第4話

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第4話

 柔らかな陽の光が、大きな窓から部屋の中を照らしている。  一見、降霊術課の仕事部屋は穏やかな空気が流れているが、ユーリの頭の中は、朝から頭の痛い問題が半分以上を占め、晴れやかな天気に逆らい気分を暗くしていた。少し前なら、なんでも深刻になりすぎるユーリをテオがからかって、それに強がりを返すことで前に進めていたのに、今は頼れる弟弟子は隣にいない。  隣の席にいない弟弟子を思うと、寂しい気持ちは募るばかりで、思わずため息を漏らした。  そんなユーリの気持ちとは裏腹に、エルベルトの周りだけは普段と変わらず柔らかな春の空気が漂っていた。ユーリの真向かいにある机に向かって、来月の降霊学会に提出するという論文を進めている。あと少しで一世一代の大作が書き上がると、いつも以上に機嫌が良く、ユーリが聴いたことのないメロディーの鼻歌まで聞こえていた。 「先生、あの……」  ユーリは、おずおずと口を開いた。 「今朝の国王様のお話かな?」  ユーリの頭の中など、最初から全てお見通しみたいに、エルベルトは書き物の手を止めず会話を続けた。 「はい、降霊術課でスパイの調査をするって」  ――それは、朝というにはまだ早い時間帯の出来事だった。ユーリは、自身の頬にぽたぽたと当たる冷たい水に驚いてベッドから飛び起きた。何事かと慌てて周囲を確認すれば、枕元には若い女性が座っていた。ユーリには、すぐに、それが人間ではなく、霊であるとわかった。美貌の中に子供のようないたずらっ子の笑みを浮かべているその霊は、長年王宮に住んでいる精霊だった。突然の訪問にユーリが用向きを訊くと、霊は、国王様がユーリたちに会いたがっていると教えてくれた。  この国が霊を特別に神聖視しているのは、王家とこの霊に関係している。姿が見えるのに、話すことが出来ない彼らが、ずっとそばにいたからこそ霊が信仰の対象になりえた。そして、この霊の声が聞こえて会話が出来るのは、今のところユーリだけだった。  急ぎ身支度をしてエルベルトと共に謁見の間に着くと、開口一番、国王様から、神妙な面持ちでこの王宮内に隣国『リサーヌ』のスパイがいるかもしれないと告げられた。無論、リサーヌとは、現在も交易が盛んに行われているため、ユーリも、にわかには信じられなかった。  ユーリは、以前から耳にしていた国の危機については、あまり信じていなかったが『王宮内に潜む隣国のスパイ』という自分のすぐ近くに脅威が迫っていることを聞いてから急に不安になった。 「――まぁ、国王様は、昔から、とても心配性ですからね。ユーリくんがここへ来る前にも、こういうことは、よくありました」 「ロスーンの兵力について情報が流れているって大ごとじゃないですか! しかも降霊術課が極秘で調査って」 「ユーリくん」  エルベルトは、言葉を遮るようにユーリの名前を呼んだ。 「極、秘、だから。今ユーリくんと話しているところも誰かに聞かれたら大変ですね」 「ぁ、す、すみません」  ユーリは慌てて声をひそめた。そんなユーリの素直な反応にエルベルトは小さく笑う。 「冗談ですよ。そもそも、この部屋が気持ち悪いって誰も寄り付かないからね。私たちが、ここで何をして、何を喋っていても誰かに知られる心配なんてありません」  エルベルトに言われて、ユーリは、改めて部屋の中に目を向けた。  降霊術課が仕事で使っている部屋は、エルベルトが趣味で集めた珍しい品々がたくさん飾られていた。少々不気味な顔が彫られた木の像が棚に並べられ、色とりどりの鉱物、何に使うのか分からない装飾の施された金属の棒や、変な文字が書いている三角の布があちこちに飾ってあった。  どう見ても、この場所が国の最高機密を取り扱っている場には見えないだろう。  よく言えば異国情緒あふれる部屋と言えなくもない。  今まではエルベルト一人の課だったので、奇抜な室内装飾に文句を言う人間は誰もいなかった。ユーリも初めてこの部屋に入った時は、外にある城の調度品との差に驚いたが、それは最初だけ。  気持ちが悪いと言われるこの部屋の品々はユーリにとっては見慣れたものだ。長年暮らしたハーウェル家のエルベルトの書斎も似たような雰囲気をしている。 「先生、立派な仕事部屋が与えられているのに、えーっと、統一感というか」 「ん? ないかな?」  書き物に熱中してたエルベルトが突然顔を上げる。有無を言わさない圧をその視線に感じ、ユーリは縮み上がった。 「い、いえ、あるといえば、あります、けど……ぼ、僕は好きですよ! 