91人が本棚に入れています
本棚に追加
常春25
「そんな言葉じゃ、おっつかないから」
「気に入った?」
「当然……」
細腰を抱き寄せ、黒い瞳に、赤い唇に、魂ごと吸い寄せられた。
ら。
「こらこらこらこらこらこらっ!! 公衆の面前で何盛り上がってんだ、バカっ!! 無理言って撮影に使わせてもらってんだぞ!? 公然わいせつ禁止っ!」
合わせかけた唇は、すんでのとこでトキワくんに止められた。
「ふん。知るか」
カムアウトしてしまったんなら、もう遠慮なんてするもんかっ!
クスクス笑ってる絆に、何のんきに笑ってんだって文句を垂れる余裕もなくキスを続行しようとした俺。トキワくんの手を払って再び唇を寄せたそのとき、絆の背に回した俺の手に握られていたビジネスバッグの中から、会社から借り受けてる携帯が鳴り始めた。
「ほら、ヤマト、携帯っ」
渡りに船とばかりに、トキワくんはサイドポケットにさしていた黒い携帯を勝手に引き抜き、俺と絆の間に突き出した。
むかつくが、仕事の電話だからしょうがない。
ものすごーく仕方なく、絆の腰を抱いたまま携帯をひらいて、「古藤」なんて、知りもしない名前からの着信ボタンと押した直後、女物の声が響いてきた。
「あ。もしもし? さっきはどーも。楽しかったわ。是非続きを期待したいとこだけど。で、今、大丈夫?」
電話の主は、謎の古藤さんではなく、肉食女子の西松さんだった。
研修中借受てる電話の名前の登録が俺たちの名前じゃないのは、確かに良くある話だ。だって、俺のは生方さん、らしいし。
「や。今、ちょっと…」
腰を抱いてる距離。
どう考えても絆の耳には今の西松さんの声は届いてるだろう。
しかも。
その声のトーンは決して事務的なものではなく、タクシーでの濃い距離を揶揄するもんで……。
案の定、絆はクスクス笑いを引っ込めて俺を凝視してる。
俺的には全く疚しいことないんだけど、膝に置かれた手の感触や内腿の肌色、過去の女の子の話なんかが後ろめたさを湧き出させて、絆の腰に回した手を解かせた。
なんと言っても、絆の耳に届く距離でフリーセックスを説かれたらたまんないからな。
「悪いけど、たてこんでるんだ」
絆は、身を離し、携帯を手で覆って話す俺から、ふいと視線を逸らすと、そのまま身を翻し、さっさと部屋に向かって歩き始めた。
「あ、ちょっ…!!」
いやいやいやっ! すでに怒ってませんか!?
トキワくんに視線を向けたら、トキワくんは片手を顔の前にあげて笑いながら小さく頭をさげ、絆の後に続いて行ってしまった。
「じゃあ、手短に。あなた、資料忘れてる」
「あっ!!」
言われてみれば、もらったはずの封筒がないっ!!
タクシーを降りたとき、そのまま置いてきたんだっ。
あの中には今日の講演のアンケート用紙が入ってて、その設問と絡めたレポートもまとめて明日の朝一番提出しないといけない。そうしたら半日代休をやるって言われてたけど、休日云々ってのより、指示されたことをできないってのが社会人として問題なわけだ。
「私一旦家戻るし、なんだったらPDFで送るからPCかスマホのアドレス教えて?」
「ごめん。手間かけるけど。じゃあ、スマホに送ってもらっていい?」
「いいわよ。その代わり、今度の飲み会には顔出してよね」
「ははは」
うっかりの代償は、まあまあデカイ。
絆の硬い背中を思い返したら、溜息が出た。
最初のコメントを投稿しよう!