第2章 繕う月は陽光に煌めく

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 その声を、富田教諭が拾った。 「勝呂くんは、違うと仰いましたよ。私も、片山先生の説明では納得できない部分があります」 「富田先生!」  片山教諭が机を叩いた。黙れ、と言いたそうである。富田教諭は横目で流し、架月に目を向けた。 「勝呂くんの席は、酒々井さんの後ろです。酒々井さんが低血糖発作を起こした様子が見えたのでしょう。例えば、体の震え、冷や汗、意識障害」  うん、と架月が呟いた。 「すぐに救急車を呼んだのは、良い判断です。勝呂くんのお蔭で、酒々井さんの命は助かりました。本当に、ありがとうございます」  ううん、と架月は首を横に振った。  片山教諭が架月を睨みつける。 「勝呂、言いたいことがあるなら自分ではっきり言ったらどうなんだ。さあ、どうぞ」  皆の視線が架月に集中し、架月は口をつぐんだ。もともと、喋る方ではない。人前で発言するのも苦手なようだ。 「架月」  無理しなくて良いんだよ、と透は言おうとしたが、架月は震えながら口を開いた。 「酒々井さんは、ホームルームの後に、インスリン注射をしていた。帰りにパフェを食べるって。家と学校以外で注射のためにお腹を出すと、いやらしい目で見てくる人もいるから、今のうちに注射をすると話していた。そうしたら、すぐに急に補修が始まって、酒々井さんはブドウ糖を舐めようとしたら……」  架月の割には長く話した。透は、架月を褒めたくなった。  すみません、と千津が小さく手を上げた。 「私が悪かったんです。放課後にクラスメイトと一緒にファミレスで期間限定パフェを食べに行きたい、と言われて、私が許可したんです。外部でインスリン注射をするのは、人前で肌を出すのは、好奇の目で見てくる人もいるから、学校で自己注射をしてからブドウ糖を口にして行きなさいと、私が言ったんです。だから、千絵は」 「自分の落ち度だと言いながら、補修授業を始めたのが悪いことにしたいんですか? 補修授業をしなくてはならなくなったのは、このクラスのせいです。授業の途中で、解法と証明の話を始めた生徒がいて、教師そっちのけで盛り上がって授業の進度が遅れたから、遅れた分の授業をその日の放課後に行わなくてはならなくなったんです。ひとりの注射の都合でクラス全員に迷惑をかけるなんて」 「だから、姉である私の責任です。申し訳ありません」  千津は声を震わせて頭を下げた。 「それだけですか。だとしたら、飴を持ち歩くかのようにブドウ糖を持っているなんて紛らわしいことをしないでほしいです。そこまで気を回すのは、いくらなんでもかんでも無茶ですよ。そもそも、だらしない生活をするから糖尿病になるんじゃないんですか? 自業自得ですよ」 「片山先生!」 「富田先生は、酒々井さんを甘やかし過ぎます。同じ病気だからといって、ひとりの生徒に肩入れするなんて、良くないです」  片山教諭は、自分に落ち度がないどころか他人の責任であるかのように自信を持って語る。  こんな人が教員をやっているのか。  透は、自分の中で、ふつんと切れた気がした。 「良い機会ですから、インスリン注射のことを学ばれてはいかがですか」  千津が机の上に出したままだった黒いポーチを、透は開けた。 「消毒綿で必ず消毒をしてから針をペン型注入器に装着するんです。それから、目盛りを単位数に合わせる」  説明しながら、気分が高揚する自分がいる。母が生きていた頃、使い方の説明は受けた。自分で扱うのは、初めてだ。ペン型注入器の端を回しながら、単位数を最大まで設定する。にわかに席を立ち、片山教諭のところで止まった。胸座を掴んで立たせ、目線を合わせる。 「あ、忘れていました。皮下注射をする部分も消毒するんです。今回は省略します。ちなみに、注射を打つ部分は必ずしも腹部である必要はないみたいですよ」  片山教諭の顔に注射針を向ける。息を呑み、血の気が引く様を見たところ、ようやく事の重大さに気づいたようだった。でも、遅い。 「怖いですか。インスリン注射をしている人は、これを毎日行うんですよ。単位数は人によって異なりますが、今回は練習ということで、20単位くらいに設定しています。さあ、体はどう変化するでしょうか。今なら、千絵さんの気持ちがわかるんじゃないですか?」  注射を振りかざそうとしたとき、その手を止められた。掴んでいるのは、富田教諭だ。 「お気持ちはお察しします。ですが、これは千絵さんの大切なお薬です。あなたが優越感を味わうための道具ではありません」  冷たい目で諭され、透は奥歯をかみしめた。またこの人は、邪魔をするのか。そう思ったとき、見ろとばかりに、あごで示される。  示された先にいたのは、架月だ。立ち上がったは良いが、泣きそうな顔で立ち尽くしていた。  熱が一気に醒めた。醜いところを架月に見せてしまった。その後悔が、一気に押し寄せてきた。
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