第12話

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第12話

 次に目覚めたのは、降霊会に使っている地下室だった。  ユーリは、後ろ手を縛られて地面の上にいた。顔を上げるとエルベルトは、中央にある祭壇に腰をかけてユーリを見下ろしていた。エルベルトの近くには、たくさんの霊が苦しそうにうごめいていた。  エルベルトが、霊達を縛り操っている。  エルベルトは、いつもユーリのことを国一番の術師だというが、そんなのはただの甘言だ。この国の基準ではそうでも、力の使い方が違えば結果は違ったものになる。 「おや、目が覚めましたか?」 「ッ、先生、何をしているんですか! みんな苦しんでる」 「そうですね、でもいいじゃないですか? 霊、ですよ。もう死んでいます」 「やめてください!」 「君は、本当に優しいですね。霊が嫌いだったんじゃないですか?」  嫌いだったこともあった。今だって怖い。視えなければ、話しかけられなければ、どんなに幸せかって思っていた。  けれど、視えたことで、知らなかった世界を知ることが出来た。  臆病な自分が嫌いだったけど、そんな自分だからこそ出会えた人もいる。エルベルトだってその一人だった。  出会ってしまったら、もう無かったことには出来ない。  それが、自分にとって、どんなに怖い世界だったとしても、知らなかった時には戻れない。 「怖い、のは、嫌いです。でも、存在を消してしまうくらいなら、怖いままでいたい」 「君なら、いつか私の気持ちを理解してくださると思ったのですが、九年ですか、君と共にいたのは。最初は、ユーリくんも外の世界へ連れて行くつもりでしたが、君は、私にとって最後まで不思議な存在でしたね。彼らを怖いと思っていても憎いという感情にはならない」 「それは、先生が、僕を正しく導いてくれたからです」  悲しい気持ちが、次から次へと溢れてくる。自分一人でなんとかしようと思っているのに、無意識下で、ユーリは、ルルを呼び出してしまった。そんな弱い自分を嫌悪した。 「ごめん、ごめんね。ルル、帰っていいよ、僕は大丈夫だから!」  自分のそばから離れようとしないルルに、ユーリは何度も呼びかけるが、自分と同じで、いつも怖がってばかりだったルルが、威嚇するようにエルベルトに向かって大きな声で吠えた。尻尾は下に垂れているし、ぶるぶると震えて、怖がっているのは見ただけで分かる。 「ユーリくん。私が卒業試験で、守護霊を呼び出すように言ったのは、私と同じ結論に至るかもしれないと考えたからなんです」 「先生の、結論ですか」 「えぇ。結局のところ、私たちが、霊を呼び出している時点で、彼らの存在を縛ってることにはなりませんか? だから他国の死霊術を肯定する考えは否定出来ない」 「そんな……」  エルベルトは、ユーリと話しながらもずっと遠くを見ていた。 「死霊術は簡単ですよ。ユーリくんだって今の私と同じようにルルを操れます。どうですか? 攻撃するように、命令でもしてみますか? 私が、ルルを消してしまうかもしれませんが」  エルベルトは、手を前に差し出し、そばにいる霊に命じてユーリを壁に磔にする。ユーリが何も命じていないのに、ルルはエルベルトに向かって走り出す。ユーリはそれを制した。 「ルル、ダメだからね。先生を噛んじゃダメだよ!」 「おや、いま私を噛むことををやめるように命じた。それが、霊を縛るということです。分かったでしょう? 本質的には同じこと。ルルは、いま私を噛み殺したいくらいに憎いと思っている。けれど、それをやめさせた君は、ルルを縛っていることになりませんか?」 「それは、ち、違います」  初めて、ユーリは、エルベルトに真っ向から反論した気がした。 「リサーヌのバルド・ザイード『死霊術』の本。君の机の上にあったということは、目を通したはずです」  エルベルトは、祭壇の上から降り、ユーリに向かって歩いてくる。 「僕はルルが怪我したり、消えちゃうようなことは出来ない、です。同じように、先生を傷つけることも、したくない」 「私は君を傷つけているのに?」  大切な友達が怪我をするようなことは出来ない。 「先生は、どうして、こんなこと」 「どうしてでしょうね。