第8話

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第8話

 ユーリは、その夜とても懐かしい夢をみた。  過去、テオが、ユーリと同じように降霊術師になると決めた日のことだ。それは、日が少し傾いた学校の帰り道。テオは、突然ユーリの手を掴み、無言のまま道を外れ墓地の中を足早に進んだ。そうして着いたのは、テオの母親の墓の前だった。  ユーリは両親を亡くしてからテオの家にお世話になっていて、その日は、前日にエルベルトから弟子入りの話を聞いたばかり。テオもユーリも学校では一日会話がなかった。  ユーリは弟子入りすることも、テオの家を出ることもすでに決めていた。  けれどテオと離れることが嫌で、昨日寝る時に、ユーリは、テオとずっと一緒にいたいと、つい本音をこぼしてしまったのだ。 「なぁ、ユーリ。俺の母さんの霊って見えてんの?」  降霊会で呼び出すまでもなく、その時、ユーリにはテオの母親の霊が見えていた。世話焼きで優しくて、テオのそばで生前と変わらずに微笑んでいた。 「俺さ、ユーリと一緒にハーウェルの家に行こうと思うんだけど」 「え、でも、そうしたらおじさん家に一人になっちゃうよ」 「だから、母さんに訊きに来た。ほら俺は見えないんだから、ユーリ訊いて。親父家に一人でもいいかって」  テオに霊の姿は見えない。だったら、ユーリが、今ここでどんな嘘を吐いたってバレることはない。そんなことを一瞬でも考えたことが年上として恥ずかしかった。  テオの母親の霊は、そんなユーリを見ても変わらずに優しく微笑んでいた。 「き、訊けるわけないじゃん」 「なんだよ。エルベルトって奴、お前のこと国一番の降霊術師って言ってたじゃん。話せるんだろ」 「それ将来の話!」 「分かったよ。訊けないなら、母さん笑ってるか?」  ユーリは、それには首を縦に振った。そもそも、ユーリが訊かなくても、テオの声は、母親に届いていて、ユーリは、その返事を伝えるだけで良かった。  自分のことを自分で決められて偉いって。でも、どんなに真実だとしても、その言葉をユーリを通してテオに伝えると嘘に聞こえる気がして言えなかった。 「そっか、じゃあ。俺は、今まで通り、お前のそばにいてやる。ほら、用は済んだし帰るぞ」 「いてやるってなんだよ! 年下のくせに、ほんと生意気だなぁ」  テオの母親の霊に手を振り返してから、慌ててテオの背を追いかけた。その背に抱きつきたいくらいに嬉しかった。 「昨日、一緒がいいって、夜びーびー泣いてたくせによ。一人でハーウェルのお屋敷に住むなんて嫌だって言ったの誰だよ」 「あ、あれは、お屋敷で霊……が、出たら、怖いじゃん。テオいないのに」 「ユーリ、降霊術師になりたいんだろ? しかも王宮の降霊術課で働く」 「そんなの……分かんないよ。将来のことなんて」  テオの横を歩きながら、話すその声は小さくなった。将来を決めるには早すぎた。けれど、ユーリには、その時、ハーウェルの家へ行く以外の選択肢がなかった。  いつまでも、テオの家にお世話になっているわけにはいかないし孤児になったのなら、施設に行くべき。テオの家だって特別裕福なわけじゃない。おじさんは、ユーリ一人くらいと言ってくれたけれど、それが事実でないことは分かっている。 「将来ねぇ」  テオは、前を見たまま続けた。 「うん、分かんないじゃん。僕、ずっと、怖がりなままかもしれないし、国王様が僕のことなんていらないっていうかも、エルベルト先生だって、僕のこと教えているうちにがっかりするかもしれないよ」 「俺だって分からない。将来なんて。でも、いいじゃん、それなら、いま決めなくても」 「で、でも! 弟子入りするんだし、そんなのダメだよ」 「子供なんだから、決められないのは当たり前じゃん。俺はさ、ユーリと一緒に弟子入りしたって、降霊術師の才能なんてないと思うよ。そもそも霊、見えないし。けどユーリのことは、絶対に守るって、それだけは前から決めてるから」  テオは、少し照れたような声で、でもはっきりとユーリのことを守ると言った。そのことが嬉しかった。将来のことなんて何も分からないし、家族を亡くしてから、楽しいことがあっても、毎日どこか寂しい。何回遭遇しても霊は怖い。不安がいっぱいだった自分にとって、テオの「大丈夫だ」って言葉だけが支えだった。テオがいるだけで心強かった。 「見えなくていいよ。でも一緒がいい。僕は、テオがいないと嫌だ」  真っ赤な夕日の眩しさで、表情は、よく見えなかったけど「しょうがないな」と普段と同じ呆れた調子のテオの声が温かかった。 「ユーリがさ、霊、怖いなら守ってやるよ。