先生の、異国趣味」  ユーリが慌てて弁解すると、エルベルトは、にっこりとなんとも食えない顔で笑った。 「ふふふ。ユーリくんの、そういう何事に対しても真面目なところが私は好きだなぁ。テオくんは、はっきりとゴミ部屋って言うからね」 「あの……先生、僕で遊んでますよね」 「もちろんです。いつまでたっても遊びがいのある可愛い元弟子ですね」  テオなら、さらりと上手くかわすのだが、ユーリ一人だと、簡単に遊ばれて丸め込まれてしまう。 「ところで、君とは晴れて同僚になったわけですし? そろそろ先生ではなくエルベルトと名前で呼びませんか? もう君と私は対等な仕事仲間ですよ?」 「えっと、でも」 「ほらほら、言ってみてください。まぁ、無理だというのなら、少しだけ譲歩してハーウェルさんでもいいですよ」 「そんなの、む、無理です!」  エルベルトにじっと笑顔で見つめられて促される。けれど、いきなり呼び方を変えるなんて無理な話だった。 「先生の弟子でなくなっても、僕にとって、先生はずっと先生ですよ」  ずっと怖いばかりだった『異形のモノ』との付き合い方をエルベルトは一からユーリに教えてくれた。――霊は、君と楽しくおしゃべりがしたいだけですよ。そう言われたとき、ユーリは、目の前の世界が広がった気がしたのだ。  エルベルトは、何か眩しいものでもみたかのように目を細める。 「なるほど、ずっと私は先生、ですか。では、そんな君に、師匠として一つ課題を与えましょう」 「課題、ですか? 卒業試験の課題は、ちゃんと」 「それはそれです。君が、本当の意味で、私から卒業出来るようにね」  エルベルトは、席を立ちユーリに背を向けた。それから窓を外に向かって開き「しばらくは天気がいいね」と明るく言い放った。エルベルトと同じようにユーリも、降霊術課の部屋に一つある大きな窓の外へと視線を向ける。外には、石畳が門まで続き青空がよく見えて視界が開けている。朝からずっと暗い気持ちだったけれど、今日は本当に穏やかな良い天気だった。 「旅行に行きたい」 「え?」  ユーリは、思わず聞き返した。 「……いえ、間違いました。論文も今無事に書きあがったことですし、ちょっと国外視察へ行ってこようと思います。いいですか?」  エルベルトは振り返る。確認ではなくその目から決定事項であることは明らかだった。 「は……なっ、なぜ今なんですか!」  ユーリは口をぱくぱくさせた。王宮内に、スパイがいて、他国に情報が盗まれているかもしれないこの状況の中、旅行。エルベルトは国外視察と言い直したが、間違いなく、いつもの私的な趣味の旅行に違いない。 「何故って、まぁ隠し事はいけませんし、正直に言いましょうか。私は今すぐに休暇を取りたいのです!」  エルベルトは、堂々とそう宣言した。 「そんな、何も今すぐじゃなくても! 調査、国王様に依頼された今夜の降霊会は、どうするんですか!」  ユーリは、驚きとともに、机の上に手をついて勢いよく席を立った。 「まぁ落ち着いて。君は、もう一人前の降霊術師なんですよ? 国王様も君のことは信頼しています。私一人、出かけたところで問題にはしないでしょう。優秀な降霊術師は王宮に二人も要りませんし。そうだ、君が、過去王女様の探し物の場所を言い当てたことは覚えていますか? ユーリくんが、国一番、神童と言われることになった出来事を」 「そんな、大昔のこと」  小さい頃、通りすがりの霊が、ユーリに王宮内で騒ぎになっている失せ物事件を面白おかしく教えてくれたことがある。  霊達は楽しそうに女の子の人形の在り処を話してくれたが、ユーリは、失くし物を探している女の子のことがとても気の毒だったので、急いで人形のある場所を王宮の門の前に立っていた近衛兵に伝えに行ったのだ。  ユーリは、困ってる女の子を助けたい一心だった。 「私も、あの話を聞いた時は、大変驚いたものです。霊と日常的に会話出来る人間が、この世界に存在するなんて、と」 「別に、あれは、特別なことじゃなくて」 「それが、すごいことなのですよ。君は、それで随分つらい幼少期を過ごしたようですが……私がもう少し早く君に会いに行けば良かったですね」 「先生」  周りの大人がユーリの力を持て囃すのに比例して、子供達からユーリは孤立していった。同時に、ますます霊がユーリに近づくようになり、怖い思いを沢山した。  今なら周りの友達から孤立していくユーリを心配して霊が声をかけてくれていたのかもしれないと思えるが、当時は、恐ろしくてたまらなかった。  元気付けようとしてくれたにしても、それによって、ユーリはたくさんの恐怖体験を植え付けられた。  