第3話

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第3話

 卒業試験が無事に終わり、長い修行期間を思い出して感慨に耽る間もなく、ユーリは王宮で働き始めた。  元々、高い身分でもないユーリが、ロスーン国王から望まれる形で、王宮内にある降霊術課で働くことが決まったのは、王家からの信頼も厚いハーウェル家の推薦もあったからだが、一番の理由はユーリが霊に愛され、無意識に彼らを引き寄せてしまう体質だからだ。  ロスーン国では、建国より精霊との繋がりを大切にしていたし、友人である彼らと会話が出来る人間は、国の行く末を占う相談役として大変重宝されていた。 「最近、物騒な話も耳にしますからね、ユーリくんの力が必要なんですよ」  王宮内の長い廊下。ユーリは赤い絨毯の上をエルベルトの後ろについて歩いていた。 「……でも僕に出来ることなんて、霊とお話するくらいじゃないですか」 「卑屈ですね。もっと自信を持ってもいいのですよ」 「自信なんて、持てないです」  王都にあるハーウェル家の広大なお屋敷で、テオと共に住み込みで過ごした約九年間。隣国の『リサーヌ』と一時は緊張状態もあったが平和な時代が続いていた。だから、ユーリたちも戦争に駆り出されることなく、日々勉学に励んでいるだけでよかった。  エルベルトが言うには、国の治安が安定しているときの術師の仕事は、祭事くらいしかすることがないらしい。だから王宮で働いていたエルベルトも暇を持て余し、自分たちのような弟子を持つ気になったのだろう。  けれど、平和な世の中もずっと続く保証はない。最近、きな臭い噂話が街で聞こえ始めた。降霊術課の人員も、エルベルト一人ではなく複数人いた方が良い。  それが、王家の考えだった。  有事の際の降霊術課の仕事は、国にとって脅威となるような情報収集を積極的に行い、大事が起こる前に争いの火種を消し、国の治安を維持することだった。  国を守るための高い城壁や多くの兵を持ちながらも、その圧倒的な力を使う事なく、ロスーン国は長年平和だった。その平和が続く理由は、国が霊と繋がりを持ち、王宮降霊術課が、事前に危険を察知しているからだと国民は信じている。ただ、ユーリは信仰心を大切にし、王家も含めて極端に争いごとを嫌う穏やかな国民性が理由だと思っていた。 「ユーリくんは、やっぱり、降霊術課で働くのは、気が進みませんか? 国王様に力を認められるなんて光栄なことですよ?」 「先生には、とても感謝してます。術師として王宮で働く覚悟だって、先生に弟子入りした時にしていました」 「じゃあテオくんがいないからかな」  術師になることに迷いがなかったのは、近くにいつもテオがいたからだ。そんなユーリの心のうちをエルベルトは簡単に言い当てる。  ユーリが覚悟出来ていなかったのは、テオと離れて一人になることだった。  ――今、テオは、ハーウェルのお屋敷を出て、この王宮内の近衛兵として働いている。  いつも隣にいたテオは、ずっとエルベルトの下で一緒に学んでいたのに、卒業したら、掌を返すようにユーリと別の道を選んでしまった。  もちろん、ユーリと違い、ハーウェル家と念書を交わして弟子入りしたわけじゃないので、テオが卒業後どんな道を選んだとしても、それは自由だった。  むしろ、テオが一緒ならハーウェル家の養子になってもいいと条件を出したのはユーリだった。 「何もそんなに、しょんぼりしなくても、テオくんと永遠のお別れをしたわけじゃないでしょう?」 「別に、しょんぼりなんか」 「してるよねぇ?」  突然足を止めてエルベルトは振り返る。ハーウェルの屋敷にいる時は、地味なローブを身にまとっていたが、エルベルトもユーリも、今は支給された制服に身を包んで、王家で働くにふさわしい格好をしている。深い青色のケープ付きブラウスに丈の長い導師服には、ところどころ、銀糸で美しい刺繍が施されていた。  ユーリはこの導師服は、堅苦しいし、正直自分には似合わないなぁと思っている。そして、そう思いながらも毎日この服を着て王宮へ上がるようになって、かれこれ一週間が過ぎた。  それは同時に家族のように、毎日一緒にいた、幼馴染のテオと離れた期間でもあった。  以前は、テオとともに、ハーウェルの屋敷の同じ部屋に住んでいたが、ユーリは、いま王宮内に広い私室を与えられ、そこに一人で住んでいる。  寂しいなと折に触れて感じていた。 「テオにとっての、九年ってなんだったんだろう」  降霊術師になるのが、嫌になったのなら、嫌になった時点で、もっと早く言ってくれれば良かったのにとユーリは思う。  