第7話

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第7話

 レオンが帰った後、普段と変わらない調子で話しながらテオと細い階段を上がり地上まで戻ってきた。急に明るい室内に目がチカチカする。  降霊術課の部屋に入って、改めてテオの姿を確認すると、すでに寝るところだったのか、服は、いつもの兵服じゃなくて、薄手の麻の寝間着姿をしている。ふと視線を下に向けると、テオの手の甲からは血が流れていた。 「そ、それって、さっき燭台飛んできたときの怪我」 「別に、大した怪我じゃねーよ」  そうは言っているが、テオは部屋に着くなりエルベルトお気に入りの革張りのソファーにぐったりと横になってしまう。心なし顔色が悪く見えた。  冗談のように甘えた声で言われたことが嬉しくて、深く気にしていなかったが、テオは、本当に倒れそうだったらしい。  ユーリは慌てて、部屋にある棚から救急箱を取り出して、寝ているテオのそばに膝をつく。エルベルトのように手際が良いとはいえないが、消毒をして包帯を巻いていった。 「もしかして、他にもどこか痛めたんじゃない? 顔色悪いし、お医者さん呼ぶ?」 「だから、平気だって。つか行ってもこれは治らない。昼に言っただろ、俺はレオン出すと疲れるんだよ。休んだら治る」 「え……そんなの、い、言ってくれれば」 「俺は、ちゃんと言った。けど。お前が無理やりレオン連れていったんだろうが」  ただのいつもの面倒くさがりで言ってるだけと思い、テオの言うことを本気に取っていなかった。ユーリは、自分に都合よくテオの言葉を冗談として聞き流していたことに気づいて落ち込んでしまう。 「ごめん、ごめんね、テオ」 「いいよ。レオンいなかったら、さっき危なかったんだろ? だったらいい」  ぶっきらぼうだけど、そのテオの声には心配と安堵がにじんでいて、胸がぎゅっと締め付けられた。子供の時なら、きっと抱きついていた。 「あのね、テオ」 「なんだよ」  テオは、目を閉じたまま額に腕を乗せて返事する。 「ありがとう……いつも僕を助けてくれて」  ユーリがそう、ぽつりと、お礼を口にしたら、閉じていたテオの目がパチリと開く。金色の目がユーリを捉え、にやりと笑みを浮かべる。 「な、なんだよ」 「じゃあ、お礼に頭撫でてよ」 「ばっ、何、小さい子みたいに!」 「兄弟子なんだろ? だったら弟弟子の面倒は見るべきじゃねーの? 先生だっていつも言ってたじゃん。お兄ちゃんは弟を守るものですって。頭いてぇんだよ。だから、頭撫でて。ほらここ!」 「ちょっ!」  テオはそう言ってユーリの手を掴んで無理やり自分の額に乗せる。 「ユーリ。おーねーがーい」 「し、仕方ないなぁ」  なんだか、頼られて甘えられて悪い気はしなかった。ユーリは、テオの前髪をあげて額の上に手を置く。手当てという言葉もあるので、もしかしたら撫でていると、本当に痛みが和らぐのかもしれないという気持ちも少しだけある。熱はないようだった。むしろ低いくらいで昔はもっと子供体温で熱かったのになと思った。  大の大人同士が、一体何をしてるんだろうと思いながらも、ユーリはテオの頭を撫でながら話を続けた。 「なぁ、お前さ。もしかして、あの性悪先生に、すげー危ないことさせられてるんじゃないのか?」 「テオって本当、先生のこと嫌いだよね」 「アイツのどこに好きになる要素があるんだよ」 「面白いし、優しい」 「お前にだけ、な。俺は面白くねー。――で、お前、いま何やってんの?」 「危ないことなんてない、けど」 「じゃあ、あの血文字は?」 「分かんないけど、ちょっと調べ物をしてて」 「だから何の調べ物? もう言えよ。俺も巻き込まれてるんだから」  迷っていたユーリの背中を押すように、テオの声は有無を言わさなかった。  昼間は周りに人がいて、王宮内に隣国のスパイが潜り込んでいる話については、言えなかった。でもテオだけになら話してもいい気がする。  エルベルトの元弟子だったのだし咎めたりしないだろう。  それに自分一人だけで、あの地下の血文字のことを抱えきれなかった。とっくにユーリの許容範囲を超えている。 「この王宮にリサーヌ国のスパイが紛れ込んでいるかも、しれない」 「それ十分危ないだろ。俺は前から、あの性悪先生は信用できないと思ってたんだよ」  テオは大きくため息をついて、呆れたように言った。 