第六章:思い初める

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 「おや?もしかして怪我した本人が気付い てないのかな?立ち上がる時に足を庇ってい たから、捻ってしまったんだと思っていたの だけど……。右足、左足、どっちが痛むの?」  右京に言われて、傍と古都里は足を見やる。  そう言えば、ここまで走ってくる間、右足 がズキズキと痛かったことを思い出した。  「あっ、あれ?……あいたたたっ!」  試しに踏みしめてみた右足がズキリと痛み を訴えて、古都里はよろけてしまう。よろけ た拍子に延珠の肩に掴まれば「どんくさい女」 と、いつもの声が返ってきたが、その手は倒 れないように古都里の腕を掴んでくれていた。  「ほら、家までおぶってあげるから。早く 背中に乗って」  「いえっ、いいです!自分で歩けますから」  「そんなこと言って。明日の演奏会で正座 が出来なかったらどうするの?せっかく練習 したのに、演奏会に出られなくなったら困る でしょう?」  「そっ、それはそうですけど……」  「捻挫というほどのものじゃなさそうだか ら、帰って湿布を貼っておけば明日の朝には 治るだろうね。だから、いまは無理しないで」  そう右京に諭されれば、これ以上遠慮する のも失礼な気がして「すみません」と、彼の 首にしがみつく。想像していたよりも大きな 背中に体を預ければ、ひょい、と右京が立ち 上がってくれて、近すぎる彼の横顔と体温に 心の奥がぶるりと震えてしまった。  けれどそのまま歩き出すかと思いきや、 右京はくるりと社殿に向き直り、古都里をお ぶったままで一礼する。  「先生???」  その所作に首を傾げると、右京は、ふ、と 笑みを零した。  「明日の演奏会を恙無く終えることが出来 ますように、ってね。お稲荷様にお願い」  「なんかそれって、ちょっと面白いです」  妖狐の最上位である『天狐』がお稲荷様に お願い事をしている姿が可笑しくて、古都里 はそのように言った。  すると古都里の言わんとすることを察した 延珠が、「ばっかじゃないの」と、突っ込む。  「稲荷神社は八百万の神の中で最も有名な 食物の神、宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)を祀っている神社よ。 稲荷神社だから『お狐様』を祀ってると思っ てるなら大勘違い。文化的素養のないあんた らしい発言だけどね」  「そうなんだ!?知らなかった!」  延珠の皮肉と自分の無知を素直に受け止め た古都里に、あはは、と右京が背中を揺らす。  「延珠の言うことは正しいけど、『狐』は 稲荷神の眷属であり使いだからね。まったく の勘違いでもないと思うよ。さてと、帰りま すか」  今度こそ社殿に背を向けて歩き始めた右京 の背中はどこまでもやさしく、隣を歩く延珠 の表情もいままでより柔らかで、ただただ苦 しかった古都里の胸奥がほっこりと温もりに 包まれてゆく。捻ってしまった右足はやはり 少し痛んだけれど、明日の朝には治るという 右京の言葉を信じれば不安はなかった。  暖かな春陽が照らす白壁通りを歩きながら 「小雨が目を覚ましたらお仕置きだね」と、 笑った右京に、二人は顔を見合わせ吹き出し たのだった。
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