ユーリはテオのことを、なんでも話せる親友だと思っていたし、卒業したから自分はもう用済みみたいに、さよならされるなんてユーリは、考えたこともなかった。  テオの未来を縛っていたのは、間違いなくユーリだった。幼馴染として、兄弟子としてそんなにも頼りなかったのかとショックから立ち直れない。  去年、テオと一緒がいいから、王宮で働くのは一年待って欲しいとユーリはエルベルトに懇願した。そんな子供じみたわがままをエルベルトは、叱りもせず笑って許してくれたが、それは無意味なことだった。 「テオくんの話を聞いた時、私も最初は驚きました。でも自分の仕事は、自分で選ぶべきですし、なにより降霊術師には、向き不向きがありますからね」 「僕なんかよりテオの方が、降霊術師に向いてますよ」  ユーリは、暗いのも苦手だし、霊は怖い。  テオより一つ年上のお兄ちゃんなのに、弟子入りする前も、弟子入りしたあとも、いつだってテオにくっついていた。  もちろん、これでもエルベルトの下で修行するようになってから、怖がりも多少は、マシになった。でも、怖いものは怖いし、この世界に怖いものなんてないと言い張るテオの方がよっぽど降霊術師向きだと思っている。 「うーん。その見解は私と異なるね。私は、テオくんより、ユーリくんの方が降霊術師に向いていると思っていますよ」 「怖がりでも?」 「そうですね……例えば、そう。――悪霊を消す場合」  エルベルトの紫の瞳が、少し陰った気がした。ユーリも「消す」という言葉に暗い気持ちになる。 「国が霊を使役し、自由に扱うことの出来る。他国のようなネクロマンサーとしての力を欲しがっているのなら、テオくんは重宝されるかもしれません」 「そんな、テオは、絶対そんなこと出来ません。霊を消すなんて。彼ら霊は住む世界が違いますが、私たちの友人です。もちろん悪い霊がいることはわかってます。だからどうしようもない時、教会は悪魔祓いをする。でも自分たちは……」  ユーリには、どんなに目の前に怖い霊が現れても、それが人間と変わらない存在に見えている。この国の術師は、その手で彼らを消すことは出来ない。  それは術師の家系であるハーウェル家がずっと教えていることでもあった。ユーリもそれは同じ気持ちだった。  異形の存在が怖いばかりだったユーリが、学問としての降霊術を学び、彼らを自分と変わらない存在と信じられるようになったのは、エルベルトの下で学んだからだ。 「もちろん、これは例え話だよ。この国では、悪霊だとしても、使い魔として従えることは禁忌だから。私たちは、彼らの力を借りることはしても、その存在や心までは操ってはいけないから。これは何度も君たちに教えてきたことだ」  エルベルトは、ユーリに微笑んでから窓の外へ視線を向けた。 「はい」 「私が言いたいのはね、テオくんは君より負の面に惹かれやすい性質が昔からあった。喧嘩っ早いところや、粗暴な立ち居振る舞いがね。ユーリくんは、今まで喧嘩なんてしたことないし、暴力なんてもってのほかでしょう?」 「それは、痛いのも怖いのも嫌いですけど、でも」 「ま、例えだから、細かいところは聞き流して。今、ロスーン国が欲しがっているのは、あくまで、自国を守るための情報収集に長けた能力。誰かを害したりする力ではない。そういう意味でユーリくんは、この王家に仕えるにふさわしい優しい心を持ってるんじゃないかな?」 「先生、僕」  突然ガサッと木の葉の揺れる音がして、ユーリもエルベルトと同じように外へ顔を向けた。 「悪かったな。俺に優しい心がなくて」 「おやおや。聞こえてましたか? テオくん」 「わざと聞かせたくせに」  窓の外には、テオが立っていた。 「バレてましたか。君も私の弟子には違いありませんが、王宮の降霊術課で一緒に働くとなるとねぇ。テオくんは、少々がさつというか、繊細さにかけるところがありましたし? 私のいれた紅茶を水のように飲むところも、弟子としてどうかと」  エルベルトは、笑いながらテオにそう告げた。 「あんたは、茶飲み友達の才能で同僚選んでるんですね。こっちから願い下げですよ」 「どんなに忙しくてもお茶を楽しむ時間は大切ですよ? ですから正直なところテオくんに近衛兵として働くと言われたとき、内心やったあ! って」  エルベルトは、子供みたいに無邪気な笑顔をテオに見せた。対してテオは、さらに眉間の皺を深くする。本当に二人は相性が悪いなとユーリは思った。 「あー、そーですか。それはよかったですね。ユーリと二人っきりの楽しい職場になって」 「テオ!」  