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第9話
降霊会をした翌朝のテオの行動が気になりながらも、それ以来テオに会うことが出来なかった。王宮内の霊も静かなもので、ユーリに声をかけてくることもない。
テオに出会えないことが、余計に不安を掻き立てる。
ユーリは、夜に降霊会をしないなら、日中は、降霊術課の部屋で、書類仕事しかしていないし、それに対してテオは、訓練や不規則な警備スケジュールで動いているので、出会えないのは、当たり前といえば当たり前だった。
先日のように顔を合わせて喋っていれば、ユーリの心の中にある疑念なんて簡単に払拭できるのに、それが出来ないのがもどかしかった。
そんな中、突然エルベルトが長期休暇を途中で切り上げ帰ってきた。
エルベルトは、旅行に行くのも突然だったが、帰ってくるのも突然だった。
帰って来た途端、降霊術課の部屋は明るく賑やかになり、同時に、ユーリの四六時中不安だった気持ちも浮上していた。
また、ユーリには意味の分からない置物などが降霊術課の部屋に増えた。ただ、エルベルトのお土産でいつもと違ったのは花を持ち帰ったことだった。鮮やかな黄色の花を中心にした一際大きな花束は、帰ってくる道中も、きっと人目を引いたことだろう。
エルベルトの朗らかな人柄によく似合っている。
「仕事を任せっきりで悪かったね。おかげさまで、とても有意義な休暇だったよ」
エルベルトの手にあった、その花束はユーリに差し出された。
「どうかしたんですか? こんな大きな花束なんて」
「ユーリくんへお祝いです」
お祝いと言われたところで、自分の誕生日は、真冬なので、すでに終わっていたし、弟子をしていた九年の間、毎年エルベルトには、テオとユーリの誕生日を忘れずに祝ってもらっていたので、エルベルトがユーリの誕生日を間違えているとは思えなかった。
「今日、僕にお祝いごとなんてありましたか?」
「無事に、一人で仕事を終えた君にと思って」
エルベルトの答えに、ユーリは目をぱちぱちと瞬かせる。
「え、もし僕が仕事終えてなかったら」
「何を言ってるんですか、弟子のことを師匠が信じてあげないでどうするんですか?」
「先生……僕……嬉しいです」
ユーリは感極まって泣きそうになる。
「あの、この馬鹿げた芝居は、いつ終わるんですか。俺ここにいる意味あります?」
帰って来たエルベルトに、多分今日は休みだからと、テオを呼んでくるように言われて今に至る。自分は知らないのに、なぜ、エルベルトは、テオの休みの予定まで把握しているのだろうと思いながら、初めてテオが住んでいる宿舎の前まで行くと、テオは昼食に行くところだったのか建物の近くで出会えた。嫌がるテオをなんとかなだめてテオと二人で戻ってくると、テーブルにはティーセットが綺麗に並べられていた。
降霊術課の部屋の中にある、楕円形の大きなテーブルの上には、エルベルトがいれた紅茶のティーカップが三つ。そして、お土産の焼き菓子が皿の上にあった。
ハーウェルのお屋敷にいた頃には、よくあったお茶会の光景だった。
何か重大な話でもあるのだろうかと思ったのに、エルベルトは、久しぶりに弟子たちとお茶会をしたかっただけらしい。
大きな花束を花瓶に生けてからユーリは、エルベルトとテオと同じようにテーブルの席に着いた。
「御機嫌斜めですねぇテオくん。兄弟子の仕事の成功を一緒にお祝いしてあげてもいいじゃないですか。同門で弟弟子だったのですから」
テオの口からは、大きなため息が漏れる。
「仕事なんだから、一人で出来て当たり前じゃないですか。……感動しているところ悪いですけど、心細いからって、俺のレオン連れてってましたよ。この兄弟子様は」