だからユーリは前だけ向いてろよ」 「……ほんと、生意気。でも、ありがとう」  漠然とした将来の不安を抱えていたユーリにとって、テオのまっすぐな言葉が、どれほど心強かったか。    ――その一言一句、全てを忘れずに覚えていた。  久しぶりに、テオが昔話をしてくれて嬉しかった。だからこんな懐かしい夢をみたのだと思う。テオとこの先も一緒にいるって決めた大事な思い出だった。    朝、窓から射す白い光で目が覚めると、ユーリは降霊術課にいた。報告書類が終わったら、テオを起こして自分も私室に帰るつもりが、結局そのまま机の上に突っ伏して眠ってしまったらしい。  寝ぼけ眼で部屋の中を見渡したが、ソファーに眠っていたはずのテオはいなくなっている。  代わりに自分の肩には、テオに掛けておいたはずの薄手の毛布がかかっていた。 「ルル、ごめん。呼び出したままで、王宮のなか嫌いだったのに」  机の下を覗き込むと、ルルは、足元でユーリが起きるのを待っていた。 「ねぇ、テオどこに行ったか知ってる?」  ルルに尋ねると首を傾げてから、正面にある窓の外に視線を向けた。ユーリは、毛布を椅子の背に掛け、エルベルトの机の後ろにまわって窓の前に立った。  すると、ユーリが窓に触れる前に、突然、閉まっていた窓が風で外に向かって開いた。  驚いて、思わず一歩足を引いてしまう。  部屋の中には窓が一つしかないし、入り口のドアも閉まっていた。内側から窓が開くほどの風なんて起こるはずがない。  ユーリが恐る恐るゆっくりと窓の外に顔を出しても、外は部屋の中と同じように風ひとつなく穏やかな朝の空気が満ちていた。 「誰、だろう」  そう独り言を口にしていたが、ユーリは自分の中で「誰」の答えを持っていた。風で開いたのでなければ、霊が開けたのだ。  昨日、さんざん王宮の中をうろうろと霊を探して歩き回っていたので、今度は霊の方から、ユーリを訪ねてきてくれたのかもしれない。  いたずらで脅かされたりもするけれど、基本的に霊はユーリに友好的だ。エルベルト曰く、それはもう『愛されている』域らしい。  愛されているというのは分からないが、ユーリのように、容易く異形のものと関われる人間は、彼らからすれば、珍しく面白いのかもしれない。おしゃべり好きな隣人が、世間話に訪ねてくるようなもの。  子供の頃は、そんな社交的な霊たちに挨拶されるたびに、大泣きしていた。今は、朝で周囲も明るく、ユーリも平常心を保っていた。少しは大人になれたのかもしれない。  けれど会いに来てくれたらしい霊は、いつまでたってもユーリの前に姿を現さなかった。 「ぁ、テオだ」  現れない霊の代わりに、ユーリは、窓の外にテオの姿を見つけた。  窓から、テオに声をかけようとしたけれど、テオは、なぜか見たこともないような暗く険しい顔をしたまま、ユーリが声をかける前に近衛兵たちの宿舎のある西側へと足早に歩いて行ってしまった。 (朝からバラ園なんかに何の用事だったんだろ)  昨夜は仕事がなかったとテオは言っていた。そこまで考えて、バラ園の向こうにある場所が頭に浮かんだ。――東の塔。そして、昨夜、テオは、近衛兵たちもあの場所は、警備をしていないと言っていた。それなら、何故王宮の東側から歩いてきたのか。  急に、胸の奥がざわざわとしてきて、落ち着かなかった。  昨日呼び出した霊が残した言葉を思い出す。――東、黒い影、月の満ちる頃。  赤い血のような文字。  全部ただの偶然だと思いたいのに、昨晩は降霊会に適さない日だったことまで思い出してしまった。  昨夜は、満月の日だった。  考えれば考えるほど、不審な点が次々に浮かんできた。昨日の霊は、テオがあの場に現れた途端に静かになったのだ。  せっかく安心していたのに、再び疑問が浮かんでくる。 「どうして、降霊術師じゃダメだったの?」  ――テオくんは、粗暴なところがありますから、向いていないかもしれませんね。  ユーリは自分の想像を払拭するために慌てて頭を振った。 (そんなことない、テオだって一緒に、同じだけ努力して同じ方向を向いて学んできた)  エルベルトと共に過ごしたテオの九年間は、そんな軽い志のものじゃなかった。霊が全く見えなかったテオは、霊を見ることが出来るようになった。誰にだって出来ることじゃない。それは、テオが降霊術師になりたかった証拠じゃないのか。 「テオ……」  ユーリは、誰もない朝靄に向かって親友の名前をつぶやく。  テオは、まだユーリに一言も「近衛兵になりたかった」と言っていなかった。
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