知りたいですか? けど、秘密です」  いつもと同じ笑顔なのに、ユーリはその笑顔が恐ろしかった。 「さて、そろそろ、君には、消えてもらいましょうか」  そういってエルベルトが、ユーリの前に立ち、首に手をかけたその時だった。突然、ユーリの目の前を黒い影が走り去る。同時にエルベルトは床に伏し、エルベルトの肩にはレオンが噛みついていた。 「ほんと、私は、君のことが好きになれない。私の教えなんて、まるで理解しない。テオくんは、粗暴なんですから」 「悪かったな、弟子失格で。性悪先生に似たんですよ」 「テオ!」  地下室の入り口には、テオが息を切らせて立っていた。 「ユーリ、お前、俺が言ったこと覚えてんのかよ。俺は、今、お前のこと守れないって」  そう言ったテオは、レオンをエルベルトに立ち向かわせたことで力を使い切ってしまったらしく、ふらふらとその場に膝をついた。 「ごめん、テオ」 「あと、ユーリ何でルル使うこと躊躇してんだよ。守護霊に命令するとか、縛るとか別に悪いことじゃないだろ。こいつがやってることとお前がルルにやってることは違う」 「テオ、でも、僕は、ルルが怪我したら嫌だよ」 「あのなぁ、お前がルルを守りたいって思ってるように、ルルだって、お前のこと守りたいって思ってんだよ。褒めてやれよ、せっかく頑張ってるのに可哀想だろ。兄弟子様はそんなことも分からないんですか」  ユーリを拘束していた霊達はレオンの強い気に当てられて逃げてしまった。ユーリは、テオに背中を押された気がして、そばでずっと悲しそうな目をしてたルルを抱きしめる。 「ルル、レオンくんも、助けてくれてありがとう、大好きだよ」 「は? 助けに来たの俺だろ、何でルルとレオンが先なんだよ!」 「も、もちろん、テオもありがとう」 「どういたしまして! で、あんたのこの茶番劇いつまで続くんですか」  テオは、エルベルトに視線を向ける。 「なんのことですか?」  地面に伏しているエルベルトは、笑顔を崩さないまま続けた。 「とぼけんなよ。あんたは、最初から、ユーリを殺すつもりないですよね。だって、ユーリを殺すつもりなら、わざわざ降霊術課にユーリを入れる必要もないし、国を潰したいなら、先生自身が、国王様を手にかければいい」 「先生……」  ユーリの声に促されるようにエルベルトは息を吐く。 「昔から思ってましたけど、テオくんの考え方は、私とよく似てますよね。君にもう少し、術師としての才能があれば、一番弟子として愛してあげたのに。残念です」 「才能があったとしても、あんたの寵愛なんてお断りしますけど」 「それは残念です」 「ユーリは、九年こいつといて、分からなかったのかよ。先生がどういう人間か」 「え……」  テオにエルベルトがどういう人間かと言われて、ユーリは、自分たちの九年間を思い返す。  先生は、自分たちにとって、ずっと先生だった。  国を人を差別することなく、一番に学問を、世界を愛してる人だった。 「テオくんは、私がどんな人間か分かってるんですか?」 「別に分かりたくもないですけど。あんたがしたいことは、分かってるつもりです。でも、ハーウェルの家を捨てて、国から出て行くだけに、自国の情報を他国に売り渡す必要なんてあったんですか? 国家反逆罪にしてはやること小さ過ぎるし。あんたらしくもない」  テオは、そう言って、呆れたように息を吐く。 「褒めてるんだか、貶してるんだか、君は本当に師に対しても口が減りませんねぇ」 「だって、ハーウェルの名前を捨てたいだけなら、こんなことしなくても、勝手に一人で出て行けばいいだろ」  エルベルトは、観念したようににこりと笑う。 「君たちには、家の枷がどういうものか分からないでしょうね。家を捨てる、国を出る。それほど、簡単に出来るものじゃないのですよ。例え、家を出られたとしても、どこへ行っても、ハーウェル家の私は、ずっとついて回ります。それこそ一族から名前を消されるくらいのことをしたかった。自由に好きな学問を追求したかったのです。彼らのように……」 「先生」  エルベルトはずっと、遠くを見てる人だったとユーリは思い出す。この国ではない、違う世界。 「降霊術の学会へ足を運ぶたびに、この家は、国は、なんて不自由なんだろうと思いました。