第六章:思い初める

7/13
前へ
/122ページ
次へ
 右京が惚けたことを言うので、古都里は思 わず語気を強めてしまう。だいたい、絶対に 入ってはいけないという狐月の忠告を一蹴し たのは右京ではなかったか?  そのことを思い、体を放して口を尖らせれ ば、「はぁ?」と、右京があからさまに片眉 を上げた。  「何を言っておるのじゃ。儂はずっと飛炎 の店にいて、たったいま戻ったというのに。 触れてはならぬと釘を刺さなかったのは儂の 落度じゃが、あえて古都里を危険に晒すよう な真似を儂がする訳がなかろう」  「ええっ?だって、二階に書類を取りに行 ってる間に用意しておけって、先生が」  なぜか二人の会話が嚙み合わず、古都里は 思いきり首を捻った。 ――その時だった。  廊下の向こうから人の足音が近づいたかと 思うと、刺々しい『右京』の声がした。  「まったく、真っ青になって二階に逃げて くるかと思いきや……何やってるんだかあの 盆暗女は」  ぶつぶつと言いながら、開け放ったままの 障子の向こうから顔を覗かせたのは紛れもな く『右京』で。古都里はその姿を見た途端に 声をひっくり返す。  「せっ、先生が二人!!?」  「げっ、やっば!!」  古都里の傍らに立つ妖狐の『右京』を目に した瞬間、人の姿をした『右京』が顔面蒼白 となり後退りする。その様に、すぅ、と目を 細めると、妖狐の右京は低い低い声で言った。  「延珠じゃな」  「ひいっ、ごめんなさいっっ!!!」  そう口にするや否や、ぼわっ、と白い靄に 包まれた体が延珠の姿へと変わる。  「嘘ッ、延珠ちゃん!?」  その正体にさらに声をひっくり返した古都 里は、一目散に逃げてゆく延珠を追い掛けよ うと、小雨を右京に渡した。  「先生っ、この子お願いします!」  ぐったりとしている小雨を押し付けると、 古都里はバタバタと家から飛び出して行った 延珠を追い掛ける。和室を出てゆく寸前、古 都里の背を「待たんか!」という右京の声が 追ったが古都里はその声を振り切り、玄関を 飛び出して行ったのだった。  「まっ……待って、延珠ちゃん!」  ぜいぜい、と肩で息をしながら古都里は必 死に延珠を追い掛ける。稲荷町を出て白壁通 りを東に向かって走っている延珠は、紬着物 を着ているというのにやたらと足が速かった。  古都里はと言えば、高校を卒業して以来、 運動らしい運動をしていなかったこともあり、 体力も筋力も削げ落ちている。だから急激に 酸素を送り込んだ肺は軋み、脇腹は痛み、倒 れた時に捻ってしまったらしい右足はズキズ キと痛みを訴えていた。  それでも古都里は立ち止まることなく、逃 げてゆく延珠の背中を見失わないように必死 に手足を動かす。
/122ページ

最初のコメントを投稿しよう!

104人が本棚に入れています
本棚に追加