか確認に行かなければいけないけどまだいいだろう。  あんまり積極的に確認したくないのは、異性として意識されていないので確認しに行ったら無防備にどこも隠さず出て来られたことがあるからだ。  全く軽くトラウマである。信用してくれている亜子の両親と目が合わせられない。  野菜室を覗いて少し考え茄子を手に取り、冷蔵庫から鶏肉を取り出した。  その二つを一口サイズに切り、トマトスープと一緒に食べることを考えてオリーブオイルで炒める。  味付けは軽く塩胡椒で十分だろう。  途端にフライパンから香ばしい香りが漂ってくる。 「いいにおいがするー!」  ぱたぱたと子どものような足音が聞こえたかと思うと、お風呂から上がったらしい亜子が寄ってきた。  ルームウェアに身を包んだ亜子が横から顔を出す。  右へ左へとせわしなく動かされる頭を元気だなぁと見ていると、一緒に動く亜子の髪を見て微かな違和感を感じる。 「あ、また髪乾かさなかっただろ」  俺がそう指摘すると、亜子はしまったとばかりに頭に手をやったけどその表情は笑っている。  どうりでドライヤーの音が聞こえなかったはずだ。全くすぐにこういうことをするんだから、子どもと変わらない。 「いつか絶対風邪引くからな」 「私は元気が取り柄だもん。涼太が風邪引いたら私が看病してあげる」 「はいはい、楽しみにしてるな」  本気にしてないでしょー!と怒ったふりをする亜子を軽く宥め、鶏肉に火が通ったところで火を止める。  次の作業に移る前に亜子の首にかけられたタオルを取り、亜子の濡れた頭をぐしゃぐしゃと少々手荒に拭く。  多少は抗議されるかと思いきや、きゃあきゃあと楽しげな声が上がってしまった。  うーん、これで反省してもらいきちんと髪を乾かしてもらおうと思ったのに、とんだ誤算だ。  反省してるのか?と柔らかな頬をむにぃっとつまむと、「ひてるよ」とにこにこ答えられた。  何がそんなに楽しいのかちっとも分からない。こんなに長い間一緒にいるのに亜子はいまいち掴み所がない。しかしそこも嫌いになれない。 「涼太?」 「……なんでもない。席に座って待ってろ」  俺みたいな凡人に亜子のこと理解しようなんて無理な話なんだろうなぁ、と内心へこみながら、キッチンにいて怪我をされても困るので亜子には早々に退場願う。  はーい、と良い子のお返事で亜子がキッチンの背後にある小さなテーブルの前の椅子に腰掛けるのを見てから作業に戻る。  もうほとんど出来ているので後は盛り付けるだけだ。  朝にセットしておいたご飯が炊きあがるのを横目で確認する。  ちなみに亜子は夜は断然ご飯派だ。朝はパンも好む。特に異論はないので俺もそれに倣っている。  ご飯を盛り付けテーブルに持っていくと、亜子が膝を抱え込みながらスケッチブックに鉛筆を走らせていた。  一心不乱に淀みなく動く手。真剣な眼差し。ほんのり弧を描く口。俺は亜子のこの顔を見るのが何より好きだ。昔も今もこれからもずっと、それは変わらない。 「亜子、ご飯できたぞ」  俺が声を上げると亜子はぱっと顔を上げてスケッチブックを片付けた。  それから待ち切れないというように俺が席に着くのを見守っているので、俺は苦笑いしながら手早く料理を並べた。  ようやく席に着き、亜子は待ってましたとばかりにぱしりと勢いよく両手を重ねた。俺もきちんとそれに倣う。 「いただきます」  声を揃え、同時に手が動くが俺が箸に手を伸ばしたのに反して亜子は迷うことなくスープに手が伸びる。  気持ちいいくらい勢いよくスープを飲む亜子を横目に眺めつつ、俺はもやしに箸を伸ばした。  しゃきしゃきとした食感と柔らかなツナがポン酢とよく馴染んでいて、自画自賛なようだがとても美味しい。  オリーブオイルで炒めた鶏肉とナスも簡単な味付けなのにこんなにジューシーだ。  合間にご飯を口に掻き込みながら、亜子曰くメインのトマトスープに手をつける。  先週も作ったばかりだけど、缶詰めとは思えないくらい美味しい。絶妙な酸っぱさがたまらない。 「おいしい~」  とろんと満ち足りた顔でスープ皿を持つ亜子を見ていると、自然と頬が緩む。  ああ、この顔が見たくて俺はこうやってご飯作ってるんだよなあと思わずにはいられない。  毎日バイト終わりにスーパーで良いものを見繕って家まで来てせっせとご飯を作る生活は大変だけど嫌とは微塵も思わないのは、亜子のこの顔が見れるからだ。 「そうか。よかったな」  なんでもない風を装って答えながら、俺は亜子に初めて料理を作った時のことを思い出していた。  確か小学校のまだ四年生とかそんな歳だったと思う。  学校帰りにたまたま俺の家に寄ることになった亜子と二人で遊んでいた時のことだ。  普段は家にいる母親は買い物に出かけていて、家には俺と亜子しかいなかった。  亜子はいつも通り絵を描いていて、俺は隣で見ていた。  ふいに亜子がお腹が空いたと言い始めた。  亜子は絵に集中しすぎて給食を食べないことがあったから、その時も多分それでお腹が減っていたのだと思う。  