「先生は、僕が一人前の降霊術師として仕事が出来るようにって、ほら、多分ライオンの気持ちだったんだよ。いつまでも先生のこと頼りっぱなしだから」 「ほんと、脳みそお花畑だな。お前、そのライオンにさっき殺されるところだったんだぞ?」 「で、でもね、少なくても、あの霊は、僕を殺そうとはしてなかった、気がする」 「俺は怪我した」 「それは、テオが、突っ込んできたから」 「ぁ? 俺が悪いって?」  テオの眉間の皺が深くなって、声は不機嫌になる。 「ち、ちがう、感謝してるよ! 多分、テオが来なかったら、僕が、怪我してたし」 「レオンは、お前が危ないから来いって言ってた」 「それは、うん。僕……が、頼りない、から」  ユーリは、悔しいが、そう事実を口にした。 「分かってんじゃねーか」 「それは、そう、だけど。僕だって頑張ってて……」 「東と、黒い影に心当たりは?」  霊は、助けて欲しいと、懸命に叫んでいた。行動を縛って、口を封じられている。けれど、そんな霊を縛るような術を使える人間は多くない。  ロスーン国内に限れば、降霊術師はハーウェルの一族と弟子である自分たちだけだし、国の教会だって、霊をむやみやたらと害したりはしない。 「僕は、東って、あの裏にある塔かなって思ってる」  昼間、あの場所を見たとき嫌な予感がした。ただの気のせいだと思いたかったが、地下に残された文字を見て、その疑いが強くなった。 「あそこ今は使ってないだろ。裏は森だからって、そっちから入るような人間もいないし、うちも警備してない」 「……そっか」 「あぁ、だから、侵入者がいたとしても関係ないだろ」  やっぱりテオに相談して良かったと思った。 「……ただ」  テオは、一度言葉を切る。 「なに?」 「あの塔、古いから、いつ崩落するか分からないし、そう言う意味なら危ない。だからユーリは近寄るなよ」 「でも、万が一」 「とにかく、行くなよ」  テオは念を押すように、東の塔には近づくなと続けた。 「い、行かないよ、そもそも怖いし。万が一行くとしても先生が帰ってきてから、って言おうとしたの」 「はぁ、本当、ユーリは先生に頼ってばっかだな」  確かにテオが言う通りだった。術師として一人前になったのに、結局、最後はエルベルトになんとかしてもらえると心の中では思っている。テオに痛いところをつかれてしまった。 「じゃあ、あのさ、もし、もしもだよ先生じゃなくて、僕が、テオがいいって言ったら、テオは、一緒にきてくれるの?」  なるべく深刻にならないように、でも、本気で言ったつもりだった。けれど、テオは、それを茶化す。 「なんだよ兄弟子様は、いつまでたっても甘えん坊ですね」 「あ、甘えてとか!」  ユーリが、反論しようとすると、テオの額の上にあった手を右手で掴まれ、まっすぐに目を見つめられた。テオの金色の瞳が揺れる。 「ユーリ。前も言ったけど、俺は、別に忘れてないからな、約束」 「や、約束って、どの?」 「はぁ、言ったお前が忘れるなよ。ずっと一緒にいるし、お前のこと守ってやるって。ガキの頃の話」 「ぼ、僕は! ……守ってなんか……くれなくていい、よ」 「あ、なんでだよ」  ユーリがそういうと、テオは少し拗ねたような顔で見つめ返してくる。  ユーリは、テオに守って欲しいから、一緒にいて欲しいわけじゃない気がした。子供の頃にした約束を未来永劫守って欲しいわけでもない。じゃあどうしてと言われても、すぐには答えが出ない。  ただ寂しいだけ。一人だけ置いていかれたような気分になる。 「あ、兄弟子は僕だ! だ、だから、テオを守るのは、本当は、僕の役目……だし?」 「言うなら最後まで、言い切れよな、なんで疑問系」 「……うん。でも、そっか、覚えてくれてて良かった。僕だけ……僕ばっかり、テオのこと考えてるの、なんか不公平だ」 「……お前さ、それ無自覚?」 「え、何が?」  テオは、じっと恨めしい顔だった。けれど、怒っているというよりは、どこか呆れているような表情だった。 「別に、お前だけじゃねーよ。いつだって、お前のことばっか考えてんの。俺は、頼りない兄弟子様が、心配で心配で夜も眠れないんだから」 「ばっ、バカにして!」 「――俺はさ、ガキの頃、嬉しかったんだよ」 「え?」 「ユーリに、ずっと一緒がいいって言われて嬉しかった!」  