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第6話
テオに拒絶されたショックから立ち直れないまま、ユーリは夜を迎えてしまった。
ユーリは、降霊術課の自席から、ゆっくりと立ち上がる。
「もう、行かないと」
部屋の奥には、地下室にある降霊室に続く細く長い階段がある。
鉄製の丸い取っ手がついた重く大きな木の扉を押し開き、ユーリは、壁の蝋燭に明かりを灯しながら一歩ずつ前へ進んでいった。階段を進むごとに、冷たく湿った空気が体にまとわりついてくる。
以前なら、霊を呼び出す儀式の前は、必ず師匠であるエルベルトの楽しい話や、それにつまらなそうに返事をするテオの声が聞こえていた。けれど、今日はユーリ一人だった。
ユーリにはルルとレオンまでついてくれているのに、初めて一人で行う交霊会は、気が重かった。
「ほんと、無理言ってごめんね。レオンくんもテオと一緒が良かったよね」
一緒がよかったのは、もちろん、ユーリの方だ。
レオンからの返事は、もちろんない。自分で自分を勇気付けるように、ユーリは、ひたすら地階に向かって喋りながら歩き続けた。
「けど、ほんと、レオンくんは優しいね。僕は、っ、ひぃいいいい! 冷たい!」
階段を一番下まで降りた時、ぽつんと頭上から冷たい水滴が頬に落ちてきて、ユーリは、思わず、足元のルルを抱きしめてしまった。ルルはユーリと一緒になって怖い怖いって言ってるのに、レオンは、そんな、一人と一匹で大騒ぎするのを冷めた目で見つめていた。
昼間も同じことを思ったが、その姿は、まるで小さなテオのようだった。
「ご、ごめんね、驚かせて。レオンくん」
ユーリが、後ろを振り返り階段の一段上にいるレオンに謝ると、なんだか呆れているように見えた。レオンは、テオの守護霊なので、ルルよりも繋がりが弱い。なので、ルルと同じようには意思疎通はできなかった。けれど、どことなくテオに似ているので、彼の言いたいことはなんとなくだけど伝わってくる。
――バカだなって言ってる。多分。
交霊会をするなら、いつも精霊の森に行くのだが、今回の場合、王宮のことを調べるので、わざわざ森まで足を運ばなくても、地下の降霊室の方が条件が良かった。
この状況で、もし一人で精霊の森に行くことになっていたら、おそらく森の入り口で断念していただろう。
卒業試験の時のように、都合よく月が隠れてくれるような状況ではないし、今日は雲ひとつない満月の夜だった。こんな明るい夜だと呼び出すことは出来ても、きっと長く話はできないだろうと降霊の準備を進めながらユーリは思う。
地下のだだっ広い空間は、街にある教会の礼拝堂に少し似ている。礼拝堂と違うのは、正面ではなく、中央に木で出来た祭壇があり、正方形の部屋の四隅に足つきの燭台が立っているところだ。ユーリは、手に持っていたランタンの火を部屋の四隅の燭台に移して部屋に明かりを灯していった。オレンジ色の光がふわりと部屋の中を照らし、準備は整った。
ユーリは、何度か深呼吸を繰り返す。
「――始めます」
誰に、ではなく自分を励ますように声を出した。道中あれほど怖がっていたのに、その場に立ってしまえば、もう霊と話す覚悟は決まっていた。
一人でするのは初めてといっても、今まで何年と繰り返してきた同じ手順をなどるだけ。中央の祭壇の上に、さっき上の部屋で準備した、呼び出したい人物のおおよその情報が書かれた紙を置き、異界に通じる扉に向かって淡々と呼びかける。
ユーリが言葉を続けていくと、しばらくして、ふっと消えかかった赤いろうそくの光が、突如青い光に変化して大きく燃えた。
部屋の色が変わる。ユーリは視線を前方へ向けた。
降霊会は、成功だった。ユーリが呼び出したのは、この王宮内に縁のある人物。
あいまいな情報を使ったのは、ユーリへ伝えたいことのある霊を呼び出したかったから。この王家に仇なす人物がいるなら、必ず縁のある霊が現れ、その情報をユーリに教えてくれるはず。
霊は、優しいから。きっと困っている自分たちを助けてくれるだろう。
現れたのは、優しげな目元が現国王様によく似た老婦人だった。白いドレスに身を包みゆらゆらと不鮮明な姿でその場に像を結んでいる。
「こんばんは、来てくれてありがとうございます。お名前を、教えていただけますか」
ユーリが呼びかけても、なかなか相手と会話が出来ない。ため息とも、喘ぎともとれる声が自分の元へ届いた。普段ならもっとはっきりと声や思念のようなものが情報として伝わるのに不思議だった。