うちは俺も含めてあまりお菓子を食べなかったからなかったし、そもそもお菓子では亜子の腹は膨れなかっただろう。  半分涙目で今すぐ何か食べたいと俺に訴える亜子を見てたら亜子の家に帰って食べさせてもらおうとも言えなくて、俺は自分で作ることを決意した。  一人で作れるものなんて思い浮かばなかったし、作ったこともなかった。せいぜい手伝いでレタスをちぎるとかキュウリを切るとかその程度しかしたことがなかったから当たり前だ。  でもそういえばこの間母親がオムライスを作っているのを近くで見たな、と思い出して作ってみることにした。  今考えると無謀極まりないのだけど、その時の俺は亜子のために燃えていたのだ。  覚束ない手で亜子に応援されながら作ったオムライス。出来は散々だった。  むしろ怪我しなかったのが不思議なくらいだなぁと今なら思う。  卵は焦げた上に破れ、ケチャップライスは白い部分と赤い部分がまだらで、おまけに野菜はゴツゴツと大きい。  俺はこれは失敗したなと思い亜子に謝ったのだけど、亜子は俺を責めることをなく無言でオムライスを完食してくれた。  そして「おいしいかったよ」と絶対にそんなわけないのに満面の笑みで言ってくれたのだ。  ああ、俺は亜子のこの顔を見るためなら料理だろうとなんでもできるな、と思った。  そして本当に美味しい料理を食べさせるために練習も重ねた。今ではそれなりのものを作れると自負している。 「おかわりあるからな」  ぱくぱくと景気良く箸を進める亜子に言うと、亜子は一層目を輝かせてこくこくと頷いた。  大学に入って定食屋でバイトし始めてよかったなとしみじみ思う。料理のレパートリーが格段に増えた。  それもこれも全部亜子のためだ。 「ほんと、おいしい。涼太は料理人になれるね」 「んー、料理人にはならなくてもいいかなぁ」  なんで?と首を傾げる亜子には少々恥ずかしくて言えないのだけど、亜子以外のやつに美味しいと言われても意味なんてないのだ。  俺は亜子に食べさせたいのだから。 「亜子、明日なに食べたい?」 「んー、クリームシチュー」 「あー、はいはいシチューな。ほんと温かいものが好きだなぁ、亜子は」  亜子の好きなクリームシチューは煮込むのにだいぶ時間がかかるため忙しい日には出来ないのだけど、頭の中で明日のスケジュールを確認するとなんとかなりそうだった。 「いいよ。明日バイト早く上がるし」  わーい、と無邪気に喜ぶ亜子を見ながら、明日も美味しいと言わせるんだと心の中でいつものように決意を固めた。  俺の毎日はつくづく亜子を中心に回っている。  ご飯を食べ終え、俺の周りをうろちょろする亜子を宥めながら後片付けを終える。  それからしばらく亜子と話したり亜子が絵を描くのを眺めながらまったりと過ごす。  正直に言って自分が一人暮らししている部屋よりも亜子の部屋にいる時間の方が長いのではと最近思う。寝るのは自分の部屋なのでそうでないことを祈りたい。  ほどほどの時間で帰ろうと重い腰を上げると、亜子が何やら神妙な顔をしてやけに畏まった様子で俺を引き止めた。 「あのですね、涼太」 「なんですか、亜子」  なんで服の裾掴まれてんだろ、と思いながらつられて畏まりながら答える。 「もう夜です」 「夜ですね?」 「夜ってことは道も夜ってことで夜道ってことで、つまり歩くのは危ないってことです」  亜子の言っていることがいよいよ分からない。いや前々からわからなかったけど今は一から十まで分からない。 「だから今日はうちに泊まっていったらどうでしょう」 「いや、毎日この時間に帰ってるし」  何をいきなり言い始めたのだろうか、俺の幼馴染は。あとそれは駄目だ色々と駄目だ。  亜子が俺のことを信用してくれているというより意識を欠片もされてないのは分かったからそれは駄目だ。  今度里帰りした時に亜子の両親に土下座しなければいけないかもしれないじゃないか。  俺が断ったからだろうか。うぐぐ、と亜子は呻き声を上げつつしぶしぶ頷いてくれた。聞き分けてくれたようで何よりだ。 「じゃあな、あんまり夜更かしするなよ」  ぽんぽんと亜子の頭を撫で、しぶとく服の裾を掴む手は離させた。  玄関まで行ったところで少しだけ部屋を振り返る。  亜子はさっきまで駄々をこねていたのが嘘のように静かにキャンバスに向き合っていた。  すっと伸びたその背を見つめながら、きっとさっきのは亜子のただの気まぐれなんだろうなと少しだけ寂しくなる。  でもすぐにその気持ちは薄らいだ。気まぐれだろうとなんだろうと亜子が俺を気に入ってくれてるんだからいいじゃないか。  今の亜子が食べている料理のほとんどは俺が作った料理だというだけで、充分に満足できることなのだから。  また明日の朝に来るからな、ともう聞こえてはいないであろう亜子に声をかけてから亜子の部屋を後にした。
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