ロスーン国の価値観など無視した本を読むたび私は、外の世界へ惹かれてしまった。もっと知るべきことがあるのに、と。私は、この場所にいることが足枷でしかなかったのですよ」 「ほんと、アンタは」  テオは頭を掻き呆れた声を出す。 「私は、学問としての降霊術は好きですが、信仰とは無縁な存在です。自分が興味のあるものを追求することが正義になってしまった時点で、この国にいるべきでないと気づいた。それだけのことです。まぁ、でも最低限、私なりの道理は通したつもりですよ?」 「どこがだよ。ユーリのこと弟子として愛してるとかいいながら傷つけて」  エルベルトにとっての道理は、どこまでだったのだろう。  ハーウェル家の後継者としてユーリを迎え入れたこと。ユーリとテオの良き先生であったこと。自分の願いのために、人の命を奪わなかったこと。  けれど、エルベルトは、何の罪もない霊の存在をこの世界から消した。  それが、エルベルトにとって道理だったのなら、ユーリたちとは、もう相容れない。 「師匠の愛ですよ。ユーリくんが文字通り師の屍を超え成長すればいいなって。――ことが終わったら、黙って国を出ていくつもりでしたが、ユーリくんにもテオくんにもバレてしまったので、もう私の夢は、ここで終わりです」  エルベルトは、諦めたように、でも清々したように笑った。 「ユーリくん。私はいなくなりますが、君は国一番の降霊術師として、国王様を助けてくださいね」 「先生……僕」 「ハーウェルの家はどうするんですか」  テオは、エルベルトにそう訊いた。 「どうでもいいと言うと語弊がありますが、最初から、私は自分の望みを叶えるためにユーリくんを弟子として迎え入れた。だから、あとのことは君たちに頼みますよ」 「別に、俺はあんたがこの先どうなろうと、少しも気にしませんが。ユーリを傷つけたことは償って欲しいです」 「もとより、そのつもりですよ。どうぞ捕まえてください。テオくんに力技で来られたら、私には太刀打ちできませんし」  テオは、予めこの場所に人を呼んでいたのか、地下に向かう複数の足音が近づいてくる。  エルベルトは、自分を抑えつけているレオンに、にこりと微笑みかける。すると、レオンはエルベルトの拘束を解いた。そして入り口で膝をついている、テオに両方の手を差し出す。 「ところで、テオくんは、私が怪しいって最初から、疑っていたんじゃないですか?」 「ただのいつもの悪ふざけだと思ってましたし。それに、俺、先生は、ユーリのことが好きだから、出ていかないだろうなって」 「テオくんも、優しい子に育ってくれてよかったです」  エルベルトは、今も変わらずに先生の顔をしていた。 「別に、俺が一番大事なのは、ユーリだから。それだけです」 「先生……僕、何も知らなくて、力になれなくて、ごめんなさい」  ぽたぽたと涙をこぼすユーリに、エルベルトは、首を横に振った。 「はぁ、なんで、ユーリが謝るんだよ」 「本当に、君はよく泣きますねぇ。元先生としては心配ですよ。あぁ、そうだ、テオくん、ユーリくんが一番だというなら、明日から君が、降霊術師として彼のそばにいなさい。近衛兵は君じゃなくても他の人でも出来るでしょう? けれど君以外、術師はいません」 「はぁ、何言って、霊獣化したらユーリに怖がられるとか、君は、術師として、この先はもう無理だって言ったの、あんたじゃん!」 「えー、私のいうこと信じてたんですか? 意外に素直で可愛いところあるじゃないですか」 「ッ、あんたなぁ……」 「ユーリくんは私にとっても大切な弟子……でしたから。ちゃんと、君が守ってあげるんですよ」  エルベルトは階段を上がり、テオとユーリに背を向けた。 「俺は、違うんですか」 「もちろん、テオくんのことは嫌いです。でも、そうですね。たくさん虐めたお詫びとして、いいことを教えてあげます。君の霊獣化、ユーリくんのそばにいれば治りますよ」  地下に辿りついた兵たちに、エルベルトは抵抗をすることもなく、いつもと変わらない飄々とした笑顔のまま連れて行かれてしまった。
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