第六章:思い初める

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 「何をしておるのじゃ?」  誰もいないと思っていた空間から突然声が して、古都里は、びくぅ、と肩を震わせた。  バクバクと鼓動を鳴らしながら、聞き覚え のある声がした足元を見やる。すると寝ぼけ 眼の小雨が、ぽやっと古都里を見上げていた。  「な、なんだぁ。小雨君かぁ」  その平和過ぎる相貌に、古都里はほっと息 を漏らす。  食う、寝る、寝る、食う、寝る、という自 堕落な生活を送っている小雨は、雨が降る時 以外はほとんど古都里の部屋で丸くなり、 惰眠を貪っていた。  「なんだ、とはなんじゃ。困っとるようだ から声を掛けてやったというのに」  古都里の反応が不服だったらしく小雨が、 ツン、と顎を逸らす。あはは、と誤魔化すよ うに笑うと、古都里は腰を屈めて足元に座る 小雨に話しかけた。  「ありがとね、心配してくれて。実は先生 に頼まれて箏を運ばなきゃいけないんだけど、 それを仕舞うカバーがどこにあるかわからな くて困ってたの」  「ふむ。では先に箏だけ運んでおいてその カバーとやらがどこにあるかヤツに訊けばよ いのでは?この家におるのじゃろう?」  「そっか。そういうのもアリだね」  小雨の提案に、なるほど、と古都里は頷く。  玄関に箏を運んでおいて二階にいる右京に 訊きに行けば、カバーを掛けることくらい造 作もないだろう。どこにあるかわからない物 を探して時間を使うより、その方が早いかも 知れない。  そう思い至ると、古都里は床の間に置いて ある箏に歩み寄った。トコトコと、小雨も付 いて来て箏を見上げる。けれど障子から射し 込む陽光に淡く照らされた箏を見上げた瞬間、 小雨は訝しむような声を発した。  「なんじゃこれは?」  その言葉に、古都里も思いきり眉を寄せる。  遠巻きに見ている時はわからなかったが、 目の前に来てみればそこに置いてある箏は甲 の部分の桐が剥げ落ち、黄ばんだ箏糸は解れ、 龍尾(りゅうび)に丸められているはずの箏糸は解けてだ らりと垂れてしまっていた。  とてもじゃないけど、誰が見ても演奏会で 使えるような代物ではない。  「あれぇ、先生が言ってたお箏ってこれじ ゃないのかな?他には見当たらないよねぇ?」  小雨と二人で振り返って部屋を見渡す。  が、箏を収納できるようなスペースもなけ れば、床の間にあるこの箏以外、それらしき ものは見当たらない。  「どういうことだろう?もしかして先生の 勘違いかな?こんなの使えるワケないよね?」  不思議に思いながらも古都里はボロボロに 朽ち果てた箏を手に持ち、床の間から下ろし てみた。そうして裏面にあたる龍腹(りゅうふく)を覗き込 んだ。その時、足元にはらりと一枚の紙切れ が舞い落ちた。  「なんか落ちてきたぞい?」  それに気づいた小雨が紙切れを咥える。  「えっ、何だろう?」  箏を手にしたまま小雨の咥えるそれに目を 落とせば、陽に焼けて黄ばんだ長方形の紙切 れに、鳥居の形をした絵図や呪詛めいた文字 がつらつらと認められていた。  「こっ……これは、護符じゃ」  咥えていたそれを離し、小雨が怯えた声で そう口にした刹那。  「……グァルルルゥゥ」  古都里が手にしていた箏が獣のような呻き 声を上げたかと思うと、突然ぐにゃりと木の 本体をくねらせた。
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