ユーリは、とっさにテオの口を両手で塞ごうとしたが、するりとかわされてしまう。
「おや、ユーリくん。テオくんに手伝ってもらったのですか? ズルはいけませんよ」
「い、いえ、手伝ってというか、最終的に助けてもらったのは、そう、ですけど」
「あ? お願い一緒にいてって泣きついて来たのは誰だよ」
「な、泣いてないし!」
「ま、王宮に潜むスパイ探しなんて、ユーリ一人じゃ荷が重かったんだろうけどさ」
テオは、視線をエルベルトに向けてそう言った。
「なるほど。まぁ、とりあえず、一人で頑張ろうとしたところまでは、評価しましょうか。臆病な君が一歩踏み出したのは、良いことです。えぇとても」
エルベルトは、なるほどと言いティーカップに口をつける。そして、一口紅茶を飲んだところで、言葉を続けた。
「――ところで、私が気になっているのは、ね。極秘の仕事なのに、テオくんに、今回の仕事内容がバレてしまってるようですが、それは何故、ですか?」
珍しくエルベルトが怒っているように見え、ユーリは焦りから、早口で事情を話した。
「あのっ、そ、それは……色々あって、仕方なかったというか。降霊会をしている時に、地下が揺れて、地面に血文字が現れて、テオが助けに来てくれたから……それで仕方なく」
「……先生、別に、俺は他言しませんけど。俺が知ってたら何か不都合でもあるんですか?」
テオは、ユーリを庇うようにエルベルトに尋ねた。
「いいえ。君も弟子でしたからね、かまいません。ま、ちょっとユーリくんをからかっただけですよ。なるほど、テオくんが、ユーリくんを助けたのですか」
「はい。ユーリ、大怪我するところだったんですよ」
テオは、じっと非難する様な瞳でエルベルトを見た。
「ま、とにかくユーリくんに怪我がなくてよかったです。自分の身を守ることができているのなら、過程はさておき、立派に一人前ですよ」
「先生、僕」
「よく、がんばりましたね。報告書は後で読ませていただきますが、まずは楽しいお茶の続きにしましょうか」
「楽しいのアンタだけじゃん」
「テオ!」
ユーリは悪態をつくテオを窘めた。
珍しく怒ってるように見えたエルベルトに焦ったけれど、エルベルトは、すぐに普段と同じ笑顔に戻っていた。ユーリがそう感じたのは、後ろめたさからで、気のせいだったのかもしれない。
ユーリは、隣に座るテオの顔を横目で見る。
エルベルトに休暇中の出来事を掻い摘んで話している間、テオは、静かにお茶を飲みながら、しきりに生あくびばかり繰り返している。なんだか、少しだけ顔色が悪いように見えた。
降霊会をしてから日が浅い。まだ体調が悪いのだろうかと、ユーリは、テオの額に手を当てた。
「大丈夫? テオ、まだ頭痛いの?」
「……いや疲れてるだけ。で、疲れて今日は、ゆっくり寝ようって決めてたのに。久しぶりの休暇をなんで邪魔するんですかね?」
「もちろん、テオくんにも楽しい旅の土産話を聞かせてあげようっていう、優しい気遣いじゃないですか。私とユーリくん二人で遊んでたら、いつも拗ねるくせに」
「気のせいじゃないですか」
「あと、君にも、お土産買ってきたんですよ」
エルベルトはテオの嫌そうな声なんて少しも気にせずに破顔する。
「これ以上ゴミは、要りません」
「そう言うと思ったので、今回はお菓子ですよ? この国の焼き菓子も大変美味しいですが、リサーヌの焼き菓子もなかなか美味しいです」
そう言ってエルベルトは水色の包み紙に赤いリボンがかかった円筒形の箱をテオに手渡す。
「ちゃんと、食えるんですか?」
「テーオ! 先生にそんなこと言っちゃダメでしょう」
「――てかさ、ユーリ。何なの。こいつが帰ってきた途端、元気いっぱいになってるし」
確かに、テオが言うように、一人で不安だった日々と比べ、今は肩の荷が下りた気がして、自然と笑みが漏れていた。