テオは、ユーリの頬を優しくつねった。  何か、言いにくいことがある時、テオは、いつもユーリの頬とか鼻を触ってくると思う。 「誰にも必要とされてないんじゃないかって、思ってたから」  テオは、遠い昔に思いを馳せているようだった。自分は、家族を亡くして孤児になったけれど、テオだって母親を亡くしてから、一人で父を支えていたのだ。妻を亡くしてから、次第にテオの顔を見なくなった父親を見て、テオが傷ついていないはずなかった。  テオは、テオのお母さんに優しい目元がよく似ていたから、おじさんは、テオの顔を見るたび、思い出してつらかったのだろう。とても仲のいい夫婦だったから。  でも、テオは寂しいとも、つらいともユーリに弱音を吐いた事がなかった。  家族を亡くしたのだから、テオも自分と同じように寂しかったはずなのに。 「そんなわけないじゃん! 僕、テオが必要だよ!」  ユーリは、握られたテオの手を強く握り返した。 「お前が、いつも、俺の名前呼んでくれて、後ろをくっついて歩いてくれて、嬉しかったんだよ。俺もここにいていいんだって思えたから」  ユーリが、何かにつけて、怖い怖いと騒いで、テオにひっついていたことを、テオがそんなふうに思っているとは知らなかった。  子供の頃、いつも寂しいと思っていたのは、自分一人だけじゃなかった。 「ま、でも、ガキの頃の話だよ。何、お前は今も、俺が必要なのかよ」 「ぅ、それは……うん」 「あっそ」  テオは、なんだか嬉しそうだった。  ずっと、どうして降霊術師にならなかったの? しか言えなかったのに、テオも同じように自分のことを考えていたと知って、ふいに焦燥感が薄れていた。将来の道は違ってしまったけど、根っこの気持ちが何も変わっていないのなら、それでもいいと思えた。  もっと、早く二人で話していればよかった。いつもそばにいたから、勝手に通じ合っていると思っていた。  霊ではない、生身の人間には、思っているだけじゃ伝わらない。そんな当たり前のことを、今更に気付かされた。 「とにかく、東の塔は危ないから、絶対、ユーリは一人で行くな。……俺は、何も出来ないんだから」  テオは何もできないと言うが、ユーリには、どうしてもそうは思えなかった。少なくても、ユーリよりも自立しているし、多くのことが出来る。近衛兵として働き始めて、さらに差をつけられている。  仕事の勝ち負けを競うわけじゃないけれど、エルベルトがいうように、今は一歩も二歩も遅れをとっている。 「でも、今夜は助けてくれたじゃんテオ」 「お前が、レオン連れて行ったからだろ! あと今日は、夜の見張り当番じゃなかったから。いつも助けに行ける訳じゃない。……今は、あいつも居ないんだろ、これ以上危ないことはするな」 「あいつって、先生?」 「お前、そろそろ、あいつのこと、エルベルトって呼び方に直せよ、無理なら、ハーウェルさんとか他に言い方だってあるだろ。弟子卒業したのに、前となんにも変わってねぇの」 「それ、先生にも言われた。でも、先生は、先生だし」 「俺は、今回のことで、完全に、あいつのこと性悪だって分かったよ。だから、ユーリも、もうあんな奴信用するな。いいか、一人立ちしろ」 「またそんなこと言って。テオだって、ずっとお世話になってたのに。なんで、そんなに先生のこと嫌うかな」 「ユーリが、先生の話ばっかりするからだ」  テオからちゃんと答えが返ってきたことにユーリは少しだけ驚いた。 「え、そうかな? なんだよぉ。僕のこと甘えん坊とか言うけど、今日は、テオの方が小さい子みたいだよ」  じゃれるように、テオは額をユーリの胸元に押し付けてくる。  ユーリは、らしくないテオの仕草に面食らってしまう。体調が悪くて、人寂しい感じなのだろうかとユーリは、思わずテオの頭の後ろをよしよしと一生懸命撫でてしまう。 (テオが、なんか可愛い……なんだよ! いつもこうならいいのに)  不遜で生意気。だけど頼りになる弟弟子で、幼馴染。この先もずっと、こんな感じで一緒にいられたらいいのにと思う。 「心配してんだよ。ユーリは、すぐに人のこと信用するし流されるから。俺が、代わりに、用心深く周り見てんの」  ユーリはくすりと笑った。 「今日のレオンくんみたい。レオンくんもね、今日すっごい周り警戒してくれてさ。小さい頃のテオみたいで、ホント可愛くてさぁ、僕レオンくん好きだなぁ」 「……なぁユーリ。