ラヴァル家の憂鬱〜レアとクロード〜

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 王都セルジャンは半島の中部にあって海こそ望めないものの、古くから王侯貴族の地盤として栄えた土地だ。北部、大陸との接合点を縫い合わせる山脈からは清らかな雪解け水を湛える大河が流れ出で、深い森を育て耕地の豊穣を促す。  夏の日差しは西に傾き、吹く風もいくらか涼しさを帯びる。明日は一年の最盛季を祝い、実りを祈る夏至祭とあって、セルジャンの街はいつも以上に慌ただしい。乙女らはマルリルの花で冠を編み、若い男は想いびとが輪舞の誘いを断らないか心配し、商売人は露店の準備に追われ、子供たちは明日への期待に目が冴える。  貴族は王城に招かれて、御前試合やら宮廷音楽やらを楽しむ。祝いの晩餐のあとは夜通しの舞踏会。遠方からも多くの来賓があり、この日まとまる縁談も多い。  チチェクの制圧後の処理がひと段落したこともあり、復興と統治の一歩として各地でも祭が行われる。戦禍を被った街にも明かりが灯り、兵士は故郷へ帰った。  クロードは火竜姫レアとセルジャンに戻ってきていた。 クロードにとって夏至祭は、子供の頃は両親に連れられて王城でご馳走を食べる日でしかなかった。騎士見習いになってからは城下の警護で庶民が楽しむ様子を見守ってきた。正式に騎士の称号を拝する予定の今年は、任務からは解放されたものの、貴族として祭に呼ばれている。  年齢的には婚約者を決める頃合いであり、名門ラヴァル家の一人息子に年頃の令嬢を持つ貴族が群がるのは必至だ。そういう生まれである以上は当然と、半分は受け入れている。しかし残りの半分は、古い体制や貴族社会の習慣に反発したい気持ちが占めた。この時、クロードはまだ十七歳だった。 *****  両手を水平に上げると、ロゼが鼻息も荒くコルセットを締め上げる。レアは悲鳴混じりにロゼに聞いた。 「本当に行かなきゃいけない?」 「もちろん。火竜姫が行かなければ養家のラヴァルは面目が丸潰れでございます」  鏡を見ると、胸元には寄せて上げた膨らみが慎ましく映っている。幾重にもレースを重ねたドレスが絞られた腰からふんわりと床に落ち、髪は毛穴の向きが変わりそうなほど引っ張って、リボンを編み込んだうえに宝石をあしらう。化粧は仮面をつけたほうが早いくらい厚塗りだ。むき出しの前腕、窓からの朝日に鱗が輝く。 「なんとか格好がついたではないか」  鏡越しに目を合わせてくるのは大魔導プルデンス。クロードの叔母だ。自身の支度を先に済ませ、レアの準備が整うのを待っている。未婚のため養子にできなかったレアをラヴァル本家に預けているが、実質の火竜姫監督者として、戦場と同じように貴族社会での立ち居振る舞いを指導している。 「化粧はもう少し薄く、子供らしさが残るように。手袋は一番長いものを……」  ロゼに指示を出しながら、プルデンスは手袋で隠される鱗を見て不憫に思う。魔法に携わる者にしてみれば、火竜姫の存在は神秘だ。〝姫〟の称号を得れば王族との婚姻も望める。しかし鱗が、人ではない証が、崇敬よりも畏怖と軽蔑を集めてしまう。  その目で鱗を見た者は将軍とクロードをはじめとしたラヴァル家の関係者の幾人かに限られる、にもかかわらず、中央ではすでに噂好きの貴族の間で蜥蜴の子などと揶揄されている。顔も見たこともない彼らには、今日の王城での祭宴が初のお披露目だ。こまごまと口を挟むのには、人目が気になり始める年頃の少女がせめて恥をかかないようにしてやりたいというプルデンスなりの気遣いだった。 「城に着いたら扇で顔を隠して、黙っていればよい。挨拶の時にだけ、教えたとおりに」  プルデンスが扇を渡すと、レアはうなずく。その間、扉がノックされてロゼが応対していた。 「若様が、まだか、と」  扉の前でロゼが振り返る。プルデンスが、通せ、と短く答え、騎士服に身を包んだクロードが部屋に入る。 「叔母上! もう馬車を出す時間を過ぎています、早く──」  クロードの視線は、日の光を浴びて佇む姫君に釘付けになった。 「クロード。女の支度を待てないようでは、大人の仲間入りは遠いぞ」  プルデンスは口元に扇をかざした。  王城に着いた頃には茶会も進み、菓子を食べ飽きた子供たちが中庭を走り回っていた。こういった祭典はクロードくらいの年頃に最も苛酷であろう。まだ社交に意義も感じられず、かといって場を離れるわけにもいかず、着慣れない礼装で愛嬌を振りまかねばならない。  同じ年頃でも、女性であれば感じ方は違うようだ。噂話に花を咲かせるのはいつもどおり、この日のためにあつらえた衣装で着飾れば気持ちは高揚するだろう。こちらを見ては扇の影で顔を寄せ、笑い合う娘たちには悩みなどなさそうだ。  レアは人形のようにプルデンスに引っ張り回されている。叔母は口が達者だから、レア自身が喋らなくても間はもつのだろうが……少し前まで盗賊の奴隷だったのだ。きらびやかで人目を気にしなければならない世界は、慣れるまでは日がな一日こき使われるより疲れるに違いない。  クロードはひとしきり居合わせた顔見知りとの挨拶が終わると、手持ち無沙汰にレアを目で追った。プルデンスの後について、ふらつきながら歩いている。底の高い靴を履きこなせていないのか。  会が散漫になってきた頃合いで、宮廷音楽家の演奏は舞曲に変わった。手を取り合う男女。クロードも一人くらいはお誘い申しあげるのが名家の男子としての嗜みだが、今日は騎士になって初めて、数年ぶりの貴族の夏至祭である。自分に注がれる視線にはさすがに気づき、特定の令嬢に不用意に声をかけてよい状況でないことは理解していた。ここで誰かを選べば、夜会ではその噂が一人歩きする。壁際の長椅子で、すでに踊っている人々を眺めて過ごすのが無難だ。 「これはラヴァルの若様ではありませんか」  急に声をかけられ、見るとモンテガント公が息子夫妻と到着したばかりの様子でやってきた。挨拶を返すと、モンテガントは一方的に話し出す。 「いや、本当に月日の経つのは早いですな。ご立派な騎士姿で、やんちゃな御幼少の頃とは見違えるようだ。孫娘が十ばかり早く生まれていれば、お父上に縁談の申し入れをいたしますものを!」  好々爺然と笑顔を向けてくるが、その孫は生まれて性別がわかるや、一族の地盤固めに有利な相手と婚約済みと聞く。 「ときに、どなたかお誘いにならないので? 壁の花に声もかけぬとあっては、一人前の男とは言えませんぞ」  モンテガントが手振りで示す先には、文字どおり壁際に少女たちが何人か、所在なげに佇んでいる。クロードが見やると扇で顔を隠す。その仕草に慎ましさよりも浅ましさを覚えるのは、クロードがまだ子供だからなのだろうか。  その中にひとりだけ微動だにしない少女がいて、クロードの目は引きつけられた。硬い表情で何かを見つめている。何を見ているのか──確かめようとした矢先、悲鳴が上がった。
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