「それは……だって。怖かった、し」
「結局、お前は、頼れる人間なら俺じゃなくてもいいんだよ。……先生早く帰って来てくれてよかったな」
テオは、ふいと顔を背けた。
「そんなこと」
心なしテオの声が、どこか寂しげに聞こえた気がした。
「先生! 茶とお菓子ごちそう様でした!」
テオは、テーブルに両手をつき勢いよく立ち上がる。
「おや、もういいのですか? まだケーキもあるのに」
「宿舎帰ります。……昨日も夜の警備あったし、眠いんですよ。倒れそう」
「おや、本当に調子が悪そうだ。私も、久しぶりに君の元気そうな声が聞けてよかったです」
「だから、元気じゃねーんですよ」
「――ですね。あぁ、そうだ、体調が悪いのなら、テオくん。この先、しばらく天気が悪いようですから、風邪をひかないように気をつけなさい」
エルベルトは続いて席を立ち、降霊術課の部屋の前でテオを送り出す。
「……どーも」
無理やりお茶に連れ出したり、やり方は強引だけど、エルベルトはエルベルトなりに、元弟子のことを心配してるんじゃないかなとユーリは思った。
なんだかんだ言っても、エルベルトは面倒見がいい。ただ、なぜかいつも、テオにはそれが伝わらないけれど。部屋を出て行ったテオの背を見送ると、ユーリはエルベルトの顔を見上げる。
「旅行の間は、ずっと天気が良くて移動が楽だったんですけどね。この先、しばらく雨らしいですよ」
「テオ、大丈夫かな、熱もあるみたいだった」
「慣れない環境で働き出したばかりですから。ま、寝てれば、きっと良くなりますよ」
エルベルトは部屋の隅にある薪ストーブを使って、紅茶用の新しい湯を沸かした。
「あの先生、旅行先リサーヌだったんですね。やっぱり国王様が気にしていたから、調査も兼ねてですか? それなら僕もお供したのに」
ユーリはエルベルトの隣に立ち、話を続ける。
「えぇ、国王様が心配なさってましたしね。念の為。でも、ほとんど旅行ですよ。あそこは、興味深い書物も多い。あと学会でよく行っていましたから少しも怪しまれることもなく、城門を開けて通していただけましたよ。こういう時ハーウェルの名は便利ですね」
「あの、先生聞きたいことがあるのですが」
「なんでしょうか」
「先生は知ってたんですか? テオが、守護霊を呼び出したら、体の調子が悪くなるって」
エルベルトは、目を細めて微笑み、頷いた。
「君は、自分の力をいつも過小評価していますが、やっぱり、ユーリくんは特別なのですよ。私だって長い間、守護霊を実体化させて呼び出すためには、媒介の一つもなければ、難しいです。当然、君のように彼らとお友達のように遊んだりは出来ない。せいぜい、本当に困った時に手を貸していただくくらいです」
「そう、ですか」
「私は、君が少しだけ羨ましい」
体質的なもので、霊と関わることは自ら望んだことじゃなかった。けれど、自分以外の降霊術に関わる人間は、皆ユーリの力を羨ましいと言う。
「あの、テオは、先生に」
ユーリは、過去、テオが自分と同じ道を歩いてくれると言ったことが嬉しかった。だからこそ、心変わりしたことを何も知らされていなかったことが、ずっと心に引っかかったままだった。エルベルトには、相談していたのだろうか。もしそうなら悔しいと思った。いくら師匠でも、エルベルトよりも自分の方が、テオと長く一緒にいたのに。
そう思ってしまった。
今まで、こんな感情をエルベルトに抱いたことがなかった。尊敬している師匠なのに、こんな感情を持ちたくなかった。
「テオくんに、何か気になることでも?」
「い、いえ! あの、なんか、こんなに一緒にいたのに。僕テオのこと何も知らないなって、それだけです」
ユーリは、エルベルトに自分の醜い感情をぶつけそうになり、はっとして、寸でのところで慌てて伝える言葉を変えていた。