やっぱり日が悪かったのだろう。ユーリが今夜の降霊を中断して日を改めようかと迷っていた――その時だった。突如部屋が大きく揺れ、ユーリは目の前の祭壇に手をついた。
ガタン、ガタンと、部屋中に不快な物音が響き渡った。
「ッ、あ、レオンくん、ダメ! 動いたら危ないよ」
ぐるるるると、レオンが唸り、祭壇の向こうめがけて走ろうとした。ユーリはそれを、慌てて制した。すると、床が落ちるような大きな縦揺れとともに、部屋の隅にあった燭台の一つがユーリめがけて飛んでくる。ユーリは、とっさに足元にいる二匹の守護霊を抱きしめ、身に降りかかる次の衝撃に備えた。
けれど、いつまでたっても頭に物がぶつかる痛みはおとずれない。恐る恐る顔を上げれば、真横にはテオが片膝をついてユーリをかばうような姿勢でいた。
「ッ、なんでユーリが守護霊を守ってんだよ、逆だろ」
「……テオ、どうして、ここに?」
ユーリは、驚いてぱちぱちと目を瞬かせた。
「あのなぁ、お前が連れてるのは、俺の守護霊なの! レオンが来いって呼んだんだよ」
「そ、そっか。ごめん、レオンくんも怖かったよね」
ユーリの言葉にレオンは若干不本意そうな顔をしてみせた。
「一緒にするな、怖かったんじゃなくて、お前が危なかったからテオを呼んでやったんだ、とレオンは言ってる」
「なんだって! もう、ほんと、君は、テオによく似てるね」
「お前のところのルルほどじゃねーよ。なんだよ、お前は怖かったのかよ」
ルルは、テオが助けにきてくれたことが嬉しいのか、テオに大喜びで戯れている。
そんなルルを見て、全然似てない! と否定出来ないところが悔しかった。ユーリもテオが助けに来てくれたことが、心の底から嬉しかったから。
「さっきの何だったんだろ」
あんなに大きく部屋が揺れていたのに、テオが入ってきた途端に揺れはおさまっていた。よくよく考えてみれば、ここは地下室で、地面がこれ以上地下に落ちることなんてないのに、揺れている間は、このまま、真っ逆さまに落ちてしまうかもしれないと感じていた。
霊が呼び出されている間、青かった燭台の炎の光は、すでに赤い色に戻っている。
それは同時に、呼び出した霊がもとの世界へ帰ってしまったことを示していた。ユーリは、改めて明るくなった部屋の中を見渡す。
すると、灰色の床には、手のひらで書きなぐったような文字がべったりと残っていた。
――東、黒い影、月の満ちる頃。
真っ赤な、血のような跡だった。
「これ血か?」
ユーリと同じことを思ったのか、テオは、眉を顰めてそう漏らす。
「来た時は無かったから、霊が残したものだと思う。……どんなに日が悪くても、いつもなら少しくらいは声が聞こえるのに、今日は駄目だった」
喋れなかったのか、あるいは、喋れないように誰かに口を封じられていたのか。そこまで考えたけれど、ユーリには、霊に対してそんなひどいことが出来る人間がこの国にいるとは思えなかった。
その事実が、さらに王宮に潜り込んでいるスパイの存在を裏付けているように感じる。
「ふぅん、お前でも話せない霊、ね。けど、すごいじゃん。ちゃんと一人で降霊会は成功させたんだろ?」
「レオンくんがいたから、もちろんルルもね。ありがとう」
ユーリは、二匹の守護霊の頭を両手で撫でる。ただレオンは、じっと床に現れた血文字から視線をそらさなかった。
テオは、少しふらつきながらその場から立ち上がると、ユーリに向き直った。
「ユーリ、降霊会終わったなら、もうレオンはいいんだろ」
「う、うん」
テオは、レオンを自分の元に呼び、地面に手をかざして守護霊を元に返す言葉を紡ぎ始めた、けれど集中力が途切れてしまったのか、最後まで言わずにやめてしまった。
「ん、どうしたの? テオ」
「あー……無理。疲れた。ねぇユーリがレオン戻して、お願い。倒れそう」
テオは、そういうと隣に立つユーリの肩にしなだれ掛かる。
いつになく弱々しい甘えた声で言われて、なぜかどぎまぎしてしまう。
「う、うん、いいよ分かった。じゃあ、ありがとうレオンくん。戻っていいよ」
ユーリが、そういうと、その言葉だけでレオンの姿はその場から消えた。
「……はぁ、まじで一瞬かよ。ほんと、お前は、いいよな。自由自在に霊呼び出せて」
「テオも、頑張れば、できるようになるよ?」
「それ何十年後だよ。俺は、別にいいんだよ。もう降霊術師じゃないんだから」
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