第2章 繕う月は陽光に煌めく

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 可愛い。無垢な寝顔を前に、透は素直にそう思ってしまった。この子は高校生なのに。決して小柄ではないのに。  洗いたての髪を指で梳くと、血色は良くないが形の綺麗な唇がわずかに動き、幸せそうに結ばれた。夢と中では安心できるようで、透も頬を綻ばせてしまった。  千津からメールが送られてきた。添付された写真は、研修旅行の日程と持ち物が書かれている。集合時間は、学校の始業時間と同じ。持ち物は、普通の旅行と変わりない。気をつけることは、1日目の昼食は各自持参で、捨てられる容器で持ってくること、くらいである。  おやすみ、と架月に声をかけ、透は研修旅行の持ち物の確認をした。服装は制服で、着替えは学校指定のジャージ。肌着類は征樹が持たせてくれた荷物の中にあった。エチケット用品は、未開封のものが透の家にある。洗面台の下の収納に隠れていた。透が学生時代に使っていた旅行用のバッグを使ってもらえば、大丈夫だろう。買い足すものがなかったことに安心してしまった。  風呂に入りながら、お弁当は何を持たせようか考えた。自分が高校生のときは、どうしていたっけ。母親は病気を抱えながら働きづめで、透は自分で弁当をつくっていた気がする。弁当といっても、ふりかけを混ぜてラップで包んだおにぎりだけだ。  風呂から出て、洗濯機で衣類を荒馬間に、研修旅行の日程を見直す。昼休憩の時間は短いようだ。ならばやはり、片手で食べられる、おにぎりかパンが良いか。自分で食べるだけなら適当になってしまうが、人につくるとなると、妙に悩んでしまう。それでも、架月が食べてくれれば、嬉しい。  冷蔵庫にあるもので考えた結果、おにぎりを2、3個つくることにした。冷凍保存しておいた鮭と、ゴーヤの佃煮を解凍し、焼き海苔は冷蔵庫からすぐ取り出せる場所に移しておく。  米があっただろうか、と家中くまなく探したところ、征樹が持たせてくれた食べ物の中に、ギフト用の小さい米が数個入っていた。1袋2合分。結婚式の引き出物のようだ。助かる。  久々に米をとぎ、炊飯器の予約時間を考えてしまった。  明日は、架月を学校まで車で送りたい。学校の先生に事情を話したいから、早く着くようにしたい。ここから学校までかなり時間がかかるから……と、頭の中で計算したが、まとまらず、とりあえず炊き上がり時間を5時にセットした。  すでに日付は変わっている。今日は色々あったせいか、飛ぶように時間が過ぎていた。  さて、どこで寝ようか。ベッドは架月に貸してしまった。中古を格安で譲ってもらったセミダブルベッドは、ぎりぎりふたり横になることができる。かといって、実行に移しても良いものか、モラル的に。  架月は階段から落ちたときに頭を打ったかもしれない。初日だから特に、目を離すわけにはゆかない。寝ている間に意識障害が起こってしまったら、取り返しのつかないことになる。  眠い頭で散々考えた結果、透はモラル的によろしくない選択をした。  炊飯器の予約時間と同じ5時にスマートフォンのアラームをセットし、枕元に置く。  熟睡する架月に背中を向けたが、それでは意味がないと思い直し、架月の顔が見えるように体の向きを変えた。  架月が寝返りを打ち、ベッドから落ちそうになる。透は架月を引き寄せ、眠りに落ちてしまった。  一瞬の後に目が覚めたと思ったが、深く眠っていたようだ。スマートフォンのアラームがけたたましく5時を告げ、架月が形の整った眉をしかめた。架月は今、透の腕の中にいる。  眠気は一瞬で吹っ飛び、現実を痛感した。ベッドから落ちそうな架月を引き寄せたまま、寝落ちしてしまったのだ。 「おおお、おにい……!」  架月もまた、透の背中にしっかり腕をまわしたまま、動揺している。  透は抱擁を解き、起き上がってスマートフォンのアラームを止めた。 「架月、大丈夫? 痛いところとか、ないか?」 「痛いところ……?」  架月はゆっくり身を起こし、自分の臀部に手を当てた。寝起きの頬は紅潮し、恥ずかしそうに唇を結ぶ。 「そういう意味じゃねえよ」  透は思わず、つっけんどんに突っ込みを入れ、架月はいたずらっ子のように笑んだ。 「おはよう、架月」 「おはよう、おにいちゃん」  パジャマの袖口から、痣が見える。手首を強く握られた跡だ。 「今日から高校の研修旅行なんだって? 学校まで送るから、身支度しといてくれ」 「そうだった! すっかり忘れてた」 「持ち物は用意しておいたから、確認してくれ」 「嘘……夢みたい。甘えすぎだろ、俺は」  赤みが引かない頬をふにふに押す架月を尻目に、透は着替えた。パーカーとデニムのボトムス。着替え終わって架月を見ると、架月はベッド上で悶絶していた。 「おにいちゃん……無防備過ぎる」  何を妄想しているのか知らないが、初めて見る架月の一面である。 「ほら、お着替え! 早めに出るよ。先生に、事情をお話ししたいから」 「そうだね。すみません」  透が洗面台でひげを剃ろうとすると、架月もひょっこり鑑をのぞき込んだ。 「架月はまだ、ひげが生えないんだな」 「生えてるよ」 「ほれ」  透は架月のあごに手を添え、指先で顔を上げた。  生えてるもん、と、架月は頬を膨らませる。  架月が身支度をしている間に、透は朝食と弁当の準備。おにぎりは、梅干し、鮭、ゴーヤの佃煮の3種類。海苔を巻いたら、どれがどの味なのかわからなくなってしまった。  朝食は、冷蔵庫につくり置きしておいた新摘菜の胡麻和えと、豆腐とわかめの味噌汁、出汁巻き玉子。  急いでこしらえた朝食を、架月は目を輝かせて食べてくれた。
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