もっと頭撫でて」  唐突にテオの声が一段低くなって、眉間の皺が深くなる。 「まだ頭痛いの? どうしよ先生の引き出しのなかに飲み薬とかないかな」  そう言って、その場から立ち上がろうとすると手を握られた。 「俺、自分の守護霊まで嫌いになりたくないんだけど」 「なにそれ? レオンくんあんなに可愛いのに、ねぇ、ルルもそう思うよね?」  そう言って、ずっと隣にくっついていたルルに呼びかけると、帰った方がいい? と首を傾げ、つぶらな瞳で訊いてくる。 「もぉテオが、そんなこと言うから、ルルが帰った方がいいかって? 言ってるよ」 「……じゃあ、ルルに伝えといて。ユーリに似てるって言って悪かった。お前は、ユーリより物分かりがいいし賢いよなって」 「なんだよ、僕、兄弟子なのに、ひどい」 「元、な」  しばらくたわいもない話をしていたが、結局、テオはソファーで眠ってしまった。よっぽど調子が悪かったのかもしれない。ずっと眉間に皺が寄っていたが意識を手放した瞬間急に幼い顔つきになった。さっき頭をくしゃくしゃと撫でたので、長い前髪が額に落ちているからかもしれない。  少し前は毎日見ていた懐かしいテオの寝顔に思わず笑みが漏れてしまう。ユーリは、テオからそっと離れて、自分の仕事机に座った。  ――結局、何だったんだろう、あのメッセージ。  東、月の満ちる頃。黒い影……。  他にも何か手がかりが残っていたかもしれないが、もう一度一人で地下に降りて、調べる気にもなれず、エルベルトに報告するための資料を作っていた。  もちろん、テオも同じものが見えていたのだから、見間違いや読み間違えは、あまり考えられなかった。  ペンを走らせながらも、考えはまとまらず、紙にはインクの染みばかりが増えていく。  ユーリの呼びかけに応じる形で霊は現れた。だから降霊会自体は成功している。つまり、残された文字には必ず意味があるはずだ。  ふと、机の上にある本に目が止まり手に取った。  三年前にリサーヌ国で開催された降霊術の学会で、エルベルトが持ち帰ってきた本だった。  ――死霊術、ネクロマンサー。  ロスーン国で、ハーウェル家が降霊術の大家として知られているのと同じように、リサーヌにも術師の家が存在していた。学会では、それぞれの国の思想や信仰は尊重する形で、あくまで学問として、それぞれの参加者たちの学説が発表されている。エルベルトは元々の異国趣味もあり、旅行も兼ねて普段から他国の学会でも積極的に参加していた。  本を開いた最初のページに著者の白黒の写真。  バルド・ザイード。  ユーリも知っている高名な死霊術師だ。  腰まである長い黒の絹糸のような髪。闇夜を思わせる男だった。エルベルトとバルドはそれほど歳は変わらないらしいが、写真だとエルベルトよりずっと年上に見えた。  中身は、降霊術の学会でバルドが発表した「死者を操ること」に関する学説だった。エルベルトのお供をして、テオと一緒に学会に足を運んだときのことだ、エルベルトは舞台袖から会場に戻って来て「またバルドに著書を押し付けられました」と苦笑いをしていた。  学会でのバルドは、よどみない朗々とした語り口で、壇上で話すその声は自信に満ち溢れていた。  ――なぜ、霊を友人などと呼ぶのか。  まるで、ロスーン国の考えを敵視しているかのような口ぶりだった。エルベルトは常々、学問と信仰は別だと言って、リサーヌの考えを否定も肯定もしていなかった。エルベルトは真摯に物事に向き合い、学ぶ人は平等に尊敬に値して好きだといい、自分の国と違う思想を持つからといって差別したりはしていなかった。  ――私は、ロスーン国の考え方が好きですよ。大好きな人が亡くなった後も、どこかで楽しく生きているかもしれない。そう思えるのは幸せなことですから。  もし、リサーヌ国のバルドが書いた本の通り、死霊術を使える人間なら霊を操ることに躊躇しないだろうし、今回のような霊の口封じだって可能だろうと思った。  この宮殿に潜むかもしれないリサーヌ国のスパイ。  そんな人が本当にいるのだろうか。  とにかく、ユーリは、エルベルトが帰って来たら、自分が気がかりに思っている東の塔についても相談してみようと思った。
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