ユーリが、人一倍怖がりに育ったのは、霊に何度も驚かされたことが原因だ。 「ユーリくんは、誰よりも優秀ですよ。私やテオくんが、どんなに望んでも手に入れることが出来ない力を持っている。それは事実です」 「でも」 「自分の力は、どんなものでも、まずは受け入れなさい。教えたはずです」  いつも朗らかで、笑ってばかりのエルベルトは、先生の目をしていた。 「ユーリくん、お返事は?」  言い聞かせるように、エルベルトは言葉を重ねた 「は、はい!」 「君は、昔から国王様の信頼も厚い。それに、君は言いましたね、必要とされている、その期待にこたえられる自分になりたいと、まさに今がその時ではないでしょうか?」  エルベルトは、こつこつと靴音を立て部屋の中を歩き、ユーリの目の前に立つ。そしてユーリの両手を握った。 「でも、急に一人でなんて、その、旅行に行かれるのはいいですけど、今夜、一緒に仕事を終えてからでもよくないですか?」  エルベルトは、ずいっとユーリに顔を近づける。 「いつまでも師に甘えてはいけませんよ? これは、言うまいと思っていましたが、テオくんの成人まで卒業したくないという君のワガママを私は叶えてあげましたよね」 「そ、それは……だって」 「その間、私は、君たちの先生と王宮の仕事を一人でこなし、とても多忙な日々を過ごしていました。君が降霊術課に入ったのですから、私の休暇は当然の権利ではないでしょうか?」  それを言われてしまうとユーリは何も言えない。  責任重大という言葉が、頭の上に重くのしかかる。 「厳しい隊長の元でテオくんも一人、頑張ってますよ。ほらほら兄弟子として遅れをとっていいのですか?」  確かに、こうしている間にも、弟弟子と着実に差をつけられている気がする。どんなに怖がりでも降霊術ならテオに負けない自信はあった。けれど、今、テオは降霊術師ではないから、必然的に大人として、社会人として相手と比べられてしまう。  エルベルトの下にいて、今までと変わらない立場の自分を俯瞰して見る。少しも独り立ち出来ていない時点で、テオに遅れをとっていた。このままでは駄目な気がする。 「わかりました」 「安心してください。それほど長期ではありませんし一週間ほどです。私が戻るまでに、きちんと降霊会を行って一人で調査を進めておくこと、いいですね? これが、課題です」  エルベルトは、ユーリを安心させるような優しい瞳で微笑んだ。 「そもそも、この王宮にスパイなんていませんよ」 「でも、本当にそうでしょうか」 「おや、何か気になることでも?」 「その、ルルが」  ユーリの嫌な予感を裏付けるように、守護霊になってくれた白犬の霊、――ルルが、最近呼んでもなかなか外に出てきてくれない。もちろん、どうしてもお願いと言えばついてきてくれるけど、何か怖いものでも見えているのか、ユーリにくっついたまま離れないので、なんだか無理やりに連れ歩くのが可哀想になり、夜は一緒にベッドで寝るのに、毎朝「帰っていいよ」って言ってしまう。  王宮で働き始めてからは、ルルと一緒にいる時間が減ってしまった。 「僕の守護霊が」 「おや、ルルと名前をつけたのですね」  テオの顔が頭に浮かんだ。こうやって、心配性で怖がりで、頼りない自分だから駄目なのだと自分で自分を叱った。 「……いえ、なんでもありません」  ユーリの守護霊が、自分に似て怖がりなのは最初からだ。きっと自分の臆病な感情に引きずられているに違いないと、心の中で一生懸命に自分を納得させる。 「では、留守中よろしくお願いしますね。お土産を沢山買ってきますよ」 「はい」  ユーリがテオやエルベルトのように、何事も楽観的に捉えられないのは、昔からユーリの勘はよく当たるからだ。  怖いと思っている時は、本当に怖いことが起きるし、嫌な予感がした時は、想像した通りのことが現実世界で頻繁に起こる。テオは、そんなユーリに「野生の勘でもあるのかよ」と言っていつも笑っていた。 (でも、ルルがいて良かったな)  テオがそばにいない今、エルベルトが出かけても、本当の意味での、ひとりぼっちにならずにすんだ。  以前、テオが言ったように、白犬の霊ルルはユーリの守護霊なのに主人に似て臆病者だし、とても身を呈してユーリを守ってくれそうにはない。でも、ユーリはルルに自分のことを守って欲しいなんて考えていなかった。  そばにいてくれるだけで心強いし、嬉しい。  ――今日の夜は一緒にいてくれるだろうか。  ユーリは、今夜の降霊会を思うと、そのことだけが気がかりだった。
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