ユーリは、石造りの窓枠に手をかけて外へ身を乗り出した。  たった一週間離れただけなのに、毎日何かが足りない日々だった。目が覚めて隣を見ても、テオがいない。ユーリは、こんなに寂しいのに、テオは何も変わらない飄々とした様子で、その場に立っていた。  ロスーン国の国旗の色と同じ、藍色の兵服を着たテオの姿。ユーリは、テオが王宮内で働いているのをこの日初めて見た。明るい亜麻色の髪は、朝日に照らされ、その綺麗な輝きがテオの自信のように周囲の空気に溶けて眩しい。  いつも適当だった髪が、綺麗に整えられているのを見て、なんだかそわそわする。テオなのにテオじゃない人。知らない誰かみたいだった。 「なんだよ、ユーリ。元気ないな、腹でも痛いのか?」 「違う」  エルベルトの書斎で勉強ばかりしていた頃より、心なし生き生きとしているようにみえる。だから、テオにとってこの未来の選択がいいことだと頭では分かっていた。なのに幼馴染として喜ぶことが出来ない。 「じゃあ、この性悪先生にいじめられたのか?」 「失敬な、私がユーリくんをいじめるわけないじゃないですか」  夜中に一緒に降霊会をするより剣を振り回して、体を動かしている方が、よっぽどテオらしい。エルベルトに弟子入りするまで、全く霊の見えなかったテオも、今では、ある程度は見えるようになってしまった。見る必要なんてなかったのに。  それは、全部ユーリが「一緒にいて欲しい」と望んだから。 「ねぇ、なんで一緒に降霊術師になってくれなかったの?」  答えなんて最初から分かっているのに、どうしてと訊かずにはいられなかった。 「あのなぁ言っただろ。俺は、ユーリの「一緒にいてくれ」って話は、了解したけど、降霊術師になるとは約束してない」 「だったら! もっと早く、何で」  もっと早く本当の気持ちを話して欲しかった。ユーリは、そう瞳で訴える。  改めて訊かなくたって本当はユーリも分かっている。最初からテオはユーリのわがままに付き合ってくれただけ。テオは、優しいから。自分はテオの優しさに甘えてしまった。 「ほらほらテオくん。サボってたら隊長に怒られてしまいますよ? 新人さんなんですから、しっかり働いてくださいね」  エルベルトは、ユーリの話を遮ってテオに仕事に向かうように促した。  いつまでも、子供の時の約束を覚えていて、駄々をこねているのは、ユーリだけだった。 「言われなくても行きますよ。じゃあなユーリも仕事頑張れよ」  そう言って、テオは踵を返して石畳の道を表の門へ向かって歩いて行った。 「テオくん元気そうで良かったですね」 「はい」 「あのねユーリくん。テオくんは、自分に出来ることを考えて仕事を選んだのです。兄弟子として、彼のことを、とても誇らしいと思いませんか?」  昔は、ユーリにしか見えない異形の存在が怖くて、一人泣いてばかりだった。けれどテオに勇気付けられ、怖い霊とも話が出来るようになり、降霊術師として国で一流といわれる存在になった。  全部テオがそばにいてくれたからだった。自分一人だったら今も泣いているだけだった。  やりたいことを見つけて前に進んだテオの選択は、かっこいいと思う。けれど、頭では分かっていても、一人置いていかれたように感じるし、子供のころ、ずっと一緒にいてくれるといったのにと嘘をつかれたように思う。  そんな自分が兄弟子として情けなかった。 「ユーリくんは、どうして私の元で学び、降霊術師になろうと思ったのですか? 私がスカウトしたから、お金のため? それだけ?」  ユーリは首を横に振った。 「最初は、孤児の自分には、それ以外の選択肢がなかったから。でも、今は……必要とされている、その期待にこたえられる自分になりたいです」  テオの幼馴染として、元、兄弟子として、恥ずかしくない自分になりたい。  この目標を叶える未来なんて、今のユーリには想像出来なかった。  あまりにもテオと一緒に過ごした時間が長かったから。 「それは、とてもすばらしい志望動機ですね。――では、そろそろ、今日の仕事を始めましょうか」  エルベルトは、優しくユーリの肩を叩く。  長い廊下の一番奥の部屋の前には、小さな銀色のプレートが掛かっている。  ――ロスーン国、王宮降霊術課。  ここは、国の行く末を占い、この国の歴史を未来へ繋げるための大切な仕事をしている場所だ。ユーリは、弟弟子がそばにいない不安な今の気持ちを整理出来ないまま、それでも、前に一歩、足を踏み出していた。
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