「テオくんに体のこと秘密にされて悔しいですか?」
「それは……はい」
エルベルトは、ふわりと優しげに微笑む。なんだか、ユーリの感情を全て見通されているようで恥ずかしくなった。
「君たちは、よく似ていますよ。性格は全然似ていないのに。いつも同じことを考えている」
「そうでしょうか?」
「ずっと、先生として君たちを見て来ましたから、色んなことが分かるんですよ。なんだか、面白いですね。まるで鏡写しのようで」
「お、面白いとか!」
「ねぇ、ユーリくん。人間、誰だって、秘密の一つや二つはあるんじゃないでしょうか?」
エルベルトは急に、真面目な声色になった。
「秘密、ですか」
「君だって、秘密くらいあるでしょう。今回の仕事の件だって、初めはテオくんには黙っていた。それは仕事だったから、です。そんなふうに大人になれば秘密ばかり増えていく。けど、なんでも話し合えるだけが、友達じゃないと私は思いますよ」
「……僕は」
ユーリは、言葉を続けられなかった。
「極論ですが、大切な相手のためなら、君だって、いくらでも嘘がつけるんじゃないですか? この先、師匠の私にだって、言えないことが出来るかもしれない」
師匠にも言えないことに心当たりがあって、ぎくり、とした。
ユーリは、エルベルトに話していないことがあった。
テオが、不審な行動をしていること。降霊会の翌朝、おそらく東の塔にいたこと。
ユーリは、多分、テオのためなら、エルベルトにも嘘をつき通せると思っている。本当は、嘘なんてつきたくないし、誰にだって正直に全てを話せる自分でいたい。
自分は、エルベルトやテオみたいに、器用な人間じゃないと思う。
だから、テオには、悩みや言いたいことがあるなら、全部教えて欲しい。
何も知らないまま、自分だけ外にいるのは嫌だった。これは、子供の域を出ないわがままな感情なのかもしれない。けれど。
――結局、お前は、誰だっていいんだよ。
そうテオに言われた言葉に段々と、もやもやした気持ちが募っていく。
誰だっていいわけじゃない! テオがいい。
(だから、もっと、僕のこと頼って欲しい!)
いつだって、頼って、守ってもらってばかりの自分の、何が、国一番の術師だと思う。
なんだか、自分で自分のことが腹立たしかった。
「あの先生! 僕、今日、もう一度、降霊会をやり直そうと思います」
ユーリは、ティーポットにお湯を注いでいるエルベルトの目をまっすぐに見た。
「おやおや急にやる気ですね。何か心境の変化でも?」
「やっぱり……悔しいから。テオに頼ってもらえないのが、僕は、一番嫌なんです。いつまでも、頼りにならない幼馴染でいる方がよっぽど怖い」
「そう、では、頑張りなさい。申し訳ないですが、私は、このあと用事があって、お手伝い出来ないですが、一人でも大丈夫ですか」
「はい」
こんな感情は生まれて初めてだった。臆病な自分でいるより、もっと怖いことがあるのを知った。
けれど、その晩もう一度、勇気を出して降霊会を一人でしたのに、今まで一度だって失敗したことがなかった降霊術を初めて、失敗してしまった。
どんなに条件が悪くても、話ができなくても、呼び出すこともできない日なんて、今まではなかったのに。どうしても「何か」に邪魔をされている気がしてならなかった。
終わった後、エルベルトに降霊会の報告をしにいった時も、やっぱり東の塔とテオのつながりについては相談できなかった。
こうしている間にも、幼馴染がもしかしたら、取り返しのつかない悪事に手を染めているんじゃないかと思うと、夜も眠れないし怖くてたまらなかった。
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